2009/11/29

究極の無駄の無駄使い上手


「現代美術」 "Babies" Vanessa Beecroft

究極の無駄。それは人類の誕生だろう。石で塞がれた草は形を変えてでも、たくましく地中から生え伸び、自身の命を次ぎに残し枯れて朽ちて土に帰る自然循環に寄与する一介の命だ。地球誕生から46億年。生命誕生から40億年。人類誕生から400万年。そして、ボクは誕生から54年。1年の草も、100年の人も、1000年の木も、その種の寿命の中で、ただただ40億年、絶やす事無く命のリレーをして来たにすぎない。あらゆる命の正体。それは「ただ生き続ける」ということにほかならない。命のミッション。命の存在理由だ。「人は何のために生きているのだろう」と人は問う。その答は「生き続けるために生きている」だけなのだ。丸裸の人は数万年も続いた大氷河期を生き延びて来た。人の生の正体「生き続ける」は、絶滅したマンモスよりもタフだった。生命は誕生以来、手段を選ばず、唯一のミッションを守り生き続けて来た。それを種の進化と呼ぶ。一介の草に過ぎない人命は「生き続ける」生存のために生き抜く知恵の源「頭」を肥大化させた。「人間は考える葦である」とは見事なパスカルの名言。あらゆる生命の中で唯一、生存のために、脆弱な草が「頭」を持った種「人間」。この貪欲な人の生欲こそ、あらゆる生命の源「地球」を汚し、自然循環を乱し、皮肉にも自分の命さえ危機にさらす自己矛盾。その象徴が「2001年:宇宙の旅」に登場する、どの場面にも馴染まない違和な不気味な黒い物体モノリスだ。人間はすべてが完璧に調和した何一つ無駄の無い地球にとって違和な唯一の無駄な存在。だから、巷間 大流行りの「無駄狩り恐怖政治」は、人間の存在を否定する自己矛盾。「水清ければ魚住まず」純粋な水 H2O では生きられない。ギアに遊びがなけりゃ壊れてしまう。味とは何かもうひとつ不思議が加わらなければ生まれない。1902年。無駄がなけりゃライト兄弟は飛行機を飛ばせなかった。1969年。無駄がなけりゃ人類は月面に到着できなかった。無駄がなけりゃ美も味も存在しない。遠大な無駄がなけりゃ世界遺産は存在しない。究極の無駄こそ人間の証明なのにネっ。

「世界遺産」 The World's Heritage "Kinkaku-ji"

かつて、イサム・ノグチはこう教えてくれた。「岡田君 見てご覧 藻岩山の紅葉を人は美しいと愛でる」「しかし 人が作った大通公園の紅葉はゴミとして年間 何十億円も税金を使い掃除をする」「人の作る物は醜い」「何と手間のかかるやっかいな事ばかりしでかすのか」。そして、自身が作品を置いた造園から3年ぶりに立った京都の寺の庭で「自然が上手に私の過ちを消してくれましたねぇ」とつぶやいた。矛盾を心得てこそ、無駄使い上手な、真の人間の証明なりさっ。

2009/11/24

OOPs! Blue or Happy Tuesday.


新宿花園神社酉の市 11月23日(前夜祭)24日(本祭)

3連休明けは、12月が迫るもう月末。おっと。今日を乗り切れるのか?ブルーと出るか?ハッピーと出るか?朝からハードなチューズデー。週末は、今更ながらすっかりTwitter にはまって気分転換。ミーハーにも、Jane fondaDemi MooreKevin SpaceyDavid Lynch(映画監督)、Schwarzenegger(加州州知事)、Richard Branson(バージン会長)、Janet JacksonParis HiltonYoko OnoRyuichi SakamotoHillary Clinton(米国務長官)、Barack Obama(米大統領)を始め、村上春樹堀江貴文片山さつき小池百合子、等々、有名人さんをフォローして、彼らのTwitter(つぶやき)に遊ばせてもらう。夜なべ生活にはうってつけ。深夜1時過ぎ、切れたタバコを買いに裏のローソンに行くと、あいにくHOPEが品切れ。やむなく散歩がてら高島屋前のローソンまで行ったついでに酉の市の前夜祭で盛り上がる花園神社まで足を伸ばすも、さすがに2時でお開き。懐かしい見世物小屋まで並ぶ今夜が本祭。行けるといいなぁー。商売繁盛の縁起と活気を浴びなくちゃ〜もうもたない。さぁー行動開始! follow me always!

OOPs! by Vanessa Beecroft She is one of the favorite artists of me.

2009/11/23

僕が人生で一番欲しい言葉

12年前、僕の人違いで、デビュー間もないインテンショナリーズ鄭秀和と出会った。しかしその誤りは偶然にも待望の待ち人来り。超高速で意図、意思が通じ合う気持ちいい才能との出会い。思わず僕は開口一番「君を10年待っていた」と発してしまった。瞬時に意気投合した僕は、その場で抱えていた大役を彼に任せた。以来盟友。でも彼に言わせれば迷友だろうけど。その時、彼は僕のことをこう語った。「岡田さんはグラハム・ベルの1時間前の男」と。切れ味鋭い鄭さんらしい名言。早過ぎて不遇とは図星。ドキッと照れと冷や汗だった。21年前、再婚した我が2番目の細君は、未だあんなに回転のいい明晰な頭脳の女子に会ったことが無い早大後輩で、当時、18時台の帯ニュースのキャスター、アンカーウーマンだった。結婚間もないころ、彼女は僕のことをこう語った。「あなたは東大に入っても3日で辞めたわね」。そして「タッカー」を見終え映画館を出るなり「うちにも一人タッカーがいるわ」と。彼女は今のところ、僕の正体を、僕の真意を、僕の目指すものを、僕の生き様を、好き嫌いを越えて客観的に評した唯一人だろう。かつてジョン・レノンオノ・ヨーコについてこう語った。「世界で最も有名な無名アーティスト。誰もが彼女の名前を知っているが誰も彼女のしていることを知らない。」と。あぁー僕が人生で一番欲しい言葉。せめて、この意味を感じて欲しい。「ささやきが聞こえて」スルーせずにほんの3分。「ワグ・ザ・ドッグ」のダスティン・ホフマンの心境を。「セント・オブ・ウーマン」のアル・パチーノの真髄を。

