2008/10/31

11月1日のエスプリふたつ

昨夜の総理大臣発表「追加・緊急経済対策」のように、メディアと識者と庶民という名の世間の最大公約数は、いつも口を揃えて「そんなのいらねー」「効果がねぇよー」「ダメ・ムリ・デキナイ」と、何をやっても、何をいっても、クソミソに、ネガティブ大合唱なのが日本なんですがー。不思議な事に、選ばれしアスリートたちを「ダメ・ムリ・デキナイ」と、その世間様が酷評、パッシング、悪風評を浴びせ、怪我、病気、資金難、といった苦難さえ、知恵・技・汗・血に涙を流して乗り越えた果てに、手にした金メダルは当然ながら、たとえメダルに届かなくたって、失敗したって、「夢はかなう」「希望を持ち続けることの大切さを学びましたー」「感動です!」などと、ポジティブの大合唱にゆれるのもまた日本。国家運営だって、あらゆる可能性をダメもとで万策尽くすのが、事態打開の唯一の道なんですけどねー。国民から民主的手続きをへて選ばれし一国のリーダーは、何ゆえ全国民を敵に回さなければならないのか、イジメ大国日本のシンボル?なぜそんなに孤立無援の孤高の存在に貶められるのかなぁー。そう言う減らず口をたたく我々の困難を解決する為に火中の栗を拾う奇特な熱血漢に向かってネ。失敗しても、「もういっちょうガンバレー」「まだまだやれるー」何てエールの一言もかけられない野暮天大国。まぁー、世間の最大公約数の節操のない矛盾には、ほとほと呆れてしまう53年間ですわー。さて、そんな今日の歌舞くモンは、見事なエスプリお2つです。ルイ・ヴィトンの「東京ガイド」とティファニーの「携帯電話」。


1837年創業の宝飾店 Tiffany & Co. からは1298万円の携帯電話が10台。1854年創業の馬具・旅行鞄店 LOUIS VUITTON からは4200円の東京案内本が、ともに明日、11月1日発売される。ティファニーは価格がいいね。メルセデスクラスを足としている生活者なら1298万は適価だろう。しかも、さり気ないプラチナとダイヤのあしらいが目立たず目立つ20カラットのエスプリだ。ただソフトバンクは、この粋がわからずとみえて、たったの8台(10台中、2台はCF主演の上戸彩と樋口可南子にプレゼントの事で)しか販売しないとはねー なんてダブル野暮なことか。日用品だもの100台でも即完売いけるのに。一方、ルイ・ヴィトンの『ルイ・ヴィトン シティ・ガイド 東京 2009(日本語版)』は、「世界大流行中のTOKYO」のワケを知りえてのセレクションこそがエスプリ。おフランスの真骨頂だ。なのに相変わらずTV、新聞とマスメディアは、意外にもカプセルホテルが選ばれていたり、新宿ゴールデン街から選ばれていたり、と、口をそろえて「あのルイ・ヴィトンが意外にも」を連発し、粋を野暮に語りまくっているけれど。。。さて、そろそろ週末の表参タロ散歩がてら、ソフトバンク表参道店を覗いてこよっかなっ。ここにしかないらしいエスプリ携帯をながめにワン♪ワン♪

【おまけだワン♪】
スキ駄モンなエスプリ感なら、こちらをドライブくださいな! 「助手席の悦楽」 を。何でもない白Tにジーンズ。そのポッケにシンプルな1298万円のデコ電って感じっス。

