2008/09/19

巨匠からの贈り物

人生は出会いと別れの連続だ。年の数だけ、ある時期までは人との出会いは増す一方。がしかし、同時に人生の残り時間は減る一方だ。時間は変らず24時間のリズムで刻まれ。つまり、どうがんばっても出会いの数と時間は反比例して、ご縁があって出会った人との付き合いも淘汰されざる得ない。人生で心ときめき恋におち、めくるめく愛欲に溺れる異性との出会いが100あっても、運がよくて添い遂げあう相方はひとり。つまり、99人とは別れ。そもそも出会いは限りなく100に近い99の別れを前提に成り立っているのか。いや、正確にはやはり100%の確立で別れなのだ。母親の胎内で受精した瞬間から命は死へのカウントダウンが始まるのだから。そう考えると、この世で今日まで生きてきたこと事態が、奇跡の芸術的瞬間の連続だ。生命誕生からの命の綱渡り。神がかった文字通り、自分の意思を越えて命が運ばれる、気の遠くなるような長旅の運命だ。いつの時代も人はみな、二度とない今を生きている。撮り直しもカットも編集もできないライブ。サバイバルの未知なる冒険の連続ドラマを。

生い立ちの流れで理工学部の建築に足を踏み込み、その後、目的を見つけて社会学部の記号に転向した1970年代。そこで将来、人の潜在的欲望を見つけて、事や形にする仕事がしたいと、企ての裏方の道を目指した。卒業際、大手の広告代理店と老舗百貨店を就活し、最終的に新宿から全国で、さまざまな人の「百貨な欲望」を、どこよりも早く見つけて商いする百貨店に就職。食品と婦人服をへて、経営企画室で年間の営業催事計画と商品政策、全館リモデル推進室で、今で言うブランディング、当時はCI(コーポレーティド・アイデンティティー)計画を担当。コンピューターを導入した商品管理の仕組みを作り、品揃えを変え、見せ方を売り方を変え、未来へ社員のお客の意識を変る。その象徴としてロゴを変え、店内外のデザインを変え、広告・広報を変える。僕はリモデル計画の終了とともに、何のあてもなかったが会社を卒業した。27歳だったか。その1980年代初頭は、日本経済も急激な復興期から卒業し、最初の収穫期を迎えたころだったのだろう。広告が画面で言葉で、毎日のように時代の価値観を変えまくっていた。裏方が注目され表舞台に上がるスターの時代。アートディレクター
浅葉克己とコピーライター糸井重里の名コンビは、正に時代のアイドル、看板役者。駆け出しで会社を辞めたばかりの僕には、見上げる眩しい、一回り以上も年上の先輩たちだ。

一刻一秒、時は止まることなく継続しているから、成長期に1年で10センチも身長が伸びても、当の本人には時間の経緯とその変化の自覚がなかったりするものだ。それを教えてくれるのが、1年ぶりに会った、親戚のおじさんやおばさんの「大きくなったねー」だったりで。ここ数年、なりわいの百貨なプロジェクトを司る僕の仕事周りのアーキテクト、グラフィックデザイナー、アーティストたちと仕事をしていて、ふと、自分が彼女らのお父さんお母さんの年齢と同じだったりと、先生と教え子どころか、父と娘のような時間の距離がある事に気づかされて、年をとったんだなぁーと驚かされる。気分は、あの独立したばかりの駆け出しの20代のままなんだけどね。それは同時に、かつて見上げて憧れたスター・クリエーターたちも当然、還暦を古希を迎えていたりで、2度、驚かされてしまうのだが。去年はボツネタになってしまったが、日本の広告、グラフィックデザイン界の最重鎮、
仲條正義さん(74)に25年ぶりに仕事を依頼した。それも無礼この上ない、ボランティアな無償のお願いを。今年は、巨匠、浅葉克己さん(68)に10年ぶりに、これまたズーズーしくも、タダ同然にあらぬ私的なお願いを申し込んだ。大先輩のスターたちと、特別、深い親交があったわけではない。それどころか、2度3度しかお目にかかっていない。にもかかわらず、不思議なことに、ひとつ返事で快く引き受けて頂ける。そこが、僕には今もってよくわからないご縁の不思議なのだが。一ニ度の、しかも短い時間の出会いで快諾を受ける信頼関係が生まれているなんて。今は、堺屋太一さん(74)の私的プロジェクトを、何とか実現に向けて画策、奔走しているが、いずれの大先輩も、日本の広告、デザイン界で、国政、経済界での重鎮たち。その道での業績を称えられ、共に勲章を受けられている方たちばかりだ。そして、後ろをふりかえれば、親子ほど年の離れた、無尽蔵に未来ある後輩女子達に囲まれている。世代の役割をつなぐ。それが今の僕の使命か。時代の糊代。それが僕の宿命なのか。そもそも、生ける物すべてが中間ランナーにすぎない。命をつなぎ、命をつなげる為に、生きている間に会得した生き抜く知恵のバトンを渡す。