写真は1964年に出版された「グレープフルーツ」"GRAPEFRUIT" A BOOK INSTRUCTION AND DRAWINGS のノベルティー。オノ・ヨーコ デザインのTシャツ。4年前にデッドストックをゲット。ヴィンテージ・ロック・Tシャツ でお馴染みのウォーンフリー( WORNFREE )社製。上写真がシングル版を一回り小さくした GRAPEFRUIT 初版。探しても見つからない幻の幻。


P.S. 今日もTwitter 効果で刺激されっぱなし。オノ・ヨーコつぶやきから彼女のサイトに飛んで、あらためて彼女のスゴさを思い出した。1980年、ジョンが銃弾に倒れた後、NHKのインタビュー番組を見て、僕は初めて帰依できる人に出会った。もう30年も前の話。76歳になる彼女は今も誰よりも最前線にいるんだから。敵わない。追いつけない。間に合わない。せめてこのTシャツ着て今日もがんばらねば。ジョンに、ああ語らせた彼女の深さ SMILE / IMAGINE PEACE / YOKO ONO PLASTIC ONO BAND をご覧あれって。

2009/11/21

つぶやき効果はてきめん

小学生の低学年のころだから昭和37〜8年か。田舎の親戚んちに泊まりに行った夏休み。久しぶりに会う歳の頃の近い従兄弟たちは、お互い成長期だから背丈も髪型も興味も会う度に変化していて、別段ライバル意識があるわけじゃないのだけれど転校生見たく一拍溶け込めない。しかし野山をかけて、森でクワガタ、川でザリガニ、海でアサリ捕りに戯れたり、無邪気な子供の夏休みを一週間も寝食共にすごしてしまうと、初めは久しぶりでぎこちない付き合いだった従兄弟たちともすっかり打ち解け合ったところに、初日は緊張と高ぶりで寝付けなかった布団に枕もすっかり馴染んだころに、もう明日は帰京って前日はやって来る。そして別れがたい切なさからか、朝から初日とはまた違ったぎこちない一日を過ごしてしまい、帰りたくないというより別れがたいという思いがこみ上げて、まだ現像されているはずのないカメラの中の祭りに花火に浴衣に下駄で写ってる屈託ない日焼け顔の写真が脳裏に浮かび、初日のように再び気が高ぶり寝付けない夜を過ごした別れの翌朝。駅のホームで窓越しに並ぶ見送りの従兄弟や伯父さん伯母さん。永遠の別れではないにも関わらず、一緒に過ごした数日間の思い出に後ろ髪引かれて「男の子だぜ」と、カッコつけようと振る舞う自意識も、ひとりでに決壊したあふれでる悲しい涙で小さくなる親戚たちの姿がうるんで見えなくしちゃう。少年は車席でしばらく号泣していた。恋人とのわかれとは違うジンとする胸の疼き。 それから30年。大人になってそんな思いをさせてくれた友人が僕にはふたりいる。アムステルダムに住むロビン・ノランとサンフランシスコに住むエイミー・フランチェスチーニ。彼らを空港で見送った朝。彼女にホームステイ先の家の前で抱きつかれた朝。あの少年の頃と同じ涙があふれた。そんな美しい思い出が蘇った。

フォーシーズンズホテル椿山荘東京の鈴木支配人のはからいで「錦水」にて初めてのしゃぶしゃぶを食するRNTの3人衆。左から、ポール、ロビン(兄)、ケビン(弟)。2001/9/9

一昨日、思いつきで登録した話題のTwitter(つぶやき)で、2001年9月14日の晴れた朝、千歳空港で見送った後ろ姿から8年ぶりにロビンと再会した。「見つけたよ」とつぶやいたら、彼は「キャー」と「忘れがたい楽しい思い出だった」って返して来た。地球人にとって「つぶやき」の効果はてきめん。うれしい Twitter デビューの産物だ。

RNT first japan 2001(A4四つ折りフライヤー)

ロビン・ノラン】Robin Noian. ジプシースイングジャズ・ギタリスト。Robin Nolan Trio(ロビン・ノラン・トリオ)通称RNTを弟のKebin Nolanと結成して15年。彼らは、1年の10ヶ月を世界中の音楽祭やジャズクラブをツアーし、年末の2ヶ月を郷里アムステルダムで家族と過ごし新作をレコーディング。メジャーデビューは彼らのホーム、アムスでの路上演奏中、偶然通りかかった故ジョージ・ハリスンに見初められて、毎年、NYの彼の豪邸での誕生日パーティーに招かれるようになった事。以後、リチャード・ギア&ウィノラ・ライダーの映画「オータム・イン・ニューヨーク」(2000年)のサントラを手がけたり、もう世界中の音楽祭で引っ張りだこ。詳細はcafeglobeのインタビュー記事を。

