2008/11/08

世界は日本がお好き。東京がお好き。


そろそろ、今年も総決算。早~なんですが、今日は、米映画誌からご依頼いただいた「原稿」の下書きっス。なので、長いです。飽きそうです。でも、ぜひ、ご一読&プリントされて保存版~。おりしも米発金融危機から世界は21世紀らしく「BRAND NEW 地球」になりそうな気配。その象徴もまた米発新色大統領とは。人が変り、仕組みが変り、世界が変る。って空模様。世は正に不況感漂う変革期を迎えようとしてるんでしょうが、何故か、映画産業だけは、ますます快調!好調!絶好調!それも海外からの監督、企業、役者まで、日本で撮りたぁーい!日本を撮りたぁーい!日本で儲けたぁーい!と、まるで小室哲也に群がり貪り食う骨までしゃぶり尽くす怪しい業界人さながらに、空前の日本ブーム。東京ブーム。これかなりバブリーな状況です。ま、そんな背景でのご依頼原稿。休日ですから、スルーせずにスローにお付き合いをー。

『世界は日本がお好き。東京がお好き。』

前世紀

建築界から発せられたポストモダンが時代のニックネームだった1980年代。そんな時代の気分は1982年『ブレードランナー』から封切られ、6年後の1988年、リドリー・スコットは『ブラック・レイン』で時代の徒花を仕上げた。舞台は日本。そこには当時ポストモダンを爆走していた気鋭の建築家 高松伸のキリンプラザビルが、鬼気迫る迫真の演技で駆け抜けた松田優作が、共に時代に異彩を放っていた。くしくも遺作となった本作で念願だったハリウッドデビューを果たした松田優作、享年40。20世紀も暮れにさしかかった1989年。ミレニアム。1000年に一度の大世紀末。そのグランド・センチュリーのイブに、『未来世紀ブラジル』が上映され、『東京未来世紀』が上程された。世界は世紀末一色だった。


つい最近、テレビのトークショーで松田優作のご子息、松田竜平、翔太兄弟の少年期のこんなエピソードを耳にした。記憶はかなり怪しいが、要は弟が毎日学校に持っていく母親の手作り弁当について、弟(翔太)「何で家のお弁当はみんなのとは違うの?」 兄(龍平)「人と違うから価値があるんだよ」。松田家の家庭教育の賜物か。一クラス数十人分の一。十人十色。唯一無二。正に人と違うから価値がある。今回の特集 「世界が惹きつけられる街 TOKYO!?」 その答えは幼いころの龍平君の台詞どおり「他と違うから価値がある」63億分の1億。1億分の1千万ってことなのか。

アキバもオタクもコスプレも、マンガもショウジョマンガもモエーもカワイイも、すでにスシ&カラオケ同様、今や国際語。毎年、終戦記念日と大晦日には全国から全世界から100万人がコミケを詣でる。世界の映画祭には必ず日本のアニメがノミネートされ、左開きのマンガが世界で出版される。総理大臣、麻生太郎はジャパニメーション、J・POP、J・ファッションを3J(スリージェイ)と掲げアキバの星と人気を博す。もはや日本の政治家から世界のティーンエイジャーまでがKAWAIIを口ずさむ世界で唯一無二のオタク文化大国、日本。その聖地が東京か。


「確かにー」 来日した海外セレブが必ず立ち寄る"かわいい"がいっぱい詰まった109。今や外国人観光客人気ナンバーワンな新名所といえば、目も眩み足も立ちすくむ過激な過密の渋谷スクランブル交差点とオタクの聖域アキハバラ。そして東京で一番新鮮な食の玄関ツキジ市場だ。その未来は、国交省の試算によると2020年には訪日する外国人観光客は2000万人を越し、経済効果は4.3兆円と試算しているし、それを見越した松竹では、すでに大手旅行代理店と組み「あこがれの俳優に会いに日本にいらっしゃいませんかー」と、外国人観光客を誘致して映画撮影のゆかりの地をめぐり、自前の劇場に観光客を動員している。そういえば香川の直島では「007を誘致しよう」なんて地元の観光政策が話題になっていたっけ。そんな誘致の最高峰は人生最後に架けた石原都知事の渾身の一撃!「日本だから、できる。あたらしいオリンピック!」何てったって2016年の東京オリンピックだが。もはや世界の人にとっては聖地巡礼の旅「そうだ!日本に行こう!」「東京に行こう!」なのかもしれない。世界のどこにも見当たらない唯一無二、京都の雅と東京の旬を愛でに。


