答えは簡単。事は単純。生ける物はいつかは死ぬ。1年の草、1000年の木、そして、せいぜい100年の人がいるに過ぎない。この世に生命が誕生して以来、生命は、ただただ生き続けようと環境に適合させる工夫、つまり進化という名の命乞いをしてきたに過ぎない。そして延命の創意工夫の果てに、生きながらえたあらゆる生命は、今もって、限られた寿命に命のリレー、愛という名の種の保存をし続けているだけなのだ。LOVE(愛)はMAKE LOVE(性交)をへて未来のLIFE(命)にバトンを渡すだけなのだ。全ての答えは自然界という眼前の宇宙にしかないし、そのヒントは、おびただしい生の実験が堆積された歴史の地層にしかない。唯それだけなのだ。が、人はかくもシンプルな話を複雑難解にしたがるものだ。その最たる話が、40年も前に作られた、まさしくオデッセー「2001年宇宙の旅」に、その正体をシンボリックに登場させた、あの黒い物体「モノリス」なのだが。猿と袂を別って延命の知恵を発展させた人は、その生きるを生き抜くために、宗教を、思想を、知識として体系化させたが、そのいずれもが、本末転倒の結果しかもたらさなかった。「2001年宇宙の旅」を難解映画の金字塔と、未だに当の映画人から、いわゆる知識人までもが口角泡を飛ばしているように。そもそも、万人の生の幸福を願う「宗教」という生き抜く知恵の体系は、未だに宗教戦争をし続け、呆れる事には、その最高指導者たちがテロを鼓舞し世界に不幸の連鎖を拡大させる。そんな不幸を解決させようと編み出した「思想」は、世界を東西の冷戦に導き、ソ連を東欧をドイツを中国を、止めは地獄絵と化したベトナムをついに赤旗に塗り替え、地球の陸地の60割を、忌まわしい赤い血しぶきで染め上げた。その呆れた結末は、朝鮮半島に未だ終戦できていない休戦ライン37度線を残し、北朝鮮の笑うに笑えないギャグのような赤旗の国が存在しているのが21世紀なのだから。かくも人の知識とは、その目的とは真逆な結果を生んでしまう愚かな人の正体、あの黒い物体「モノリス」なんですねー。って、事をわきまえて初めて賢人なんでしょう。おまけを付ければ、あの第三次世界大戦、核戦争勃発か?の引き金を引いたキューバ危機の張本人カストロさえ、病気を都合の良い言い訳に引退したにもかかわらず、チェ・ゲバラがファッションとして、LOVE&PEACEを唱えるお若い諸兄にカッコいいのシンボルになろうとは。それって金正日のTシャツを着ているようなものなんだけどなぁーと、まぁ信じがたい2008年、日本の風景だ。「おバカキャラ」が流行語大賞にノミネートされるのもわかるって話ですがネ。
しかし一方、今年はNHKの大河ドラマ「篤姫」に始まって、何かと我が先人達の生き抜く知恵を、人との関わり方を、美しい事の収め方を教わる年でもあるようだ。幕末の無血開城は、世界のあらゆる書物を読み漁り、大学院でMBAを取得して、ノーベル賞を受賞した知の権威たちがもたらしたものではない。ただただ真剣に真摯に事を収めようと、不幸を最小限に、みなが生き抜く知恵を果たしただけなのですがね。その要が鹿児島の女子(おなご)とは。皮肉な事には、知識のエキスパートMBA君たちが地球を最先端金融商品で混乱に陥れた、歴史に刻まれる年に。世界のトップリーダーG20が集結してるのも何だか滑稽というものだ。
しかし一方、今年はNHKの大河ドラマ「篤姫」に始まって、何かと我が先人達の生き抜く知恵を、人との関わり方を、美しい事の収め方を教わる年でもあるようだ。幕末の無血開城は、世界のあらゆる書物を読み漁り、大学院でMBAを取得して、ノーベル賞を受賞した知の権威たちがもたらしたものではない。ただただ真剣に真摯に事を収めようと、不幸を最小限に、みなが生き抜く知恵を果たしただけなのですがね。その要が鹿児島の女子(おなご)とは。皮肉な事には、知識のエキスパートMBA君たちが地球を最先端金融商品で混乱に陥れた、歴史に刻まれる年に。世界のトップリーダーG20が集結してるのも何だか滑稽というものだ。