2001年、宮越屋珈琲社主の宮越氏からの依頼で、彼らの初来日ツアーをアレンジしたのが出会い。東京での公演は2日。青山の「ロジャック」と「フォーシーズンズホテル椿山荘東京」。札幌では4日間。「札幌グランドホテル/オールドサルーン1934」「札幌パークホテル/パーククラブ」「ホテル・クラビー札幌」「札幌三越」「サッポロファクトリー」「宮越屋珈琲本店」「ホールステアーズ・エスプレッソバー」での演奏。テレビの生出演メディアの取材、各ホテルの宿泊等のブッキング&現場マネージメントを担当した。真面目で謙虚なロビンとケビンたちと過ごした10日間はツアー最終日、グランドホテルの支配人たちとの打ち上げの席に911のライブ映像が飛び込んで来て、CNNのブレーキングニュースにかじりついたついた忘れがたい思い出となった。当時、ロビンは僕のノートPCから毎夜ホットメールをチェックしては世界各地からのオファーの対応をしていた。今は、ホームページでもマイスペースでも、そして、ツイッターでもコンタクトが取れるけれど、彼らの基本は路上演奏のインディーズ活動。ネット上のみで世界公演のブックとCDのセールスをし、ギターとマックを背負って世界を旅するIT時代のボエミアン。うらやましい今日の連続のシンプルライフだ。

2009/11/19

革命はつぶやきで連帯?



1994年生まれのフリー「検索」サイト、ヤフーから15年。フリー「メール」が普及し、お喋り「チャット」・生画像「ライブカム」・書き込み「掲示板」・売り買い「オークション」・各国語「翻訳」・見て話す「テレビ電話」が加わって、フリー「ホームページ」が普及し、フリー「出会い系」が普及し、お探し物&者との出会いは、お安い御用に。進化は続き、2002年ごろからのフリー「ブログ」の普及は、企業も個人も、いつでもどこでもいとも容易いニュース「情報」の発信者になって、フリー「音楽」フリー「辞典」フリー「地図」にフリー「動画」が加わって、「アイフォーン」が、そのすべてをポッケにつめて地球を歩く時代に。そして、とうとう溜息まで世界に吐ける「twister」がマストになった。みんな寝言も吐息も溜息もネットで速報する時代到来か。この先、人は一体何を公開するんだろう。どんどん表現が短く言葉を亡くす勢いだ。こりゃ自然に身をゆだねて「考える葦」なんてしてられない速度。世界は「ゲ」とか「グ」とか「エ」とか「プ」とか擬音、濁音、旬語の一文字をマンガの科目・ト書きの雲につぶやくんだから。しかもそれは、企業も個人も速報性のある職業・生活なら超有効&便利な最適メディア。今や国際人の名刺は「Facebook」、趣向は「MySpace」、寝言は「Twitter」、胸に「i phone」。人種も性差も老若も時間も距離も階級もあらゆる優劣・あらゆる障壁を無くしてボーダーフリー。地球上の人も企業も身近な存在。資源も情報もフリーに共有。革命は地球人をつぶやきで連帯?

2009/11/18

マイ・地図


子宮で渡された「人生の片道切符」。400万年来の生き抜く知恵が満載の「片道切符」を握りしめて、地球の一人旅も半世紀。帰り道は無いのだから、道に迷いようもないのだけれど、日々、あみだくじのような分かれ道を選びながら、行き止まり、袋小路、振り出しに戻り、と、彷徨う道なき明日という未知の連続には、少々くたびれました。はて。さて。この先、一体どこへ行くのだろうかって、その行き着く先は、老いて枯れて朽ちて土。んなこと旅の始めに先刻承知済みだか、見えている残り時間に、2つのミッションを仕上げられるのか?皆目見当もつかない。皺、染み、白髪、年相応の年輪を刻んだ外見以上に、心に刻んだ傷が痛むよ。覚悟した古傷以上に、不本意な新しい傷がね。

54年の来た道が刻まれたマイ地図を広げて。さて。はて。まて。嫌な手。良い手。小手。王手。うぅーむ。決め手。が見つからない。角川春樹を見習わなきゃかー。

2009/11/16

「ヴェルナー・パントン展」の帰りに

パークハイアットに寄ったついでに「ヴェルナー・パントン展」を覗きにオペラシティーまで足を伸ばした。その帰り道。また色々去来が駆け巡った。90年代に入って、当時の20~30代には60'sな気分は、よほど新鮮だったのか、イームズをシンボルに60年代インテリア&ライフスタイルが空前の大ブームとなった。以来、家具、インテリア、デザイン誌はもちろんの事、男女を問わずファッション誌に、ネット記事にネットショップにと、今なお60’sはニュースに事欠かない。はて。一体何故なんだろう?当時の震源地、いや震源者は、学生時代からビンテージファニチャー・マニアだった下坪君が1992年、札幌の円山で開業した「メトロポリタンギャラリー」。彼の情熱的発掘と丁寧な扱い&紹介は、時続いてアメリカ帰りのエンジニア須田さんによって1994年、目黒区鷹番に「アールデコモダン」のオープン、そしてレプリカショップ「モダニカ」によって大ブレーク。その黎明期を両名とデザイン談義で遊ばさせてもらった上に、企てのお礼にとIBM本社で使われていた刻印付きハーマン・ミラーのオリジナルチェアーを頂いたりした事を思い出した。そういや僕は、後輩デザイナーたちにギャラの代わりにマニアックなオリジナル家具を現物支給した記憶がある。その方が断然、喜ばれたのだから。

ヴェルナー・バントンといえば、どこかで見覚えがあるだろう、世界初のプラスティック一体成型の椅子「Panton Chair」(ヴィトラ社)で有名だが、そもそもは建築家。これまた北欧モダンでお若い諸兄に大人気のアルネ・ヤコブセン建築事務所に2年勤め、1955年に自身の建築デザイン事務所を設立。以後、デンマークからスイスに拠点を移し、ルイス・ポールセン社フリッツ・ハンセン社ヴィトラ社などから照明や家具、テキスタイルなど数多くのプロダクトを発表。1998年没後も世界で人気のプロダクツデザイナー。もっと早く、個展が開かれても良かったのにと、今回の初「回顧展」が不思議なくらいだ。