そもそも松田龍平少年の「違う」は、マルコ・ポーロの東方見聞録に未だ見果てぬ「謎」の「噂」の「幻」の島国「黄金の国ジパング」と記された大航海時代にまでさかのぼる。それから数百年の時を経た19世紀末のパリ万博で、そのジパングは「ジャポニズム」として大ブレークだ。ジャポンマニア続出!ジャポンに萌えー!で、いわばジャポンオタクが「印象派」を生んでしまった。モネ、ドガ、ルノアール、セザンヌ&ゴッホ、ゴーギャンなんかは、今で言えばアキバ&コミケ詣での外国人!だって「浮世絵」ってアート?ポスター?ブロマイド?マンガ?ギャグ?ポルノ?っと曖昧なポピュラーだったものを我先にっと貪るように買いあさるんだから。歌麿、写楽、北斎、広重、国政、春信、等々と人気画家?人気漫画家?人気イラストラーター?まるでデビュー当時、日本画壇で物議を醸した横尾忠則騒動みたく。果てはアダルト春画・ポルノまで。まぁ~そもそも日本ブームって、昨日今日の流行りってぇもんじゃぁ~ないんですねー。そうですよ。ご承知の通りブランディングの天才ルイ・ヴィトンのロゴマークは日本の家紋、印半纏、市松模様の盗用?借用?いやいや登用引用応用で、今日の企業形態が確立しちゃった。そのモノグラム誕生が1896年といえば1867年から3度にわたって「謎」の「噂」の「幻」の日本が西洋デビューしてきたパリ万博と符合するってわけで。「黄金」の正体にさぞかし革命的カルチャーショックを受けちゃったんでしょうねー。それまで信じきってきた世界の中心って価値観をかなぐり捨てて改心転向しちゃうんだから。そしてその革命は20世紀初頭、今時のお若い皆さんが、だだーい好きな建築・インテリアの代名詞「モダニズム」今お座りのコルビジェを、その発端のバウハウスを生み、てんこ盛り盛りボリューム満点と、これ見よがしに威勢のよかったフランス料理は、日本の懐石料理を模して季節を小さく大きな皿に謙虚に彩るヌーベル・キュイジーヌに、近いところじゃトム・フォードが吹きまくった「ミニマリズム」でブランディングし直したグッチの再生だって、そのアイディアソースは、数百年も「謎」だったあの「黄金」。「黄金」って、まるで『2001年宇宙の旅』に登場する謎の黒い物体モノリスのごとく西洋文化圏の都心にお住まいだったハイソなインテリの皆さんには仰天ものだったのでしょう。


それもそのはず、今も残る西洋が中心の証、GMT(グリニッジ標準時)線から見れば文字通りの極東。最も遠く、また海を隔てて行きにくかった辺ぴな離れ小島の日本列島。まるで極西のダーウィンが「種の起源」を書いたガラパゴス諸島のよう。そそそうなのです。日本は人類文化史のガラパゴス。大陸から伝来した人・物・事がその地形と気候の中での生存の過程で特異に変化し進化した。それだもの発見者はびっくりだ。世紀の珍種大発見!と。何てったって文化のガラパゴスだよ。

一言で言えば、西は傲慢な足し算のデコラティブ。東は謙虚な引き算のミニマリズム。プラスとマイナス正反対。まるで磁石だ。まるで男女だ。そりゃ~強く引き合うってーもんですよ。出会えば互いに一目惚れしちゃいますって。ないものねだりが生存のDNAですから。

