パークハイアットに寄ったついでに「ヴェルナー・パントン展」を覗きにオペラシティーまで足を伸ばした。その帰り道。また色々去来が駆け巡った。90年代に入って、当時の20~30代には60'sな気分は、よほど新鮮だったのか、イームズをシンボルに60年代インテリア&ライフスタイルが空前の大ブームとなった。以来、家具、インテリア、デザイン誌はもちろんの事、男女を問わずファッション誌に、ネット記事にネットショップにと、今なお60’sはニュースに事欠かない。はて。一体何故なんだろう?当時の震源地、いや震源者は、学生時代からビンテージファニチャー・マニアだった下坪君が1992年、札幌の円山で開業した「メトロポリタンギャラリー」。彼の情熱的発掘と丁寧な扱い&紹介は、時続いてアメリカ帰りのエンジニア須田さんによって1994年、目黒区鷹番に「アールデコモダン」のオープン、そしてレプリカショップ「モダニカ」によって大ブレーク。その黎明期を両名とデザイン談義で遊ばさせてもらった上に、企てのお礼にとIBM本社で使われていた刻印付きハーマン・ミラーのオリジナルチェアーを頂いたりした事を思い出した。そういや僕は、後輩デザイナーたちにギャラの代わりにマニアックなオリジナル家具を現物支給した記憶がある。その方が断然、喜ばれたのだから。


ヴェルナー・バントンといえば、どこかで見覚えがあるだろう、世界初のプラスティック一体成型の椅子「Panton Chair」(ヴィトラ社)で有名だが、そもそもは建築家。これまた北欧モダンでお若い諸兄に大人気のアルネ・ヤコブセン建築事務所に2年勤め、1955年に自身の建築デザイン事務所を設立。以後、デンマークからスイスに拠点を移し、ルイス・ポールセン社、フリッツ・ハンセン社、ヴィトラ社などから照明や家具、テキスタイルなど数多くのプロダクトを発表。1998年没後も世界で人気のプロダクツデザイナー。もっと早く、個展が開かれても良かったのにと、今回の初「回顧展」が不思議なくらいだ。


「ヴェルナー・パントン展」VERNER PANTON
しかし、僕など1955年生まれにしてみれば、これら北欧モダンは、小学生、中学生時代、普通に家庭に社会にあった物たち。所詮、日用品のデザインだ。そんな近過去のレトロが珍しく今尚、若い人たちに新鮮に映るとは、個展で騒がれるとは、彼の普遍的デザインの力を賞賛するが、同時にとても悲しくなってしまう。見に来る若い人にも、買う若い人にも、今、あなた方がデザインした物が未来40〜50年後のお若い諸兄に感動してもらえる、普遍的鮮度あるデザインを創造しなけりゃいけないんで、見てる買ってる場合じゃないだろ!っと、激を飛ばしたくなってしまう。おまけに、彼の作品は素晴らしいがニール・ディナーリ風な本展の広告を見るにはがっかりだ。過去の人(バントン)の作品は未来的なのに、今の人(広告デザイン)の作品はディナーリを模した1997年止まり?とは。
人類の歴史はメディアの歴史でもあるから、新しいメディアが生まれる度に、そこに載せるコンテンツ(情報)が必要になるが、高速で地球を巡るネット社会では、企業も個人も、瞬間メディアに載せる為に情報を探しまわる、本末転倒ぎみではないだろうか。どこを見てもアート情報は必須科目。アートな情報ばかり。いい加減アート情報にうんざりしてしまう。東京は無限の鏡のようにリンクリンクで拡散し続けるネット情報と、もう無数にある大中小の国営から街カフェのギャラリーまで、個展個展な個展だらけ。飽和も越して大洪水。にもかかわらず、一歩、ネットを離れて、個展会場を出れば、どこにもアートな気分が存在しない不思議な世界。アートって、こんに必要なんだろうか?みんながアートに親しむ自由の謳歌は否定しないが、アートもアーティストもオーディエンスも、資金を出す企業も自治体も国も、不必要なアートの氾濫について、それこそ「見直し」「廃止」のために、必殺仕分け人による「仕分け作業」がいるんじゃないだろうか?100年後、1000年後にも残りうるアートとは、そんなみんなが喜んで楽しめるチマチマしたものじゃないって事は、歴史を見れば一目瞭然。その時代の人たちの常識を超えた荒唐無稽とも思える尋常じゃない情熱と行動によってもたらされているんだから。投資すべきは「企て1000年」級の創造プロジェクト。そうでなければ、未来に遺跡は「世界遺産」は残せないっす!ヨーだ。


「ミクロの決死圏」Fantastic Voyage(1966)

ラクエル・ウェルチ Fantastic Voyage(1966)
中学2年生だったか、アポロによる人類初の月面着陸を、テレビによる人類初の世界同時生中継で体験した1969年。小学生で観た、グラマラスなラクエル・ウェルチに悩殺された「ミクロの決死圏」Fantastic Voyage(1966)と、ジェーン・フォンダのエロチックSFファンタジー「バーバレラ」Barbarella(1967)。中学生で理解不能に陥ったアーサー・C・クラークの原作をスタンリー・キューブリックが映画化した哲学的傑作SFの金字塔「2001年宇宙の旅」2001: A Space Odyssey(1968)。PCもCGも、第一ビデオさえないレコードの時代の思春期に出会った未来たち。以後唯一、村上隆を除けば、この原始的未来感を越えられない何て、PCもCGも使いまくりのクリエーター、アーティストたちって、一体どういう気なんだろう?

「2001年宇宙の旅」2001: A Space Odyssey(1968)
民主化を求めた「天安門事件」、社会主義国の軍事独裁政権下で起こり始めた民主化の趨勢は「ベルリンの壁」を崩壊させて、一気に東欧の社会主義国の民主化をドミノ倒しした1989年。日本では昭和天皇の崩御による平成の幕開け。思想の対立20世紀の悲劇「東西の冷戦」が終焉して20年。一人勝ちに見えた金融資本主義もまた、瓦解して迎えたオバマ大統領と民主党政権の2009年。世界は、もはや紛争の火種だった石油から無限のエネルギー源「太陽」へと、誰の物でもない「海」「水」「空」「山」「地」大自然の共有意識を、かつての人権意識・民主主義の胎動のように持ち始めた新世紀。前世紀とは真逆に思想も政治も大きくシフトし、遅ればせながら経済も変わろうとする世界史を塗り替えた今、80年代で止まってしまったアートよ!アーティストたちよ!いいかげんレトロを愛でてる場合じゃないぜ!始まった新世紀の未来1000年後を見据えた創造をしなきゃー。思想>政治>経済>芸術なんて、順番が逆だろう〜。アートが率先して未来を切り開くんじゃなきゃ。もうアーティストの名前を返上してもらわなきゃ税金の広告宣伝費の無駄使い以上に、人類に有害な炭素とゴミを垂れ流してる場合じゃーないぞー!と、吠えたくもなりますって。前人未到の荒唐無稽の馬鹿の限りを未来の果てを吹いて何簿の商売なんだからさ。
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