東京に居て唯一得を感じるのは、実験的な演劇や格調高い公演に、ちょくちょくおこる蔵出しの国宝を拝観できる事かもしれない。中でも今年の東京国立博物館では、平城遷都1300年記念「国宝 薬師寺展」に始まり、尾形光琳生誕350周年記念「大琳派展」と大当たりの年。しかも、丹念な調査取材と新鮮な角度からの映像が真骨頂のNHK「日光・月光菩薩 はじめての二人旅 ~薬師寺1300年の祈り~」を見てしまえば、否が応でも会場に足を運び生で観たくなる。ついでに言えば、源氏物語が世に出て1000年の今年は「源氏物語 黄金絵巻の謎」、さらに「よみがえる浮世絵の日本 封印が解かれた秘蔵コレクション」と、世界に放出してしまった見事な平安~洒落た江戸~を、あらためて観させてもらえて考えさせられっぱなしだ。フランスのうら若きキュレーター女子が、日本人も読めない漢文の古書を読み解き、いにしえから黄金の源氏絵を日本語で熱く語り、アメリカの若き学芸委員たちに、丹念に浮世絵を研究した成果を日本語で聞かされ、スミソニアン博物館に所蔵される「篤姫の籠」に描かれた源氏絵のレクチャーを受けるに、「人類文化のガラパゴス」の末裔を生きる日本人としては、つくづく、戦後の家庭教育、学校教育、社会教育の過ちを痛感せざる得ない。
奈良から1300年ぶりに光背を解き、アベックで上京して来た日光・月光菩薩を勇んで観にいって驚いたのは、人の数と、展示のお粗末さだった。人の数の主たる原因は、会場を見るに大量退職してお暇な団塊人夫婦だろう。人が多くて満足に肝心の背を堪能する時間も空間もないのだ。ここまでは能天気な団塊人のなせる業で100歩譲ろう。しかし怒りが湧いてしまったのは、薄暗がりに赤色にライティングされた演出だ。大学院を出てお国から給料をいただき国費を費やして、見事な先達の芸を美を思いを無礼にも汚す所業。いらぬ下手な照明によって、2度の大火で焼けた剥げた金の肌具合、1300年の時の刻みを目の当たりにしようにも見せてはくれない大仕掛けに呆れるばかりだ。おいおいクラブイベントじゃないぜ。優秀なお若い学芸員さん!こんなんじゃ屋外の自然光で拝みたい。雨に濡れ日に艶めく生きた菩薩を拝観したいよ。学芸員とは、かくも扱いを心得ない職業なのか。知識とは、かくも事の真贋を失わせる物なのか。それは、天皇が国賓のスペイン国王をご案内した大琳派展の風神雷神図の扱いにもあらわれていた。見事な平安をぞんざいに扱う無様な平成。雅で美しい国、日本はどこえやら。
それにしても、パリと浮世絵は相性がいい。日仏交流150周年行事として、去る9月、ノートルダム寺院前のシテ島セーヌ川岸で石井親子によってライティングされた浮世絵の数々。こちらはニュース映像、写真でしか見てはいないが、なんとも羨ましい高雅な宵の光の宴。こんな風情はお江戸東京では考えられないのもお粗末極まりない無様な平成なのか。今や日本の美意識はルイ・ヴィトンと村上隆に託すしかないものなのか。
さっお次は、事を手際よく美しく収める秘訣を、お里帰りする「天璋院篤姫の籠」を眺めて考えるとしますか。豪華な動く御殿。至玉の女乗物(おんなのりもの)輿(こし)の小さな空間から。しかし、こちらは正に大行列で思いに馳せるとはいかないだろうなぁ~。やれやれ。
それにしてもだ、高学歴、高教養を有した平成の我々は、一体何をしているのだろうか?100年後の、1000年後の、未来の、日本に、世界に、何を生み残せるのだろうか。ますます増えるだけの知識の減らず口たたくだけではいかんぜよ!しっかりせんかい!せめて天真と心意気を篤姫に学ばんかな。◆必読!「ささやきが聞こえて」
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