さて、おおざっぱに言って産業革命以後、20世紀に入って次々と生まれた生活を豊かにする新産業には、「映画」「建築」「自動車」「プロダクツ」「ファッション」「音楽」等等あるが、いずれもたかだか100年の歴史。その映画では黒澤明が日本映画おたくのタランティーノを、大御所フランシス・フォード・コッポラを、ジョージ・ルーカスを、スティーブン・スピルバークを育て、ハリウッドを巨万の富で潤した。丹下健三が大阪万博に通いつめたレンゾ・ピアノ、リチャード・ロジャースを育て、パリに美術の工場「ポンピドゥー・センター」を後に「関空」を作り。低燃費・低公害車を生みFIを征した本田は、今日の地球的課題「省エネ」「低炭素社会」を先取り、今や「ハイブリット車」と他の追随を許さない「ロボット社会」を先駆ける。ソニーが小さなトランジスターをICを生まなければウォークマンは無いけれど、そのウォークマンが無ければ今のアイポットも徹夜で買ったアイフォーンも無かったろうに。気がつけば世界の家電はオールニッポン勝ち!ファッションだって都パリではイッセイ、ギャルソン、ヨージ・ヤマモト等、ニッポン勢が行かなければアルマーニのラインもプラダもミニマルなんて指向も生まれてないだろう。そうだ!ジョン・ガリアーノなんてはいち早くウェブサイトからブランドにまで萌えるアニメ・キャラの「インターネット・ガール」だよ。YMOがいなければ世界の今のアンビエントもクラブシーンもイビサもレイブも全然違ってたろうしと。産業の世紀20世紀は、そのコアに謎の「黄金」がなけりゃ成り立たなかった。言い過ぎかぁ?いやいや言いすぎじゃ~ない!モノトーンのヨージ・ヤマモトをまとい機能を意匠を屋号までナイキ張りにシンプル&ミニマルにしたりんご社の創業者スティーブ・ジョブスはいなかったはずだから。しかも仕事中にカップ麺すすってたかもね?いつもレールを引くのは西洋文化圏の都会人だが、そこを走る時にはいつも謎の・極東の・離れ小島の・「黄金」が要に居るってわけで。さぁ~いよいよ「黄金」って何だ!?ですー。ついでに言っとくと、油水のごとく使い放題なオイルマネーで、今や建築のデズニーランドと化したドバイでは千住博の水の絵は10億円の高値で買われ、向こう十数年先まで大空間の為の大作予約で埋まるほど重宝がられている。そりゃそうだよね。水は油よりも金よりも価値が高いさ。金で買えない命の源だから。




いよいよ「黄金」の乱暴説。

世界を強引過ぎる指向で仕分けすれば、狩猟・肉食・大柄な西の横綱「欧米」と、農耕・菜食・小柄な東の横綱「日本」、と言えなくもない。こう捕らえてみると、多数派の西のストリームが「メインカルチャー」、少数派の東のストリームは「サブカルチャー」、という事になる。そもそも、日本は世界のサブカルだったのか?

文化の仕組み

そうそう西の言葉「カルチャー」(文化)とは、その語源が「カルチベート」(耕す)で、そのまた語源は「カルト」(祭る)と、英語の語源、西の言葉の起源、ラテン語にはそう記されている。つまり、文化とは農業。アグリカルチャーと言われるとおりだ。生命の進化の過程で人類だけが持ちえたカルチャーとは、まさしく生き抜くために必然的に培われてきた食文化体系を指すことなのですよ。か弱き人は、集団で生活(社会)を必要とし、その集団生活(社会)を養うために、肥沃な土地での定住農耕から始まった。そう、あの四大河文明。ナイル川、チグリス&ユーフラティス川、インダス川、黄河の。だから、カルチャー(文化)の言葉の起源が示すとおり、天恵の地をカルチベート(耕す)し、来年も豊作でありますように、洪水や日照りなど天災に見舞われませんようにと、人の力を超えた、人の希望など聞かない大自然に畏敬の念を抱き、天をカルト(祭る)してきたわけだ。


さて、この歴史をみると、面白いことに気がつきませんかー?今日の2大ストリーム、西の横綱「欧米」と東の横綱「日本」は、文明発祥の大河のそばにはいない。そこなのですよ。方や西の不毛の地「欧州」だし、方や極東の離れ「小島」。共に、はずれモンだーきわモンだー。