【おまけだワン♪ワン♪】

『TAROのTOKYOガイド』


原宿駅&タロ のどかな原っぱだった証の駅舎

工事中のディオール&タロ  表参らしい工事現場

東京都庁舎&タロ  東京らしいポストモダンのシンボル

ドコモタワー&タロ  東京らしいキッチュなはりぼてNTT

ギャップ本社&タロ  英犬タロはサファリを植民地化

工事中のプラダビル&寝癖顔
イサムノグチの灯りのような「新・日本建築」

代々木公園&タロ 「印象派」の起源は日本よ

それではみなさま。よき3連休をお過ごし下さぁーいだ。ワン♪ワン♪ワン♪

2008/10/22

海抜0メートルからの東京スカイライン


まったく宣伝をせずに東京湾に船出したにもかかわらず、もうすっかりクチコミだけで定着した感のある「The Floatinng Bar "jicco"」。松本零士デザインの未来チックな船のバーだ。週3日、木・金・土の20:00~日の出桟橋~お台場間を3往復。風情ある屋形船とは対極なHIPな東京湾の舟遊び。着席でマックス95。こんなスタイルなのでデッキで潮風に髪をなびかせて、なんてわけにはいかないし、高さがない分、逆に低いアイレベルからの波間に写りこむメトロポリスの夜景とレインボーブリッジ抜けは新鮮な大人の逢瀬に◎。ボーディング・フィー(1ドリンク付き)2500円で、一度、乗船すれば何時間でもいられて、もちろんその後の飲食は別メニューだが、毎日、スムース・ジャズ&ボーカル、流行りのポールダンサーやベリーダンサーのショーはあるしでお値打ちだ。ただ、狭い分、DJを入れてのクラブイベントや個人的なパーティーには引っ張りだこと、貸切が多いのでお出かけの時は要確認を。月明かりだけの船内は、スタッフが外国人だったり、海外の東京観光ガイドに多数、紹介されてか、外国人が意外に多く、妖艶に変化するフロアライトと街灯りが水もの灯りに溶け込みゆらめくメトロポリスの光の洪水に酔わされる。そんな、海抜0メートルからの東京スカイラインを今週末にでも、ぜひカップルでお楽しみをー♪ 下船のころにはすっかり相方に酔いまくり仲睦まじく千鳥足ですよーー。

The Floatinng Bar "jicco" の PARTY をクリックすると船内でのイベント模様の動画が見れます。

20代のころ、アメンボーのような一人乗りのボートを経験した事があるけれど、腰の位置に見える鏡のような水面をスーースーースーーと音もなく進むスピード感に驚いた。アイレベルが変ると日常の感覚がゆらぎ、未体感な浮遊感を遊べるものだ。ちょうど去年の今頃、大阪城のお堀を水上バス「
アクアライナー」で観光したけれど、やはり水面からの風景は視界も匂いも距離間もまるで非日常。空まで大きく見えて大阪新感覚だった。そういう意味では、セーヌ川の「バトー・パリジャン」は、日本とは真逆で、豪華なデコの極みな欧州の京都を優雅に堪能できる。「男と女」を満喫する大人の街ならでは。考えてみれば、産業革命が起こるまでは古来から長きにわたって、陸の足は馬。水の足は船。水面からの感覚はDNAに深く刻まれているのかもね。懐かしくも新鮮に。しかし、日本は、どこへ行っても女祭り花盛りで不思議な風景。フローティング・バー・ジクーは窓際が2人席なのに、女子同士だったり、そういえば、都内の5☆ラグホは、頑張った自分にご褒美と言い聞かせて、いい年頃の女子同士やお一人様が泊まっているし、海外のビーチリゾートも女子同士。これが逆に、男同士でリゾートホテルに宿泊したり、ジクーで まったりじゃ~ まるでゲイだ。流行語の追い風で、すっかり大手を振って闊歩するアラフォー天国日本は、晩婚化、晩産化&少子化で、もはや絶滅危惧種に成り果てた不思議の国。ユネスコの世界遺産に登録なんて尽力つくす間に、レッドブックに登録しなきゃ死滅種だよーーー!