しかし、僕など1955年生まれにしてみれば、これら北欧モダンは、小学生、中学生時代、普通に家庭に社会にあった物たち。所詮、日用品のデザインだ。そんな近過去のレトロが珍しく今尚、若い人たちに新鮮に映るとは、個展で騒がれるとは、彼の普遍的デザインの力を賞賛するが、同時にとても悲しくなってしまう。見に来る若い人にも、買う若い人にも、今、あなた方がデザインした物が未来40〜50年後のお若い諸兄に感動してもらえる、普遍的鮮度あるデザインを創造しなけりゃいけないんで、見てる買ってる場合じゃないだろ!っと、激を飛ばしたくなってしまう。おまけに、彼の作品は素晴らしいがニール・ディナーリ風な本展の広告を見るにはがっかりだ。過去の人(バントン)の作品は未来的なのに、今の人(広告デザイン)の作品はディナーリを模した1997年止まり?とは。

人類の歴史はメディアの歴史でもあるから、新しいメディアが生まれる度に、そこに載せるコンテンツ(情報)が必要になるが、高速で地球を巡るネット社会では、企業も個人も、瞬間メディアに載せる為に情報を探しまわる、本末転倒ぎみではないだろうか。どこを見てもアート情報は必須科目。アートな情報ばかり。いい加減アート情報にうんざりしてしまう。東京は無限の鏡のようにリンクリンクで拡散し続けるネット情報と、もう無数にある大中小の国営から街カフェのギャラリーまで、個展個展な個展だらけ。飽和も越して大洪水。にもかかわらず、一歩、ネットを離れて、個展会場を出れば、どこにもアートな気分が存在しない不思議な世界。アートって、こんに必要なんだろうか?みんながアートに親しむ自由の謳歌は否定しないが、アートもアーティストもオーディエンスも、資金を出す企業も自治体も国も、不必要なアートの氾濫について、それこそ「見直し」「廃止」のために、必殺仕分け人による「仕分け作業」がいるんじゃないだろうか?100年後、1000年後にも残りうるアートとは、そんなみんなが喜んで楽しめるチマチマしたものじゃないって事は、歴史を見れば一目瞭然。その時代の人たちの常識を超えた荒唐無稽とも思える尋常じゃない情熱と行動によってもたらされているんだから。投資すべきは「企て1000年」級の創造プロジェクト。そうでなければ、未来に遺跡は「世界遺産」は残せないっす!ヨーだ。

ミクロの決死圏」Fantastic Voyage(1966)

ラクエル・ウェルチ Fantastic Voyage(1966)

中学2年生だったか、アポロによる人類初の月面着陸を、テレビによる人類初の世界同時生中継で体験した1969年。小学生で観た、グラマラスなラクエル・ウェルチに悩殺された「ミクロの決死圏」Fantastic Voyage(1966)と、ジェーン・フォンダのエロチックSFファンタジー「バーバレラ」Barbarella(1967)。中学生で理解不能に陥ったアーサー・C・クラークの原作をスタンリー・キューブリックが映画化した哲学的傑作SFの金字塔「2001年宇宙の旅」2001: A Space Odyssey(1968)。PCもCGも、第一ビデオさえないレコードの時代の思春期に出会った未来たち。以後唯一、村上隆を除けば、この原始的未来感を越えられない何て、PCもCGも使いまくりのクリエーター、アーティストたちって、一体どういう気なんだろう?

2001年宇宙の旅」2001: A Space Odyssey(1968)

民主化を求めた「天安門事件」、社会主義国の軍事独裁政権下で起こり始めた民主化の趨勢は「ベルリンの壁」を崩壊させて、一気に東欧の社会主義国の民主化をドミノ倒しした1989年。日本では昭和天皇の崩御による平成の幕開け。思想の対立20世紀の悲劇「東西の冷戦」が終焉して20年。一人勝ちに見えた金融資本主義もまた、瓦解して迎えたオバマ大統領と民主党政権の2009年。世界は、もはや紛争の火種だった石油から無限のエネルギー源「太陽」へと、誰の物でもない「海」「水」「空」「山」「地」大自然の共有意識を、かつての人権意識・民主主義の胎動のように持ち始めた新世紀。前世紀とは真逆に思想も政治も大きくシフトし、遅ればせながら経済も変わろうとする世界史を塗り替えた今、80年代で止まってしまったアートよ!アーティストたちよ!いいかげんレトロを愛でてる場合じゃないぜ!始まった新世紀の未来1000年後を見据えた創造をしなきゃー。思想>政治>経済>芸術なんて、順番が逆だろう〜。アートが率先して未来を切り開くんじゃなきゃ。もうアーティストの名前を返上してもらわなきゃ税金の広告宣伝費の無駄使い以上に、人類に有害な炭素とゴミを垂れ流してる場合じゃーないぞー!と、吠えたくもなりますって。前人未到の荒唐無稽の馬鹿の限りを未来の果てを吹いて何簿の商売なんだからさ。

2009/11/14

ボグナー(独)とマーロ(伊)と007(英)



ここんとこの北海道からの初雪頼りから、すっかり忘れていたスキーを勢い思い出していた矢先、気温もぐっと下がった金曜の夜、夏物から冬物へとクローゼットの入れ替えをしていたら、お気に入りの「マーロ」のセーターが出て来たので、そう言えば「ボグナー」はどこだろうと探し始めて、再びスキー気分が盛り上がってしまった。