ここで再び、おさらい解説すると、人類は集団生活に必要な大量な食料を大河が恵む肥沃な土地に定住して、貯蔵保存の利く穀物を生産する農耕生活の中から、自然と集団との付き合い方を学び、様々な儀式としきたり、政治と祭事、その用具や約束、生活道具をあみだし、祭・食・住・衣と暮らしの方を培った。その過程で、味覚の創造と美意識を洗練させてきたわけで、文化とはその生活様式総体を指すわけだ。そうした営みの果てに人類は4つの食文化体系を築いたんですねー。中華料理、インド料理、欧州料理、日本料理を。1.ありとあらゆる物を食べつくし乾物と中華なべに凝縮した中華料理。2.生存の為、ありとあらゆる物を薬(スパイス)にしたインド料理。3.世界中から様々な物を狩猟・略奪の度に足し加えていった欧州料理。4.稲作から酒を生み季節の山海の幸を酒の肴として神(自然)に祭る日本料理を。「中華料理」は、4000年もかけてあらゆる物を食べつくした果てに軽量コンパクトにした乾物と中華鍋1つをリュックに背負い、いち早く世界進出だ。乾物は出先の水で戻し鍋1つで、焼く・炒める・煮る・茹でる・揚げる・蒸すと6通りの調理をしてしまうブロークンチャイニーズの完成!「インド料理」は、肥沃な熱帯での生存の為に総てを薬(スパイス)とし食の安全を確保。それは、目に舌に鼻に咽に胃にと、体を刺激し五感を総動員させた果てに、危険な魔味の領域、第六感までも刺激しちゃうって。さて、残りは「欧州料理」と「日本料理」。さぁーここからが、はずれモン、きわモン同士の「西の横綱」と「東の横綱」の食文化体系の本題だ。まさしく東西カルチャー対決!はたしてサブかメインか?

西の仕組み

ナイルから地中海を渡った、また中央アジアから陸伝いにヨーロッパに行き着いた人は、農耕に適さない岩盤質(だから天然ミネラルウォーターの産地が多い&苦肉のブドウとオリーブ栽培に)故、狩猟の民として世界に活動を広げざる得なく、乱暴に言い過ぎれば、狩猟・遊牧・交易の名を借りた海賊・盗賊の略奪生活が始まる。その末裔たちは、やがて南米大陸を発見し、また陸伝いには遠く東の中国にたどり着き、ついに新大陸アメリカを発見!その新天地アメリカに、かつてナイルから渡った時のようにメイフラワー号でたどり着く末裔たちは、東から西の端へと略奪と開拓をしながら、広大な大地で石油を掘り当て、牛を飼い穀物を育て、20世紀の産業を、富の頂上を築き上げて今なお、月に火星にサイバースペースにと星条旗を立て続けているわけですよ。さて話を戻して、その食を求めた狩猟の移動は、やがてポルトガル、スペイン、イタリアと歴史が示すとおり、常に時代の覇権を勝ち得た者たちが、その力のままに南米へアジアへ移動し略奪の範囲を拡大。権力の象徴は富。その富の象徴は無いものを手に入れる事で、南米から文明や金、宝石を持ち帰る以上に、実は貯蔵の利く芋や野菜、穀物、果物、蜂蜜、珈琲と、ヨーロッパに無い食物を持ち帰る事だった。中でも芋類は長期の船旅の食料につながり、益々遠くへ大人数で行くことを可能にし、無いもの探しの略奪に拍車をかける。あの大航海時代です。彼らはその略奪の旅で、果物、蜂蜜から未知の味覚「甘さ」を知り、以来、最も珍重したのが甘味。そしてついにサトウキビから砂糖を採取していた中国にたどり着き、究極の甘味「砂糖」を持ち帰るってわけです。中国で発見したお茶と砂糖は後に英国が植民地化し産業とするわけですが。まぁこんな略奪の歴史で作られてきた食卓は、イタリアで開花し、かの嫁入りでイタリアからフランスへ嫁入り道具として渡り、フランス料理として華やかに体系化されたのでした。だから、フランス料理はメインを食べた後に、最も時間を割くのがデゼール。こってりとした甘いデザートをたっぷりと食べる。権力の富の象徴として。この食の体系を「欧州料理」というわけです。まぁーそんないきさつの歴史だから、ヨーロッパ中央の文化は世界中から見つけた奪った物を幾つもの覇権国を経ては、その年次年次に次々と付け足していく、これ見よがしと装飾過剰な美意識として満腹満開に。西の誇示する絢爛豪華・傲慢な「足し算のデコラティブ」が完成したってわけです。