P.S.
バトー・パリジャン で聞いた生パトリシア・カース は、R指定が必要なほどの「男と女」。シャンソンに酔いしびれた若き日のラブーが蘇る。やっぱりこの世は男と女さっ♪

2008/10/19

ピクチャーウィンドー


金曜の深夜、偶然チャンネルが合ったNHKの「ミューズの微笑み」にピクチャーウィンドーがシンボルの中札内美術館村が紹介されていたので見入ってしまった。というのも、かれこれ30年近く、僕の住まいは「移ろい続ける窓」がテーマで暮らしてきたからだ。写真はNYに建つ「ニール・ディナーリ」 Neil Denari の「HL23」というレジデンス。

さて、尊敬する建築家を一人挙げろと問われれば、僕は迷わず、生涯に描きまくった手書きの図面点数が、家具、照明器具、等も含まれるが1万を越えるフランク・ロイド・ライトを推挙する。まるで、6万点以上の作品を残した建築のピカソだ。建築家は自邸を除けば、自分の好きなように作品を創る美術家とは真逆で、クライアントあっての作品ゆえ、図面点数と実建築とは一致しない。野球なら生涯打率3割強で歴史に残る大天才だが、ライトの実建築は800くらいだから、描いた図面の90割以上は陽の目を見ない幻のお蔵入り。歴史的空振りの三振王でもある。しかし、800は凄すぎる。空振りも凄すぎるけど。まるでERな24時間体制で臨まなければ到底、描ききれない。しかもそれは、これでもかー、これでもかー、と、命がけでダメを描き続けるわけだから。没91歳の長寿とはいえ、コンピューターもない時代に、前人未到の熱血塊だ。もう永遠にかなわない。全15巻の作品集は越えようもない。そして、かなわないのは、数もさることながら、彼の真剣、真摯な色恋満点の人生から沸きあがる、まさに人の一生を包むにふさわしい細部に至るまで精気に満ち溢れている空間だ。色恋、精気が希薄な安藤忠雄とは対極だ。乱暴に言いすぎれば、僕は色気のない人生も作品も大きらい。だから、80年代の一部の小建築を除けば安藤忠雄伊東豊男の建築には、まるで魅力を感じない。夜と昼で1日であるように、クールとエロスは一体のもの。クールなディディールだけでは人が暮らす建築にはならない。生への性への精への深い思慮と甘辛が濃く生かされなければ。もっともっと色恋で艶っぽい潤いのある実人生を積み倒してから建築せよ!と、受勲もされている大先輩には無礼すぎるが、ついついオカダ節@大声になってしまうよ。うぉっと、みんな大好きな安藤批判で、逆非難を浴びそうだからこの辺でーー。 ま、そんなわけで尊敬する建築家、海外編なら 1.フランク・ロイド・ライト 2.ガウディー 3.ル・コルビジュ 4.オットー・ワーグナー。 日本編なら 1.白井晟一 2.丹下健三 3.黒川記章 4.谷口吉朗。 刺激を受けた建築家なら、80年代の高松伸。現在のヘルツォーク&ムーロン(スイス・バーゼル生まれの57歳建築家ユニットH&deM )。 とにかく、1000年後にも残っている建築を1000年前に創造して、その時代に猛反対されながらも強引に建ててしまう。それが建築家の仕事なのだから。そんな現代建築が一体いくつあるんだろう? 建築だらけの、建築家だらけの、建築雑誌だらけの、首都東京に?この日本に?なんですねー。理念も思念も怨念も詰まった、そんな気概と志ある建築家はどこにいよう?教えて欲しい?「カーサ・ブルータス」のお若い諸兄!さてさて、偉そうな話は一気に等身大へトーンダウンで、好きな建築家なら、僕は同世代の米建築家、ニール・ディナーリ(51)。トップの写真が、そのニール・ディナーリのNYに建つ「HL23」というレジデンス。 写真2は、90年代の初頭、35歳の時の我が家。写真3は、明治神宮の森と神社本庁をのぞむ今の原宿・北参道の住みかからの風景


写真2 今から18年前の1990年、35歳の時に住んでいた裏参道の我が家。天高7メートルのピクチャーウィンドウからは、月明かりも、雪明りも、眩しい陽光も差しっぱなしの24時間。刻々と移り変わる四季が差し込み、藻岩山を望む窓はカーテンいらず。


写真3 2003年から住む今の家は、明治神宮の森と空だけが切り取られたご覧の風景。ピクチャーウィンドーには、月明かり、雪明り、満点の星空に、気ままに遊ぶ綿雲と、沈む太陽、白根の富士山、四季折々が差し込み望むカーテンいらずの24時間。寝ると視界は夜空だけ。まるで天空に寝る気分。星の月の軌道が時計代わりだ。


