◆1990年の晩秋、ちょうど今頃だろうか、もうすっかり家族ぐるみで幼馴染のような関係になってしまった、後に今のところの最後の結婚相手となったKちゃんから電話が入った。4つ下の聖心出のKちゃんは、3代続く全国的にも有名な食品加工会社を営む両親との実家暮らし。僕が35歳当時だから31歳の令嬢様だ。弟、妹は、すでにそれぞれ医者として独立を果たし家庭を持っていたので、長女ただひとりが生家の子供部屋を住みかに、もはや死語だが家事手伝いという、今で言えば気まぐれなフリーター家業。「パラサイト・シンデレラ」何て、嫁に行かない娘を指す流行語が飛び交っていたころだ。◆用件は、彼女の実家では何代にもわたって交配しては飼い続けているヨークシャーテリアが数匹いるのだが、その行きつけのブリーダー兼ペットショップで、当時としては珍しいミニチュアダックスの小柄なメス犬が店頭に出ているので見に行かない?という誘いの電話だった。というのは、「いずれ年老いたら小型犬の中でもミニチュアダックスを飼いたい」と、たわいもない茶飲み話の中で僕の母親がもらした呟きをKちゃんに話した事があったからだが。まぁ~たぶん母親にしてみれば、冗談半分、本気半分で、現実味の無い独り言だったのだろうが。。。 ◆Kちゃんのメルセデス4マチック・ワゴンの後を、僕は当時の足、たしか紺メタのローバー・スターリングだったか?に乗って付いて行くと住宅街の中にポツンと1軒、表立ってペットショップらしき看板もない普通の民家ような店にたどり着いた。まだペットブームなんて起きるはるか前の話で。K家とは家族ぐるみの付き合いも長いらしいそのペットショップに入ってみると、小柄な一昔前の水商売上がり風なママさんに出迎えられるや、すかさずKちゃんが「見て見て!」と、得意満面に指をさした。スムースで丸裸ゆえか、何匹もの子犬がしっぽをフリフリお客に擦り寄るサークルの中で、茶色の子犬が毛布に包まって1匹だけ特別なお嬢様扱いを受けていた。細面のギョロ目がお姫様輝き。「うぁ~かわいい」 なるほど犬好き、犬の目利き、Kちゃんが押すだけある別嬪さんだ。かなりの迷いはあったけれど、というのも、母親は天邪鬼で口が悪く素直には受け取ってはもらえまえと、贈ったときの思わず腹の立つ親子喧嘩が目に浮かぶからだったけれど、僕は即断即決で、その寒がりなお姫犬を友人価格で買うことにした。
写真は、たぶん4~5歳のころのBeBe。当時の我が家でお雛祭りの祝いに母親がBeBeを連れてきた時のおすまし。
◆僕は親からすればどうしようもない放蕩ひとり息子らしく、15才で親元を離れて以来、何をしても、何を言っても、だだの1度も褒められた事がない。それどころか非難、中傷の嵐で、絶縁、犬猿の関係だった。が、何のあてもなく27歳で会社を辞めて独立してから、幸いにも海の者とも山の者ともわからないペーパー・アーキテクトに、大手ゼネコンや内装施工会社、広告代理店などから仕事が舞い込み、お陰さまで新人デビューの勢いか、そこそこ名も通り、社会的にも経済的にも一段落つけそうな状況だったころで、ここはひとつ、くだんの親子仲たがいの解消の一助にと、今まで何も親に贈り物をした事がない放蕩息子としては、その落としまいをつけるきっかけに、あの呟きのミニチュアダックスを贈ろうと決めていたのだった。 ◆僕は生後2ヶ月のその子犬を12月のクリスマスに贈る計画で家に持ち帰った。クリスマス直前に買えばいいのにと思われるだろうが、何せ次はいつ何処で売りに出るかもわからない当時としては稀な犬種。今、手にしなければとの決断だった。そんな、やむなくの強引な先物買いも、考えようによっちゃ~、トイレや無駄吠えのしつけをするには好都合な2ヶ月。もらった方も、しつけ済みで飼いやすい状態での贈りものなら少しは素直に受けてくれる確立が上がるのでは、と、とっさの算段で。 ◆当時、僕のカミサンは夕方6時台の帯ニュースで全国的にも名をはせた流行りのアンカーウーマン。