東の仕組み

さて、しんがりは、ガラパゴス諸島のように離れ小島が幸いして、大航海時代の略奪にも、産業革命後の植民地化にも遭わず、共産主義革命の旗にも赤く染まらずに、「謎」の「噂」の「幻」の「黄金の国ジパング」であり続けられた日本ですが。彼らの「噂」の黄金がざっくざくと金で輝く宝島とはかなり違うもので、金閣寺も銀閣寺も金の鯱も黄金の茶室に黄金の源氏絵まであったけど、その正体は究極の無印良品「桶」とミクロコスモス「盆栽」の国だったのです。誰が発明したかわからない「桶」。おぎゃ~と生まれて「たらい」で産湯。飯は「おひつ」。湯船は「風呂桶」。死んで「棺桶」。木と竹のタガだけで出来たまあるい「桶」は、生まれてから死ぬまでお世話になっちゃう代物で、機能も形も、もうこれ以上引きようも無いミニマルの極地。言うまでもなく、痛めばカンナで木を削りタガを締めなおし、とうとう壊れたら燃やして土。何て理にかなうことか。今さら声高に「地球にやさしい」エコロジカルなんて遅すぎー。こんなミニマルにしてエコロジカルな逸品が詠み人知らずの発明品とは。理にかない潔がいいから美しい、日本が誇る究極の無印良品!驚きはさらに、屋根は土の瓦。壁は砂壁。床はい草の畳。窓や仕切りの襖と障子は和紙と木。灯りは草から生まれた和蝋燭。釘1つ使わない木造建築。万時その全てが温度・湿度・通気性この上ない天然100%。しかも桶同様に痛めば容易に修理でき、壊れて用済みになれば土に帰る自然循環。エコロジーもリサイクルも省エネも低炭素社会もみーんな満たした完結のパーフェクトワールドだ。しかもそれら全てが洗練された美しい雅な色彩と素な形体。日本文化はそもそも健康に地球にやさしい未来系だったのですねー。そんな建築空間は、身体寸法から生まれた尺で割られた畳の襖の障子の姿形に。松花弁当の十文字の仕切り、折詰めの折と、空間・家具・道具・食品までも生活寸法でシンプルにデザインしちゃう。そうして空間に坪庭や水琴窟、筧とつくばい、雪見窓やお月見台と、季節でうつろう小さな自然を取り込んで。挙句はそんな大自然の悠久の営みを小さく咲かせた永遠のライブ「盆栽」に萌えーだ。小さな大宇宙を。それが和菓子に、それがお寿司に、それが酒の肴にと。み~んな小さく季節という自然の幸の旬を取り込んだ体にやさしい食べ物ばかり。しかも24節の季節の恵みに感謝して。謙虚ですー。みーんな意味のある彩り鮮やかカラフルな。見ようによっちゃポップじゃないか~キッチュじゃないか~かわいいじゃないか。しかしどれひとつとっても理にかなっているんだなぁ~これが。奥深い物語、ストーリーが満載。その完成形が懐石料理って手順と作法か。風雅な趣き、情緒と風情、洒落と粋を心得た、東は彩り艶やか謙虚な引き算のミニマリズムってわけなんす。