視界に入る唯一の建物が神宮の森に浮かぶ渋谷HNK(写真左)。10年前のワケあり離婚でやむなく都落ちして5年。おまけにその後の恋愛貧乏で、益々、窮地に追い込まれた土俵際。やむなく利便性のみで原宿に相棒タロと住む今の身としては、試練の離婚劇からの再起に、公私ともども手を貸し、支えていただいた恩人たちに恩の返済が済んだ暁には、隣家を買い求めて2軒続きに改装して終の棲家にしたいなぁーなどと考えもする今日この頃。しかし、細胞は雪ふる故里を求めて、後ろ髪が引かれる。自分の意思で東京に来た15歳。自分の意思に反して再び東京に辿り着いた48歳。運命に翻弄された果てに、僕は、この地が人生最後の舞台と覚悟して臨んだのだから。。。 渾身の遺作創りに邁進あるのみか!

【追伸】


写真は、28年前(1980年)、25歳で初めて買ったマンション(3DK)を、当時の建築基準法内ギリギリで窓枠まで取り替えて改装した、一応ペントハウス(7階建ての7階)。当時の愛犬ワイヤー・ヘアード・フォックス・テリアのゲッツ君とのふたり暮しから始まった。きっかけは、リチャード・ギア主演映画「アメリカン・ジゴロ」で、劇中、彼が住むアルマーニに囲まれたワンルームのペントハウスだった。ミーハーの極みだねー。 そして、何と言っても、日本のピクチャーウィンドーの傑作は、あのイサム・ノグチが仰天した、わが師、松井力氏邸。建築も空間も越えた「美」の回答だ。 1983年「vivre」でデビューして、1986年竣工の「PARADE」ビルを最後に建築をしていない幻の建築家としては、そろそろ、人生最後の建築を本気でしたいと燃えているのだが。遺作にふさわしい1000年先に開かれるピクチャーウィンドーを。「シブヤ3109年」を。はてさて、一体この先どうなることやらだ。。。

【参考】
(1)
(2)

2008/10/15

満月


僕の都心の難民キャンプ生活は、毎朝5時ごろ届く「moon mail」がお休みなさぁーい zzzzzzzz の時計代わりなんでありますが、10月15日(水) 05:02 は「小望月」満月。写真は、明治神宮北参道前の仕事場の窓から西新宿方向に沈む、その満月。まさに朝5時2分。靄がかったまだ夜明け前の暗闇にぼやけるパークハイアットの左に、その満月が。。。 ご承知の通り、地球に生命が誕生したきっかけは46億年前、月からの彗星群が水で覆われていた時代の地球に降り注いだ事に始まるわけですが、以来、月のお陰さまで今日も地球上のあらゆる生命は生きていられる。ってわけで、古来からの月に関する占いはかなり信憑性を感じざるえないわけです。詳しくは、今夜0:55~1:45 NHK総合テレビ NHKスペシャル「月と地球 46億年の物語~探査機かぐや 最新報告~」(再放送)をご覧あれ。 まぁ~僕にとっては、夜空を見上げたり、そんな月の満ち欠けを「moon mail」で知るよりも、超天然の我がリブさまの挙動、気配から、いつも満月が近いなんて察知するのですけど。だって、超天然の大自然リブさまの愛欲ボルテージの推移は月を見上げるよりも明らかなんだから。(笑) そんなわけで今宵はきっと世界平和ですよー♪ きっとね♪

◆2008/10/15/05:02/ full moon @ kitasando

【追伸】

月占い・星占いとはちがいますが、以下の姓名判断は、なかなか言い得ておもしろい。お試しあれ。ひらがな入力で、その人のキャラクターを0から9までの10タイプ表すのですが、自分のキャラと恋人や友人のキャラの合性をチェックしてみると、意外にも人はどこか自分と引き合う人たちをまわりに集めていることに気がつかされます。ちなみに僕は、子供の心を持ち続けるピュア「0」タイプ。