世間的には、4つ下で早稲田の学部こそ違え、後輩局アナと、方やブルータスや建築専門誌でブレークしていた新進気鋭のデザインプロデューサー、そんな時流の「ダブルインカム・ノーキッズ」カップルだ。当人同士も、仕事的にも経済的にも、そして何より、会話のレスポンスが心地いい相方で、お互い自分名義のマンションも所有し、もう何不自由ない夫婦だったのだが、何せすべてはこの1日の出来事。カミサンに何の相談もなく買って持ち帰ったわけで、犬を飼った事のないカミサンにしてみれば、トイレのしつけ、ご飯のお世話、夜鳴き、遊び相手と、しつけが終わるまでは自分の思い通りにはならない赤ちゃんが突然やってきたようなもので、家は怪訝で不穏な空気になってしまった。今みたく携帯メールがあるわけでもない時代、店頭でワンコの写真を撮って送ったり、メールでそれとなく情報を洩らしては根回しなんてできないわけだから。しかしそこは聡明な彼女の事、僕の思惑は即座に理解してもらえたが、いきなりの慣れない子犬が加われば、今朝までの生活リズムは狂わされてしまう。そりゃないよねだ。 ◆すっかりこの件でカミサンにも迷惑をかける事態。思わぬ足元での誤算に事態打開を苦慮していたら、幸いそんな事情を聞きつけたKちゃんのお母さんが2ヶ月ならしつけ期間にあずかるわと、犬好き一家の助け舟に甘えて一時里親に出す事になった。これで12月までの間合いに、それとなくやっかいな母親への地ならしもできるわいと、思わぬ一石二鳥に安堵した。
写真は、すっかりかけがいのない家族の一員となって実家で大好きなボール遊びに興ずるBeBe。たぶん6~7歳くらいのころか。
◆彼女の名前はBeBe。グラマー女優の大御所ブリジッド・バルドーの愛称だ。華奢なミニチュアダックスの姫がブイブイ言わせて元気なおてんばじゃじゃ馬娘になってもらいたいと、この計画を思いついた時から決めていた。 ◆12月に入ってKちゃんのお母さんから「いつごろ引取りに来るの」との電話が。そしてクリスマス直前に引き取りに行くと、寒がりなBeBeは細長い胴に淡いグリーンの服、いやいや長い腹巻か?を着せられていた。それは実にKちゃん宅らしく、お父さんの着古したカシミヤセーターの袖を切ったものだった。今時の安価なスカスカのカシミヤではなく、肉厚のそれでいてふんわり軽い優雅なセーターの。さぁー準備は万端!これでいよいよマナースクールも卒業してカシミヤを着たレディーBeBeのデビューだ。僕は満を持してクリスマスイブに、大人になって初めてのプレゼントを母親に贈った。。。 ◆「何でこんな生き物を買ってくるの!」 想像通りの第一声。そして、数日後には新聞に「子犬譲ります」との広告を出す始末。何件かの問い合わせがあったらしく、電話で相手と交渉したらしいのだが、帯に短し襷に長し。そしてそこは別嬪BeBe。母親も数日間、この厄介者と過ごしているうちに、BeBeの愛嬌、器量にほだされたのか、親心がついたのか、結局、ブツブツ言いながらも、BeBeは実家で飼われることとなった。「あっ そこはダメ!」「BeBe!ダメ!」「何度言ったらわかるの!」と、母親は小言、叱責、文句を四六時中BeBeに浴びせながら。果ては、「よりによって何でメスなんて買ったの!生理で家が汚れるじゃない」と、とうとう生後数ヶ月の可愛いパピーに避妊手術(子宮摘出手術)を施してしまった。やれやれ、想像以上の展開となった。 ◆しかし、その日以来、17年間、BeBeは母親と共に過ごした。7年後に僕がKちゃんと再婚した時にも、子供を亡くして離婚した時にも、父が癌に倒れ74歳で他界した時にも、立て続けて同年、同居していた母親の父、つまり祖父が96歳で他界した時にも、母親のそばにい続けた。その母親も一人暮らしになってすでに7年。かつての罵倒、叱責はすっかり影を潜め、BeBeとの会話も「おかあしゃん」はと、赤ちゃん語となってしまった。だからお役目を無事終えたのだろうか、2008年10月3日、午前4時ごろ、BeBeは老衰で永眠した。17歳と1ヶ月。 「あぁー、次は私の番だね」「BeBeを見送ったから」 74歳の母からの写メに涙が止まらなかった。不肖の一人息子の身代わりに母親を支え続けてくれたBeBeに感謝。ほんとうにありがとう。天に召された最愛の君に合掌。父が死んでも、祖父が死んでも、涙ひとつこぼれなかったが、けな気な小さな僕の特使、君は永遠に僕の愛する宝だ。