母親がスキー選手だったことからか、大学時代はスキー部で半年は雪の上にいた30年前、ハイ・エンドな「ボグナー」のスキーウェアは、ゲレンデでもアフタースキーでも、スキー上手なお洒落さんたちのステータスだった。当時のスキーウエアは、今のようにスポーツウェアがストリートな街着になる遙か以前、ファッションというよりは、いかにもスキーウェアって感じの運動着。だから「ボクナー」の防水加工されたストレッチ素材の太うねコーデュロイのパンツなんて、スキーパンツらしからぬ街着風で、格段にスキーお洒落の上級者仕様。さらに大学を出て就職した先が、百貨店だったこともあって、店内のボグナーショップで、ずいぶんとセールや社員価格でお世話になった。

輸入車は芝浦のヤナセ。舶来品なら銀座のサンモトヤマ。メルセデスジャパンも、ルイ・ビトン・ジャパンも登場する遥か以前は、メルセデスは勿論だがワーゲンさえ、ひとクラス上の車。グッチもビトンもフェンディーも、サンモトヤマが輸入販売をしていた時代は、いわゆるブランドものは優雅なお買い物品で、物にも店にも敷居が高い格があった。この20年、車も服も資本と商売のグローバル化が進み、欧州のメーカーは、軒並み日本法人を設立してダイレクト出店の時代。ポピュラーになる事は否定しないが、あの品格あった時代が買い手としては懐かしくなってしまう。小学生時代に観た、加山雄三の『銀座の若大将』(1962)『アルプスの若大将』(1966)『ニュージーランドの若大将』(1969)や、ショーン・コネリーのボンドシリーズ『女王陛下の007』(1969)、オードリー・ヘップバーンの『シャレード』(1963)で、魅せられたアルプスでの優雅なスキー&ライフ。

あらゆる価値と規範がボーダレスに融解する時代の趨勢に、あえてアンチを唱えれば、大人と子供、ハイブローとポピュラー、クラス(垣根)は振る舞いや品格を学ぶ上で必要なのではないだろうか? 何て思ったりもする。日用品としてのユニクロのカシミヤもいいが、カシミヤといえば「マーロ」(伊)だとか、スキーウェアといえば「ボグナー」(独)だとか、アルプスの峰峰と欧州のクラス社会が育んだ、由緒ある老舗の芸技としきたり&現代に受け継がれたセンスもまた、教養を深める上で必要なのでは。ナーンってね。そうすりゃ、加山雄三の「若大将シリーズ」も、ショーン・コネリーの「007シリーズ」も、オードリー・ヘップバーンの「シャレード」も、発見がいっぱいあって美味しいはずですよー。

アイガー、メンヒ、ユウングフラウを一望する「女王陛下の007」のロケ地、シルトホルン・ピッツ・グロリア(Schilthorn Piz Gloria)には名物メニュー「ジェームス・ボンドの朝食」がある。

Bogner(独)1932年創業

ボグナー】Bogner(独)自ら冬期オリンピックに2度も出場したスキーヤーでもあったウイリー・ボグナーによって1932年、ドイツ、ミューヘンに設立。ボクナーはスキーを楽しむのみならず、スキー映画にも情熱を注ぎ、ショーン・コネリーの「007シリーズ」4作の撮影にも関わり、生涯で40本のスキー映画を製作した事でも有名。カメラワークでは受賞作多数の経歴の持ち主。創業以来、ドイツナショナルチームのスキーウェアを担当して今現在に至る。古くは、マリリン・モンロー、イングリッド・バーグマン、などのハリウッドスターが愛用した事でも有名で、50年代後期から60年代にかけてハリウッド映画のスキーシーンには欠かせないスキーウェアだった。

マーロ】malo(伊)1970年、フィレンツェにて現バランタイン(1921年創業)を率いるアルフレッド・カネッサ(Alfredo Canessa)が、スコットランド製のニットが全盛であったこの時代に、色目にこだわったイタリア製カシミアニット作りを目的としてフィレンツェ郊外に創業。以来、カシミヤニットといえばバランタイン・カシミヤと並び世界最高峰と名高い。中でもカシミヤ扱いの職人芸とカラーリングは世界一と評される。エルメスのカシミヤ・ニット製品は、すべてマーロが作る事でも、その品質の高さは折り紙付きだ。

P.S. 1978年、カシミヤ専門のラインとして創業した ブルネロ・クチネリ(BRUNELLO CUCINELLI)は、デザインもプライスもスノッブな今様貴族趣味で頼もしい。

2009/11/13

贅沢な観客


作品名「雪の結晶」アーティスト名「天」作品点数「物質の数×時間」

太古から未来永劫、どれひとつ大きさも形状も同じはない。見渡す世界は、見上げる宇宙は、同じものがどこにもない。散りばめられた途方もないクリエーションの数々。夜も昼も。雲も波も空模様も山景色も。虫も草も木も人も。地球は、宇宙は、天の作品だらけ。呆れるばかりのアーティストだ。所詮、一介の草と等しい「考える葦」の人は、ただただ「大天覧会」の広大な美のファンタジアに驚愕するばかり。おこがましくて己の作品など発表のしようもない。永遠に変り続ける一瞬の美の連続を、命ある限り楽しませていただく、天の創作したあらゆる物の中で、我々は唯一の贅沢な観客。お代も永代無料とは特権階級の幸。