5秒でわかる占い 世界一シンプルな姓名判断
http://www.kengoueda.com/
NHKスペシャル「月と地球 46億年の物語~探査機かぐや 最新報告~
再放送 NHK総合 今夜0:55~1:45
http://www.nhk.or.jp/special/onair/081013.html

2008/10/06

麗しのBeBe


1990年の晩秋、ちょうど今頃だろうか、もうすっかり家族ぐるみで幼馴染のような関係になってしまった、後に今のところの最後の結婚相手となったKちゃんから電話が入った。4つ下の聖心出のKちゃんは、3代続く全国的にも有名な食品加工会社を営む両親との実家暮らし。僕が35歳当時だから31歳の令嬢様だ。弟、妹は、すでにそれぞれ医者として独立を果たし家庭を持っていたので、長女ただひとりが生家の子供部屋を住みかに、もはや死語だが家事手伝いという、今で言えば気まぐれなフリーター家業。「パラサイト・シンデレラ」何て、嫁に行かない娘を指す流行語が飛び交っていたころだ。用件は、彼女の実家では何代にもわたって交配しては飼い続けているヨークシャーテリアが数匹いるのだが、その行きつけのブリーダー兼ペットショップで、当時としては珍しいミニチュアダックスの小柄なメス犬が店頭に出ているので見に行かない?という誘いの電話だった。というのは、「いずれ年老いたら小型犬の中でもミニチュアダックスを飼いたい」と、たわいもない茶飲み話の中で僕の母親がもらした呟きをKちゃんに話した事があったからだが。まぁ~たぶん母親にしてみれば、冗談半分、本気半分で、現実味の無い独り言だったのだろうが。。。  Kちゃんのメルセデス4マチック・ワゴンの後を、僕は当時の足、たしか紺メタのローバー・スターリングだったか?に乗って付いて行くと住宅街の中にポツンと1軒、表立ってペットショップらしき看板もない普通の民家ような店にたどり着いた。まだペットブームなんて起きるはるか前の話で。K家とは家族ぐるみの付き合いも長いらしいそのペットショップに入ってみると、小柄な一昔前の水商売上がり風なママさんに出迎えられるや、すかさずKちゃんが「見て見て!」と、得意満面に指をさした。スムースで丸裸ゆえか、何匹もの子犬がしっぽをフリフリお客に擦り寄るサークルの中で、茶色の子犬が毛布に包まって1匹だけ特別なお嬢様扱いを受けていた。細面のギョロ目がお姫様輝き。「うぁ~かわいい」 なるほど犬好き、犬の目利き、Kちゃんが押すだけある別嬪さんだ。かなりの迷いはあったけれど、というのも、母親は天邪鬼で口が悪く素直には受け取ってはもらえまえと、贈ったときの思わず腹の立つ親子喧嘩が目に浮かぶからだったけれど、僕は即断即決で、その寒がりなお姫犬を友人価格で買うことにした。