安らかに永眠。おつかれさまBeBeちゃん♪
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【長い追伸】
◆つい最近、著名な女流テディベア作家とネット上で知り合った。始まりは彼女からのコンタクトだったのだが、この時期にテディベアを思い出させる出会いに、僕は何か説明のつかない奇遇な因縁を感じていた。というのは、日本のテディベア界を一躍、表舞台に組織化、宣伝に寄与した「ハニー」の創業社長 小野塚万人氏と、同社の企画担当専務 佐久間由紀子さんとは、そもそも僕の独立デビューに深くご縁があったからなのだ。デビュー作の商業ビル「vivre」を計画していた時、ビルの要に、かつて代官山の第二期ヒルサイドテラスの開業時にオープンした、日本の雑貨ブームの起源でもある伝説の「スイート・リトル・スタジオ」がイメージに湧いたのだが、その運営会社がポップなキャンディーで有名だった「ハニー」で、僕はぜひスイート・リトル・スタジオのような生活雑貨店が欲しいと小野塚社長に嘆願に行ったのだ。そして、縁あってvivreには、ハニー直営の新業態雑貨店「インプレッション」第一号店が誕生したいきさつだ。以来、ハニーはその後の雑貨ブームに乗って、1年中クリスマスを扱う「クリスマスカンパニー」、贈り物のラッピング専門店「リボンシンジケート」、テディベアーを扱う「カドリー・ブラウン」と、立て続けに地元、代官山に店を出し、今日の代官山のイメージ作りに貢献したのだが、バブルが弾けて、最後に力を注いでいたテディベア事業が足かせとなって伝説の「ハニー」は姿を消した。 ◆僕はデビュー作のvivreで第2回都市景観賞を頂き、今につながる好スタートを切れた。そして、何と、今のところの最後の結婚相手となったKちゃんとの出会いが、その「インプレッション」だったのだ。麗しのBeBeとの人生をもたらした彼女が、その第一号店の店長さんだったのだ。僕はテディベアの作家さんとの出会いで、もはや四半世紀にもなろうとしているこの間の自分史を思い起こさすにはいられなかった。 ◆そんな折、前回のブログの記事のとおり、ハロッズからのクリスマスメールが届き、そうだ!今年もBeBeと母親に、それぞれ高島屋オリジナルの熊を贈ろう♪ 何て一足早く、年末に思いをめぐらしていたのだ。昨年から始まった新宿高島屋のオリジナル・テディベアは安くて可愛い逸品。僕は昨年、かつてBeBeを贈って以来初めて、母親に銀の中熊を、そしてBeBeには赤の小熊をクリスマスプレゼントに贈った。たまに来る母親からの写メに年老いたBeBeの姿があまりにも愛しくて。◆そして、奇遇はまだ続きがあったのだ。そのブログを書いて間もなくの10月1日の夜。「ご無沙汰しております。18年ぶりです、岡田さん!」という件名のメールが届いた。僕が40を過ぎて、再び東京に都落ちする遠縁の1つとなった元クライアントの会社におられたデザイナー女子からのメールに驚いた。メールの送り主の事は、すぐには思い出せなかったけれど、記載されていた、退職の餞に送った「ジュエリーボックス」と「メモ」のくだりで、一気に18年の時は目覚め、あまりの懐かしさに翌2日、電話で昔話と近況に花咲かせたのだった。 ■
写真は、昨年のクリスマスに贈った高島屋のテディベア。母親からの届きましたのお礼と報告の写メ。2007年がBeBe最後のX'mas♪となった。よもや、それが、17年間で、僕がBeBeに贈った最初で最後のプレゼントになろうとは。
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送信者:S
宛先:yoshi@jfun.jp
件名:ご無沙汰しております。18年ぶりです、岡田さん!