永遠に変わり続ける作品のほんのひとつ「雪の結晶」。意志のない結果は美しすぎる。


永々の観賞権を与えられた「考える葦」の唯一の義務は「考える葦」を作る事のみ。

2009/11/12

ぬくい午睡にうっとり



写真は1997年のラルフ・ローレン「Home Collection」A4、3つ開きのカタログ。ローレンのインテリア部門では、「CITY」と名付けられたNYのペントハウスを意識したアーヴェインなシリーズと、この「LOGDE」と名付けられた週末の山小屋をイメージしたカントリーライフが大好きだった。このニュージーランドでのスキーライフいかしてません?モダン&プリミティブで。そして、何と言っても決まり手は、彼女の右手が彼の前髪に触れて、彼の腰からわずかお尻のラインが垣間見える。この2箇所がこの写真をキメている。うっとりするロッジでのラブエスケープを。ぬくい午睡の気持ち良さを。&オサレーなのは、ベッドの下に無造作に脱ぎ捨てられているオフホワイトのジーンズ。履き古されて馴染んだ生成り。これはお洒落上級生ネ。ダメージ利かせたメイソンズのライダーパンツもイケそうだけど。


荒い木の高床に、切り出したままの無垢な丸太の太い柱。全面シースルーのピクチャーウィンドー。屋根は錆び付いた、そのまんまのH鋼。雪山に建つ潔いミニマルデザイン。洗練されたワイルド。おまけは、ちょっとくさいけどハスキー犬。ローレンらしいのは、古道具のような、不揃いのカウチや椅子のセレクション。これがニクイ。


当時、このシリーズのラグ、ベッドスプレッド、ブランケット、ピローケース、クッション、などなど買いそろえてたものの、今では、みーんなタロのベッドまわりに。彼の生活のために買いそろえたみたい。飼い主は無印の毛布にくるまる難民キャンプなのにさ。

2009/11/11

僕のボサノバ物語(上)


新宿のDIGと並び時代のシンボルだった吉祥寺 funky

ボサノバとの出会いは、晩生でジャズに目覚めた高校時代の1970年、吉祥寺のファンキーで聴いたスタン・ゲッツの「ゲッツ/ジルベルトイパネマの娘だった。"The Girl from Ipanema"とは、なんとも素敵な初恋みたい曲名だけれど、当時は実験的な前衛ジャズと後のクロスオーバーの胎動期で、今でいうカフェ・ミュージックなんて平和な気分のラウンジ時代じゃない。ダークでディープでラジカルな戦闘的時代。だから、このレコードで、当時ジョアンの妻だったアストラッド・ジルベルトが「イパネマの娘」「コルコヴァード」2曲のボーカルを担当し、これが、アストラッドの歌手デビューであったとか、本作がビルボード誌のアルバム・チャートで2位の大ヒットだったとか、「イパネマの娘」もシングルで全米5位にランクインしたとか、果ては、グラミー賞でアルバムが3部門(最優秀アルバム賞、最優秀インストゥルメンタル・ジャズ・パフォーマンス賞、最優秀エンジニア賞)を受賞し「イパネマの娘」が最優秀レコード賞を受賞したなんて、まったく馬の耳に念仏。もっとも70年代初頭は、ボサノバも大ブームが過ぎ去り低迷期だったようだけど。だから、僕は大学を卒業するまで、ボサノバの風のような心地よさを知らないまま育ってしまった。


大学を出て、自分で初めて飼った犬が、ワイヤーへアード・フォックス・テリアのゲッツ君。かのスタン・ゲッツが名の由来。MP3なんかない時代。昼下がりの街ドライブ用に、彼女と南の島に行くっちゃー、もうカセットテープに録音録音。妄想したシチュエーション別に、オリジナルコンピレーション・カセットデープを作る作る。そんな1980年を迎えられたのは、学園闘争の時代が過ぎ去り、1冊の雑誌「Maid in U.S.A.」から届けられたウェストコーストの風が吹き始めたからだった。...つづく...

My First 犬. GETS君

1980年。25歳で初めて買ったマンションを全面改装して住み始めた最初の同居人ゲッツ。ありし日のオスマシ。

2009/11/10

仕事運を占ってみたら。

あまりの不調続きに、ネットで仕事運の占いをクリックしてしまった。あまりの大当たりな文面に驚いたけれど。ならば、このあんまりな不調はいったい何故?と、再び振り出しに戻りじゃないか。その占いは『薔薇十字魔術団のα姓名占星術』。恋占いもしてみよっと。

この先タロとボクはどうなるんだろう?わんわん!

【仕事】キミの仕事運は、「未来志向」がポイントだ。これから世界がどのように変化し、人々は何を求めるのか。これを念頭に置いて行動していれば、キミの仕事は半分以上、成功したのと同じである。目先の損得にとらわれていてはならない。そのような小さな成功は、ほかの人に任せればいいのだ。5年先、10年先を見通すことに、キミの仕事運がかかっている。最初は「そんな荒唐無稽(こうとうむけい)ないことを!」と、周囲から笑われるかもしれない。しかし、笑われることほど、大成功の期待が高いのである。

【10年後】10年後のキミに「なお若き挑戦者たる」笑顔が見える。キミの好奇心が損なわれることはないだろう。「あれもしたい」「これもしたい」という欲望の炎は、現在よりも激しく燃え上がっているようだ。ただし、一度に全部を体得しようと欲張ってはならない。ひとつのことに集中して、マスターすることだ。すると、弾みがついたように運命が好転していくだろう。財産や地位にも恵まれることも夢ではない。いや、キミはそれ以上に、人生の楽しみを満喫できる生活を選ぶことになるだろう。