写真は、たぶん4~5歳のころのBeBe。当時の我が家でお雛祭りの祝いに母親がBeBeを連れてきた時のおすまし。

僕は親からすればどうしようもない放蕩ひとり息子らしく、15才で親元を離れて以来、何をしても、何を言っても、だだの1度も褒められた事がない。それどころか非難、中傷の嵐で、絶縁、犬猿の関係だった。が、何のあてもなく27歳で会社を辞めて独立してから、幸いにも海の者とも山の者ともわからないペーパー・アーキテクトに、大手ゼネコンや内装施工会社、広告代理店などから仕事が舞い込み、お陰さまで新人デビューの勢いか、そこそこ名も通り、社会的にも経済的にも一段落つけそうな状況だったころで、ここはひとつ、くだんの親子仲たがいの解消の一助にと、今まで何も親に贈り物をした事がない放蕩息子としては、その落としまいをつけるきっかけに、あの呟きのミニチュアダックスを贈ろうと決めていたのだった。 僕は生後2ヶ月のその子犬を12月のクリスマスに贈る計画で家に持ち帰った。クリスマス直前に買えばいいのにと思われるだろうが、何せ次はいつ何処で売りに出るかもわからない当時としては稀な犬種。今、手にしなければとの決断だった。そんな、やむなくの強引な先物買いも、考えようによっちゃ~、トイレや無駄吠えのしつけをするには好都合な2ヶ月。もらった方も、しつけ済みで飼いやすい状態での贈りものなら少しは素直に受けてくれる確立が上がるのでは、と、とっさの算段で。 当時、僕のカミサンは夕方6時台の帯ニュースで全国的にも名をはせた流行りのアンカーウーマン。世間的には、4つ下で早稲田の学部こそ違え、後輩局アナと、方やブルータスや建築専門誌でブレークしていた新進気鋭のデザインプロデューサー、そんな時流の「ダブルインカム・ノーキッズ」カップルだ。当人同士も、仕事的にも経済的にも、そして何より、会話のレスポンスが心地いい相方で、お互い自分名義のマンションも所有し、もう何不自由ない夫婦だったのだが、何せすべてはこの1日の出来事。カミサンに何の相談もなく買って持ち帰ったわけで、犬を飼った事のないカミサンにしてみれば、トイレのしつけ、ご飯のお世話、夜鳴き、遊び相手と、しつけが終わるまでは自分の思い通りにはならない赤ちゃんが突然やってきたようなもので、家は怪訝で不穏な空気になってしまった。今みたく携帯メールがあるわけでもない時代、店頭でワンコの写真を撮って送ったり、メールでそれとなく情報を洩らしては根回しなんてできないわけだから。しかしそこは聡明な彼女の事、僕の思惑は即座に理解してもらえたが、いきなりの慣れない子犬が加われば、今朝までの生活リズムは狂わされてしまう。そりゃないよねだ。 すっかりこの件でカミサンにも迷惑をかける事態。思わぬ足元での誤算に事態打開を苦慮していたら、幸いそんな事情を聞きつけたKちゃんのお母さんが2ヶ月ならしつけ期間にあずかるわと、犬好き一家の助け舟に甘えて一時里親に出す事になった。これで12月までの間合いに、それとなくやっかいな母親への地ならしもできるわいと、思わぬ一石二鳥に安堵した。

写真は、すっかりかけがいのない家族の一員となって実家で大好きなボール遊びに興ずるBeBeたぶん6~7歳くらいのころか。

彼女の名前はBeBe。グラマー女優の大御所ブリジッド・バルドーの愛称だ。華奢なミニチュアダックスの姫がブイブイ言わせて元気なおてんばじゃじゃ馬娘になってもらいたいと、この計画を思いついた時から決めていた。 12月に入ってKちゃんのお母さんから「いつごろ引取りに来るの」との電話が。そしてクリスマス直前に引き取りに行くと、寒がりなBeBeは細長い胴に淡いグリーンの服、いやいや長い腹巻か?を着せられていた。それは実にKちゃん宅らしく、お父さんの着古したカシミヤセーターの袖を切ったものだった。今時の安価なスカスカのカシミヤではなく、肉厚のそれでいてふんわり軽い優雅なセーターの。さぁー準備は万端!これでいよいよマナースクールも卒業してカシミヤを着たレディーBeBeのデビューだ。僕は満を持してクリスマスイブに、大人になって初めてのプレゼントを母親に贈った。。。  「何でこんな生き物を買ってくるの!」 想像通りの第一声。そして、数日後には新聞に「子犬譲ります」との広告を出す始末。何件かの問い合わせがあったらしく、電話で相手と交渉したらしいのだが、帯に短し襷に長し。そしてそこは別嬪BeBe。母親も数日間、この厄介者と過ごしているうちに、BeBeの愛嬌、器量にほだされたのか、親心がついたのか、結局、ブツブツ言いながらも、BeBeは実家で飼われることとなった。「あっ そこはダメ!」「BeBe!ダメ!」「何度言ったらわかるの!」と、母親は小言、叱責、文句を四六時中BeBeに浴びせながら。果ては、「よりによって何でメスなんて買ったの!生理で家が汚れるじゃない」と、とうとう生後数ヶ月の可愛いパピーに避妊手術(子宮摘出手術)を施してしまった。やれやれ、想像以上の展開となった。 しかし、その日以来、17年間、BeBeは母親と共に過ごした。7年後に僕がKちゃんと再婚した時にも、子供を亡くして離婚した時にも、父が癌に倒れ74歳で他界した時にも、立て続けて同年、同居していた母親の父、つまり祖父が96歳で他界した時にも、母親のそばにい続けた。その母親も一人暮らしになってすでに7年。かつての罵倒、叱責はすっかり影を潜め、BeBeとの会話も「おかあしゃん」はと、赤ちゃん語となってしまった。だからお役目を無事終えたのだろうか、2008年10月3日、午前4時ごろ、BeBeは老衰で永眠した。17歳と1ヶ月。 「あぁー、次は私の番だね」「BeBeを見送ったから」 74歳の母からの写メに涙が止まらなかった。不肖の一人息子の身代わりに母親を支え続けてくれたBeBeに感謝。ほんとうにありがとう。天に召された最愛の君に合掌。父が死んでも、祖父が死んでも、涙ひとつこぼれなかったが、けな気な小さな僕の特使、君は永遠に僕の愛する宝だ。