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2008/10/01/20:35
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岡田さん
ものすごい長い時間ご無沙汰しております。
札幌のNという会社にいた、Sです・・・覚えていらっしゃらないでしょうね~。
「絶対ネット上で探せる。」という自信を持って岡田さん探しをしました。
実は私、モノ探しが得意なのです。
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お元気ですか?
大忙しのご様子ですが、「やっぱりね」という感じです(笑)。
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こうして突然メールを差し上げたのには理由がありまして。
さっきまで部屋の大掃除をしていたら、
Nを辞める時に岡田さんからいただいたジュエリーボックスの下から
「新しい宝物をいっぱいつめて下さい。1990.10.15 岡田」と書いてある
エア・メールの青い封筒が出てきました。
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嬉しかったです。
あの日も嬉しかったです。
本当にありがとうございました。
改めてお礼が言いたくてメールしました。
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岡田さんの言いつけ?を守って、
あれから今日までパープルの箱の中は新しい宝物でいっぱいにしています。
カタチのある物やら、そうでないモノやら、ごった煮状態ですが。
今後ますます増える予定ですよ。
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東京もようやく涼しくなってきたようですね。
札幌は寒いです。
秋本番です。ナナカマドの実が赤いです。
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お体に気をつけて、これからもますますご活躍ください。
ブログも楽しみにしています!
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ではでは。
S
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◆事の始まりを回顧させたテディベア作家との出会い。続いて、あまりにも早すぎるハロッズからのクリスマス・ベア・メール。止めは、予想だにしない18年ぶりの便り。まるで畳み掛けるような3つの奇遇が重なり、僕は20年の時を噛みしめる金曜の夜をまんじりとすごしていた。清々しく晴れた翌朝、何かに突き動かされたように、僕は母親に携帯メールを送った。 携帯が鳴った。 電話に出ると 「2日間眠れず看護して今朝、4時過ぎにべべは安らかに息を引き取ったよ」 「、、えっ、、、ど、、どどうして連絡してくれなかったの!?」 「とても連絡できる心情じゃなかった」。。。 母親は食事を取らなくなった1日の朝から寝ずにBeBeのそばで声をかけ続け、一心不乱にBeBeと過ごした17年間の思い出を耳元で語り明かしていたのだった。夜が明けてから、花とBeBeが大好きだったおやつを買いに近所のスーパーに行き、ひとしきり別れをしたあと、叔母に付き添ってもらいBeBeの亡骸を荼毘に付した。 生あるものはいつか死を迎える。その年月の長尺にかかわらず、生きた事の最大の価値は思い出に残る。 しかし、永遠の別れは辛い。だから一期一会。二度とない今を思いの丈、目一杯生きなければ。 BeBeちゃん♪ありがとう。。。