日本とは 東京とは

大陸から「米」と「器」と「絹」と「漢字」を持って渡来した先人達は、行き止まりの袋小路の離れ小島で2670年の歳月をかけ洗練させてきた食文化は人類史上類例のない「文化のガラパゴス」となった。
それは、南北に細長く故に四季が際立ち、海と山が隣接し故に平地が乏しい。お陰で、清冽な水から唯一日本だけが稲作文化圏でお米から酒を作りえた。そして四季の恵みの海山の幸を酒の肴として畏敬の自然をもてなし祭り、その最後にありがたい銀シャリをいただく謙虚なカルチャー、食文化体系を。そこで知りえた生き抜く知恵として、先人たちは大学院へいかずとも、ハーバードでMBAを取得せずとも、自然の摂理から来る節度、いわば宇宙の憲法と法律から、理にかなう様々な生活様式、作法を会得してきた。先の桶に象徴されるように究極の無印良品を。もうこれ以上、落としようのない無駄のないエコロジカルなミニマルを。また海山の季節の時間のうつろいから雅な色彩と美を見いだした。色を表す言葉の数は世界一だ。すべては天の恵みに感謝した、主食たる米から生まれた酒を神に祭る行為から食は酒の肴となり、季節の小さな器、小さな盛り付けと、この島国固有の季節感が、色彩と絵柄を皿に器に着物に空間にと描かせた。そんな、「小さいけれど意味の深い」は、知らぬ間に世界に浸透して行った。スシはヘルシーで色彩も四季も美しく世界の食卓をめぐり、精密機器は世界の目に見えない足元を支え、アイボもアシモもロボットたちは世界の未来も支える。すべてがそもそも、ヘルシーでエコロジー、体によろしく、地球にやさしく美しい。世界のどこにもない、世界がまねようもない、「かわいい緻密」。日本って理にかなう雅な「かわいい緻密」。じゃぁ~東京って旬な「かわいい緻密の過密都市」ってことかい。

CUTE【キュート】(かわいい)って、子供がかわいい、子犬がかわいい、って使用範囲が比較的幼いものへ向いているけれど(カッコいいって意もあり)、KAWAII【カワイイ】(かわいい)は、もちろん子犬も赤ちゃんもかわいいと使われるんだけど、和菓子やお鮨だって小さくてカラフルでポップでかわいいのです。その和菓子もお鮨も意味は深く、季節の旬の自然のなりわいにしたがった英知の塊。つまり物語が深い。そしてこしらえるにも意味と技が深い。天然の幸の味覚は体にも見た目にもよろしい。外見は子供っぽい軽いスナックに見えるけど。緻密なんです。もちろん、ガールズのネイルもデコ電もゴスロリもネ。

対極のカルチャー対決の分

「西の横綱」は、アテネから始まる「学問」という論理体系とキリスト教からの「宗教」という倫理体系を背景に、伝統的な狩猟・略奪、言葉を変えて「搾取」の世界戦略に打って出ます。牧師を派遣し教会を建て聖書を配布し英語を教える。そうして世界の共通語圏を拡大し囲い込み販路を築く。欧米のビジネスモデルってヤツMBAですな。一方、「東の横綱」は、そもそもガラパゴス島という離れ小島での生活が自己完結していますからゴミも出なく美しくね。何てったって小さな大宇宙ですから世界に拡大を必要としない。ところが、世界で勝手にスシは回り、アニメは流れ、シブヤが歩く、気がついたら、世界は勝手に日本詣で、東京巡礼ときたもんだ。売り込みも、先行投資も 0。さぁ~一体どっちが経済効率がいいかは言うまでもない。天下のMBAって一体何ぃーーー!なんですわ。日本って、ひょっとしたら、あのパリ万博での世界デビュー以来、実は世界のメインストリームを張っていたのかもですねー。
外国映画の中の日本と日本人