安らかに永眠。おつかれさまBeBeちゃん♪

【長い追伸】

つい最近、著名な女流テディベア作家とネット上で知り合った。始まりは彼女からのコンタクトだったのだが、この時期にテディベアを思い出させる出会いに、僕は何か説明のつかない奇遇な因縁を感じていた。というのは、日本のテディベア界を一躍、表舞台に組織化、宣伝に寄与した「ハニー」の創業社長 小野塚万人氏と、同社の企画担当専務 佐久間由紀子さんとは、そもそも僕の独立デビューに深くご縁があったからなのだ。デビュー作の商業ビル「vivre」を計画していた時、ビルの要に、かつて代官山の第二期ヒルサイドテラスの開業時にオープンした、日本の雑貨ブームの起源でもある伝説の「スイート・リトル・スタジオ」がイメージに湧いたのだが、その運営会社がポップなキャンディーで有名だった「ハニー」で、僕はぜひスイート・リトル・スタジオのような生活雑貨店が欲しいと小野塚社長に嘆願に行ったのだ。そして、縁あってvivreには、ハニー直営の新業態雑貨店「インプレッション」第一号店が誕生したいきさつだ。以来、ハニーはその後の雑貨ブームに乗って、1年中クリスマスを扱う「クリスマスカンパニー」、贈り物のラッピング専門店「リボンシンジケート」、テディベアーを扱う「カドリー・ブラウン」と、立て続けに地元、代官山に店を出し、今日の代官山のイメージ作りに貢献したのだが、バブルが弾けて、最後に力を注いでいたテディベア事業が足かせとなって伝説の「ハニー」は姿を消した。 僕はデビュー作のvivreで第2回都市景観賞を頂き、今につながる好スタートを切れた。そして、何と、今のところの最後の結婚相手となったKちゃんとの出会いが、その「インプレッション」だったのだ。麗しのBeBeとの人生をもたらした彼女が、その第一号店の店長さんだったのだ。僕はテディベアの作家さんとの出会いで、もはや四半世紀にもなろうとしているこの間の自分史を思い起こさすにはいられなかった。 そんな折、前回のブログの記事のとおり、ハロッズからのクリスマスメールが届き、そうだ!今年もBeBeと母親に、それぞれ高島屋オリジナルの熊を贈ろう♪ 何て一足早く、年末に思いをめぐらしていたのだ。昨年から始まった新宿高島屋のオリジナル・テディベアは安くて可愛い逸品。僕は昨年、かつてBeBeを贈って以来初めて、母親に銀の中熊を、そしてBeBeには赤の小熊をクリスマスプレゼントに贈った。たまに来る母親からの写メに年老いたBeBeの姿があまりにも愛しくて。そして、奇遇はまだ続きがあったのだ。そのブログを書いて間もなくの10月1日の夜。「ご無沙汰しております。18年ぶりです、岡田さん!」という件名のメールが届いた。僕が40を過ぎて、再び東京に都落ちする遠縁の1つとなった元クライアントの会社におられたデザイナー女子からのメールに驚いた。メールの送り主の事は、すぐには思い出せなかったけれど、記載されていた、退職の餞に送った「ジュエリーボックス」と「メモ」のくだりで、一気に18年の時は目覚め、あまりの懐かしさに翌2日、電話で昔話と近況に花咲かせたのだった。