P.S.「企て1000年。」って、あまりにも「未来指向」過ぎるのがいけないのかなぁ。「企て10年?」かい。それじゃしょぼ過ぎ。 早くトンネルを抜けたいよ〜

2009/11/09

寂寞のトワイライト

今年はいろいろ考えさせられる「サンドイッチの年」になった。始まりはリーマン破綻後の余波を受けてプロジェクトの途中打ち切り、仕事の激減から生活が苦境に立たさせる事態。時重なるように丸4年、公私に泣き笑いを伴にした恋人との別れ。それから半年。何をしてもうまく噛み合ない時の流れにどんどん焦りと不安がつのる悪循環。さすがのポジティブマンも、タフだったはずの心さえ負のスパイラルに落ち込んだ。勢いをなくすと世の常。弱り目に祟り目か、何人かの知人を失い、何人かの友人と思っていた人たちが離れていった。さらに、追い討ちをかけるように、ひと月ほど前からタロの様子がおかしい。小さい頃から後ろの右足が少し悪かった。だからちょっと、ビッコな走りだった。11歳になった今年の夏ぐらいからか、それまで表参道を何周でも歩きたがっていた彼は、とうとう1周も完歩する事が出来なくなってしまった。そのころから、やけにトイレが近くなっていた。歩きとトイレは直接関係はないと思うが、いずれも寄る年波。老化。そんな寂寥感まで積もる中、つい先月から時たま血尿がでるようになった。彼は小さい頃のしつけのせいか、とても我慢強く、平気で48時間はトイレを我慢できた。だから仕事で丸1日半ぐらいなら家を空けられた飼い主思い。もちろん2日以上ならホテルに預けるが、手間のかからない、父子家庭としてはいいヤツだった。今年早々から、散歩まで我慢しなくてもいいように室内のお風呂場でトイレを教えた。それは僕にとっても10年間、雨の日も雪の日も毎日欠かせず2回、外にトイレを兼ねた散歩に行かなければならなかった事からの解放でもあって。


日曜の夜、帰宅してからトイレをさせると具合が悪い。少量ながら何度も血尿を出す。トイレの度にお風呂場もタロもシャワーで洗う習慣だから、すぐもよおす状態のタロはお風呂場から律儀にも出たがらない。洗ってはバスタオルで拭いて乾かしての繰り返しを避けている。そうなのだ、とにかくバスマット、バスタオルと、タロのベットの大判タオル、いずれも3枚の替えがあるにもかかわらず、毎日ヘビロテの洗濯洗濯に追われてきた。今夜はタロの具合に付き添って、僕はお風呂場の前で寝る事になりそうな気配。タロは、まだパピーだったころから予防注射とガム(育ち盛りに犬が歯磨きを兼ねてかじる骨)を喉に詰まらせた時以外、獣医にかかった事のない健康優良児だった。僕も犬も否応なしに来る老いとつき合わなければならない季節が到来したんだなぁ。タロは11年前に亡くした子供の身代わりに飼う事にした犬。本当に長生きして幸せな生涯をおくらせたい。たとえ小春日和が続いても、心身ともに暦どおり立冬もすぎた寂寞のトワイライト。泣き言も呟きたい日があるさ。

P.S. 帰宅したらロビー階にある宅配ボックスに小包が入っていた。東京に都落ちしてから6年来の息合う希有な友人Mさんからだった。開けてみると、下宿生活をしていた高校時代、不憫に思う母親が、ある物、買い足した物、思いつくままに食品を詰め合わせて送ってきた事を思い出す、バラエティーな食品の詰め合わせだった。有名雑誌の編集長を務めたMさんならではイキなみつくろい。そこは昔の母親とは大違いな品々。弱っている独り身には堪えた事情を知る友のはからい。『ごちゃごちゃ。陣中見舞い!』と走り書きされたカードに胸が詰まった。捨てる神あれば拾う神あり。人生は捨てたモンじゃないネ。今日もまた正念場。がんばらなきゃ。「あと一歩の踏み出す勇気」を持って。

2009/11/08

僕は大きい女(ひと)がお好き。

僕は170㎝を少し下回る。20代のころから当時の日本のサイズ表示ならMサイズ。しかしここ10年はSサイズだったりもする。30年もたてば日本人の体型が様変わりしたからだ。もちろん海外ブランドなら、昔からXS。だからというわけではないが、結婚相手もガールフレンドも、僕よりは小さい女性たちだった。しかし40を過ぎて出会った今のところ最期の恋人は、僕とほぼ同じ背丈。彼女は男の無骨な肉体とは当然違い、まるくふくよか。やわらかい厚みがある。初めて彼女を抱きしめたとき、その未体験の大きさに僕は目覚めた。まるくやわらかいあつみとおもみ。えもいわれぬ安堵の温もりが僕の両腕に溢れていたからだ。僕の女性観を変えたボディ革命だった。


毎年ウーマン・オブ・ザ・イヤーでもお馴染みの女性ファション誌 GLAMOUR(グラムール)が、2009年9月号で発表したスーパーモデル Lizzie Miller (リジー・ミラー 20才)のプラスサイズボディのヌードフォトが世界を驚かせた。かねてより同誌は、女性美について多彩な扱いをしてきたが、スーパータイニーを要求されてきたスーパーモデルのぎりぎりファットな豊満の美は話題騒然。ここひと月で、TV、新聞 各紙から、さらにネット版を通じて世界中の女性誌サイトを駆け巡り、あっという間に彼女のキャリアをスターに押し上げた。もう世界中の女性たちから歓喜と賞賛のコメント&メールの嵐。その勢いは『Are You Ready to Start a Body Image Revolution? Oh, Wait--You Already Did!』と題された最新号で、さらに6人のプラスサイズ・スーパーモデルが加わった大特集が組まれるほどに。それは見ての通り、タイトル通り、美人革命の始まり。過去の女性美像はノックアウト。

"Are You Ready to Start a Body Image Revolution? Oh, Wait--You Already Did! "
Who says supermodels have to be superthin? There’s a new definition of gorgeous—and you’re about to write it.
Seven total knockoutsFrom far left: Crystal Renn, Amy Lemons, Ashley Graham, Kate Dillon, Anansa Sims and Jennie Runk. Bottom Center: Lizzie Miller. read more glamour. photograph: Walter Chin. プラスサイズ・スーパーモデルのゴージャスな美しさに感動するが、絶妙なバランスの安定感ある写真も、また美しい。


GLAMOUR〈グラムール〉

肥満と豊満のちがい、現実のアメリカ女性の体型にそぐわないファションデザイナー、アパレル業界の意識、サイズカテゴリーをも変える、女性美の意識革命についての詳細は、グラムール・ネット版に異例の5ページにわたるレポートが。世界に与えた衝撃の大きさを物語る。詳細は GLAMOURへ。同誌のプラスサイズ・スーパーモデル関連記事はこちら。

2009/11/07

amazon.com で初めて買ったCDは...