外国映画の中であしらわれる日本人と日本のイメージは、70年代後半ぐらいまでの長きにわたって、メガネ、カメラ、時計、鞄、団体、着物、浴衣、富士山、芸者、すき焼、で、薄っぺらなアイコン的存在だった。もちろんカメラ(Nikon)・時計(SEIKO)・電子機器(SONY)など工業製品としてクローズアップされた扱いもあるけれど。80年代に入ると人影はなくても道具立てとして、蕎麦、うどん、ラーメン、つまりヌードルと屋台だけが登場しても、インスタントラーメンやカップ麺といった世界商品が普及して、無意識のうちに、その高い技術力やそういった食品を生み出せる日本固有のセンスに尊敬を抱き始めたような扱われ方に。それが90年代になると、いきなり当の日本にもないようなモダンでクールなSUSHI BAR、日本食レストランやカラオケバーと本格的な数奇屋づくりの日本旅館など実在店舗が登場し、欧米社会で「日本」のステイタスが高騰した事を示しだす。もはやフレンチでもイタリアンでもチャイニーズでもなく、一クラス上の扱いだ。それは劇中、こなれた箸の使い方にもあらわれて一層、格の違いがリアルに。そして2000年代には、近未来的ハイテク産業ロボットの登場や自動車工場などと、俄然「日本」は主役級の背景になる。こう見てくると、80年代以前までは、何だか街なかでどうでもいい2Dのゴミビラが舞っているような存在、所詮小道具の一部って扱いから、80年代以降は、キャラ立ったカリスマのオーラを放ち堂堂たる存在感で動き回る3Dになっている。もう小道具の1つから出世して重要な役者としての出演だ。くいだおれ太郎君か。エンドロールのクレジットには主役の横に併記される存在だ。(余談ながら、米大統領選で、にわかにアイドルと化した共和党副大統領候補のペイリン氏がかけるメガネ(福井県の老舗メーカー、増永眼鏡が製造するブランド「Kazuo Kawasaki Ph.D.」価格は375ドル)が話題沸騰した事は、ニュースでご承知の通りだが、この福井産のメガネは、シュワルツ・ネッガー加州州知事、女優ウーピー・ゴールドバーグ、パウエル前国務長官、などなど元々米セレブに大人気だったようで、今回のペイリン効果でメーカーにはアメリカからの大量注文ひっきりなしの模様だ。かつて映画の中に登場する「めがねな日本人」は影の薄い、つまり、みな同じに見える滑稽な意味合いが込められていたのにネ。時は変り、ここでも主役に?彼らを個性的に見せている?さらに追記すれば、世界のアパレルブランドが、あのアルマーニまでも、岡山産のデニムでジーンズを特注しているように、レールの要に「黄金」ありなんですねー。)


日本で撮られた外国映画の日本と日本人

一方、ロケ地が日本で撮られた外国映画に登場する日本と日本人は、1967年『007は二度死ぬ』では、丹下健三の代々木第一体育館、日本初の近代ホテル ホテルニューオータニ、当時の最先端だった営団地下鉄と名神高速、富士スピートウェイ、そして国産初のスポーツカー TOYOTA 2000GT しかもオープンエアー。旧蔵前国技館。役者もボンドに負けないスターらしい丹波哲郎、若林映子と見事な日本産ボンドガール浜美枝。おまけは海女のチョイ役で松岡きっこ。ボンドシリーズの中で傑作の部類に入る見応えある人と背景だ。1989年『ブラック・レイン』では、 繊細で鋭利な日本刀のような緊張感ある高松伸の最先端建築キリンプラザビルが映画のトーンをキメている。1992年『夢の果てまで』では、黒川記章のカプセルホテルと建築中の丹下健三の東京都庁舎。ここまでは経済大国に成長してきた日本とその東京を象徴するランドマーク的な当時の最先端新建築が重要な役者ばりに登場する。ところが、2003年『ロスト・イン・トランスレーション』では大きな変化が、それは見事なリアルストリート。東京サブカルチャーシーンの人・物・事のリアルな扱いや平安神宮、ロボットの扱いまでも日本人がすっかり忘れてしまった間接的な表現を使い情緒や佇まいを曖昧な気分をあぶりだす。およそ同年の日本人監督でさえ描けない見事な今の日本描写を。ソフィア・コッポラは「日本」とは何かを心得ているとしか言いようがない。「西」側なのに。ハーフか?スパイか?ジャパニーズか?2007年「バベル」も同次元で、渋谷、JPOPカフェ、一の橋の公園なんて、都心育ちの女子高生たちのリアルな気分と生態がお見事だ。そして2008年「TOKYO!」にいたっては、もう 普通に今時の日本映画見るような人物と背景がナチュラルに。(ここで注記すれば、外国人建築家が襲来して都内随所に世紀末建築が繚乱した80年代後半のバブルな東京を撮りまとめた異作、篠山紀信の「東京未来世紀」の発刊が1992年、時ほぼ同じくして翌1993年に、東京の若者の100部屋をリアルに活写して話題となった都築響一の「TOKYO STYL」が発刊された。時代の世紀末感を共有しながらも対極なテーマのこの2冊の間が、その後の流れの分岐点だったふしがある。というのもすでに『夢の果てまで』の中で、建造中の東京都庁舎と、ひなびた4畳半ライフを対比するシーンがあるのだ。ただちょっと歌舞いて言えば、それから20年以上も経ち、すでにIT新世代が社会の中心に台頭しているのも関わらず、「新世紀東京」に見栄えするすぐれた国産建築がひとつも生まれていないって事もあるのでしょうがね。こりゃかなりまずいけど。)