写真は、昨年のクリスマスに贈った高島屋のテディベア。母親からの届きましたのお礼と報告の写メ。2007年がBeBe最後のX'mas♪となった。よもや、それが、17年間で、僕がBeBeに贈った最初で最後のプレゼントになろうとは。

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送信者:S

宛先:
yoshi@jfun.jp

件名:ご無沙汰しております。18年ぶりです、岡田さん!


2008/10/01/20:35
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岡田さん

ものすごい長い時間ご無沙汰しております。
札幌のNという会社にいた、Sです・・・覚えていらっしゃらないでしょうね~。
「絶対ネット上で探せる。」という自信を持って岡田さん探しをしました。
実は私、モノ探しが得意なのです。

お元気ですか?
大忙しのご様子ですが、「やっぱりね」という感じです(笑)。

こうして突然メールを差し上げたのには理由がありまして。
さっきまで部屋の大掃除をしていたら、
Nを辞める時に岡田さんからいただいたジュエリーボックスの下から
「新しい宝物をいっぱいつめて下さい。1990.10.15 岡田」と書いてある
エア・メールの青い封筒が出てきました。

嬉しかったです。
あの日も嬉しかったです。
本当にありがとうございました。
改めてお礼が言いたくてメールしました。

岡田さんの言いつけ?を守って、
あれから今日までパープルの箱の中は新しい宝物でいっぱいにしています。
カタチのある物やら、そうでないモノやら、ごった煮状態ですが。
今後ますます増える予定ですよ。

東京もようやく涼しくなってきたようですね。
札幌は寒いです。
秋本番です。ナナカマドの実が赤いです。

お体に気をつけて、これからもますますご活躍ください。
ブログも楽しみにしています!

ではでは。


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事の始まりを回顧させたテディベア作家との出会い。続いて、あまりにも早すぎるハロッズからのクリスマス・ベア・メール。止めは、予想だにしない18年ぶりの便り。まるで畳み掛けるような3つの奇遇が重なり、僕は20年の時を噛みしめる金曜の夜をまんじりとすごしていた。清々しく晴れた翌朝、何かに突き動かされたように、僕は母親に携帯メールを送った。 携帯が鳴った。 電話に出ると 「2日間眠れず看護して今朝、4時過ぎにべべは安らかに息を引き取ったよ」 「、、えっ、、、ど、、どどうして連絡してくれなかったの!?」 「とても連絡できる心情じゃなかった」。。。  母親は食事を取らなくなった1日の朝から寝ずにBeBeのそばで声をかけ続け、一心不乱にBeBeと過ごした17年間の思い出を耳元で語り明かしていたのだった。夜が明けてから、花とBeBeが大好きだったおやつを買いに近所のスーパーに行き、ひとしきり別れをしたあと、叔母に付き添ってもらいBeBeの亡骸を荼毘に付した。 生あるものはいつか死を迎える。その年月の長尺にかかわらず、生きた事の最大の価値は思い出に残る。 しかし、永遠の別れは辛い。だから一期一会。二度とない今を思いの丈、目一杯生きなければ。 BeBeちゃん♪ありがとう。。。

写真は、もう1年も前から「遺影」に使うと母親から送られてきていた最晩年のBeBeの写メ。My Life with a Dog.

映画「サンドイッチの年」 Les Annees Sandwiches 1988 (仏)
ぜひ、ビデオを探してご覧あれ。
始まりと終りの画面に目をこらして。
往還するキャンドルの灯りに照らされる生の栄光。
裏切らない思い出の写真で締めくくられる。
私のベスト・ムービー。
http://www.allocine.fr/film/fichefilm_gen_cfilm=3256.html
 
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