劇団ポツドールの舞台を3度ほど観て、目に止まった女優がいた。演技を観れば誰しも必ず印象に残るキャラだ。その後、縁あって彼女と2度ほど会った。名前を見れは、玄覺悠子という、これまた珍しい響きと字面で、記憶に残る名前だ。まだまだ軽いけど、新星、桃井かおりを彷彿させる度胸と愛嬌あるキャラは、今時希有で、当然、女優としては生きる道が細い。が、そんなキャラは希有なだけに、ひとたびレールに乗れれば、オンリーワン街道を、舞台で倒れるまでひた走れるだろう。しかし、現実は当然、業界もお客も、宮崎あおいを頂点とした今のトレンド、メジャーに目が行き、またその対極のお笑い系なキワもの女優が登用されるのが常。なかなか、そのど真ん中で、本格的な脇役の主役を張れる需要とチャンスが乏しく、道はそう生やさしくはない。そんな彼女の境遇と志に、僕は自信を失わずに胸を張って世間を渡っていけるように、巨匠、浅葉克己さんに印籠となるような名刺をお願いしたのだ。その名刺が出来上がってきた。まるで、『 浅葉です。。。玄覺をよろしく! 』 っと 浅葉さんの力強い声が聞こえてきそうな、心強い推薦状のような名刺にノックアウト! ひかえひかえひかえぇぇーーーー 「アサバ印」の後光の差す重鎮の印籠に仰け反った。この名刺は、「浅葉です。」っと裏書された信用書だ。浅葉さんにとって、その信用の証、裏書した玄覺悠子とは、初めて事務所に連れて行ってから、まだ2度ほど、しかも雑談で、時間にして2時間にも満たないだろうに。

人との出会いとご縁で、長く付き合える関係とは、長い人生の道のりで、池の飛び石のような関係ではなかろうか。たとえ時に間合いがあっても、いつ何時会っても、一瞬の出会いで、次の一歩が進められる。何か運という次に運ばれる目に見えない信頼関係が一瞬にして結ばれている。そんな気がしてならない。つい最近、大阪の三ツ山古墳を幼少期の遊び場にして育った、ブロンドのまだ京都造形芸術大学に通う学生アーティストと偶然出合った。英米二重国籍の学者を父に、生粋の浪花の母を持つ平成生まれの大阪っ子。彼女は銀閣寺の山すその、築100年以上は経つであろう鄙びた古民家で一人暮らしをしている。毎朝、鳥のさえずり、小川のせせらぎで目を覚まし、森の香りを深呼吸しながら、銀閣寺の湧き水をくんでの夢想家ぐらしだ。トミモとあきな21才。外見はハーフというより外国娘、キューティーブロンドそのものだ。僕は、この先どう化けるか、どんな花を咲かせるのか、わくわく、どきどき、そわそわ、うきうきしながら、また応援したいご縁に出会えてほくそえんでいるわけだ。ミックジャガーの隣人のような事が起こるのが人生だから。

【追伸】
末永いお付き合いのご縁とは「
ミックジャガーの隣人」ぜひご一読を。
浅葉さんには重ねて感謝!ありがとうございます。

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