先日、マイミクさんでもある北海道の彫刻家さんのmixi日記で、初雪の降る夜に出かけた公民館でのボサノバ・ライブの記事を目にした。彫刻家さんとは、ちょうどにまつわる四方山話をmixi上のコメント欄で交わしていたおり、日記に綴られていた、ボサノバの調べからイメージされる時間と景色のくだりに火が付いた。ボサノバに気持ちよく乗せられてすぎゆく時の流れと風景。とっさに『僕のボサノバ物語』が燃え盛り勢いタイプしだすも、どうにも思い出せない出鼻1曲目にして水を差される。ジャケットは浮かぶ。色目はボッサ。がしかしデザインは安っぽくボッサ臭くない。ただのラテンのインディーズって感じだった。曲も6分くらいはある稀な長さ。ただただ、歌詞の伴わないスキャットのような歌唱法で繰り返される何かの擬音が小気味よかった。ポルトガル語のリピートが6分でも短いほどに恍惚を誘う心地よさだ。おまけに、これまたボッサらしからぬジョニー・ハートマンを彷彿させる男性の声。もうすべてが異例ずくしで体に刻まれた1曲。頭の中では、その旋律と響きが何度も何度も再生されているのに、アーティスト名も、アルバムタイトルも、曲名も、まったく思い出さない。その日から一週間。ズーッと様々な記憶の欠片を打ち込んでは検索すれども、さっぱりたどり着かない。手がかりさえ掴めない。とうとう手が尽き、その「スキャットのような」まで打ち込んでみた... すると現れました手がかりが。ポルトガル語で、かえるの声のようなスキャット『O sapo』。そうだ思い出した。かえるだ。早速、検索キーワードに「The Frog」を追加してみると、ついに、youtubeで Eliane Elias がカバーしたその曲を発見。手がかりの連鎖から思い出したポルトガル語のかえる『A Ra』。ところが、ボサノバの神様 João Gilbertoジョアン・ジルベルト)と、ボサノバの歌姫 Eliane Eliasイリアーヌ・イリアス)止まり。やっぱり超マイナーだったんだよなぁー


即座に思い出せない人名、地名、映画のタイトル、曲名ほど、いらつくものはないが苛立も限界。人間、崖っぷちで閃くものだ。捜査の基本。原点を。そうこの曲との出会いだ。たしか2000年ごろか、MP3が普及し始めのころ、出来立ての MP3.com はインディーズの発表の場として活気に満ちあふれていた。そこで Free Music を夢中で見回っていたら偶然見つけた新鮮な歌声の Fly Me to The Moon ♪。歌うはカナダのジャズトリオ Peter Drury Trio。そして、今、探しまわっているボサノバのスキャット「X」を発掘したんだっけ。その2枚を、まだ .jp が誕生する前の amazon.com から、恐る恐る初めてのネットでお買い物。アメリカから取り寄せた、あの時の注文書が絶対保管してあるはずだ。探してみるものだ。ついにたどり着いた2001年2月15日付けの注文書には、アルバム名「Encontro」エンコントロ(遭遇)アーティスト名「Rio Bahia」リオ・バーイア。お代はCDが $12.99 に送料が $22.98。トータル$35.97と記されてあった。それで見つけた以下、画像と試聴サイト。グーグルでも2〜3件しか無いところは、ほんとにマイナーだったのネ。うわぁーこれでやっと物語の始まりだ。amazon.com で初めて買ったCDは... たぶん別れた彼女の車の中にあるんじゃないだろうか... 僕のラストノーツとして... どんな時を奏でているやら。

Encontro Rio Bahia 1998 

Rio Bahia の「A Ra♪、ほんのさわり20秒ぐらいが試聴できます。神様ジョアン・ジルベルトの{かえる}♪はもう軽快に飛ばします。歌姫イリアーヌ・イリアスの{かえる}♪は、神様とは一味 今 風味。ご興味あればぜひクリックを!いずれも試聴が可能です。近年、イザヴェル・アンテナも{かえる}♪をカバーしていたけれど、彼女のもっさりフレンチが、かえるの歌で軽妙なテンポ。これ意外にも新鮮◎かも。

P.S. これで喉の詰まりはすっかり取れて、すっきりはしたものの、1週間に渡るあらゆる検索の末、Rio Bahia(リオ・バーイア)と、奇妙にもブラジルの地名を名乗るアーティストは、1998年にリリースしたこの1枚のみとは不思議が残る。何故なら、歌声はジョニー・ハートマンを一瞬よぎらせるほど甘くアダルト、アルバムとしてもシック洗練されているのです。なのに10年以上も前にたったの1枚しか軌跡がない何て。そのクール度は1999年、アマゾンに残された唯一のコメントにもこんな賞賛が。「If you love Bossa Nova, Samba, or any of the South American genres, you are sure to love Rio Bahia. The music is clean and elegant. It is complex without being at all tedious or assuming. This is a must for your personal Christmas list!」マジふたりのイブに使える1枚なのにネ。謎は深まるばかりです。ジャケ変えればイケルのに♪

 
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