新世紀

さぁ~こう眺めてくると、時代の推移と監督や脚本家の世代交代は、かつてのフジヤマ、ゲイシャ、スキヤキといったアイコンをクラブ、ロボット、ファッションと、人も背景もすっかりリアルなものに激変させていたわけだが。それは、今の日本が今の東京が必要だから欲しいから撮りに来ているって事でもあるわけで。実はこの前と後では180度も違う日本の扱われ方、日本の存在感の変化は、世界IT同時革命の時節と重なっている。それはまるでマルコ・ポーロの「東方見聞録」の時代が再来したかのように極東の離れ小島で起こっている「東京のリアルストリートカルチャー」が新世代にも「謎」の「噂」の「幻」の「黄金の国ジパング」と写ったからだ。大航海時代なら船で、陸伝いにと、たどり着くにも途方もなく時間も労力も必要だったが、船がITとなった今では、容易に世界のあらゆる人たちの眼前に「黄金」は届く。ひょっとすると今、世界で巻き起こっている東京詣でこそが21世紀の「印象派」的出来事なのかもしれない。じゃぁ~ソフィア・コッポラは現代のモネ?ドガ?ルノアール???

そしてその重なる部分に90年代以降、日本の東京のリアルストリートカルチャーをネタに「今様東方見聞録」で大成功を収めた外国人たちが多数台頭していた。1991年にロンドンで結成されたクリエーター集団「TOMATO」の創立者サイモン・テイラー。1994年、在東京の外国人のための英字フリーペーパー「メトロポリス」を創刊したクリスクロス社のCEOマーク・デブリン。1996年ロンドンで創刊のカルチャーマガジン「ウォールペーパー」のタイラー・ブリュレは、この間ITLの鄭秀和とCDTを立ち上げ、さらに2007年にはビジネス国際情報誌「モノクル」も創刊。彼はつい最近の上場で再び話題も株価も急騰した、中田英寿や北島幸介が所属する事でも有名なスポーツ、文化人タレントのPRエージェント「サニーサイドアップ」に所属している。(さすが辣腕次原社長!)1996年創刊の「TOKION」は、東京のサブカルチャーシーンを日/英のバイリンガルで紹介した先駆けだ。しかも創刊者のルーカス・パデキ・バルコは、大学卒業と共に「そうだ!東京に行こう!」のノリで初来日。以来、2002年には、トラベル・ライフスタイル誌「ペーパー・スカイ」も創刊し、様々な企業とのコラボで破竹の勢い。今やれっきとした凄腕カルチャー商人だ。


そんなさなか、この流れを象徴する「プラダビル」が2003年、表参道に登場する。まるでイサムノグチの"灯り"をポンっと置いて見せたかのような日本的美意識の建築が。東京の過密した一等地の狭い土地が逆に広く感じるほどの風雅で間合いのある佇まい。まるで小さくても大きい坪庭の作法の建築だ。北京五輪の"鳥の巣"やワールドカップドイツ大会の"アリアンツ・アリーナ"の設計で知られる、もはや中年建築家ユニット"ヘルツォーク&ド・ムーロン・アルヒテクテン"らによって。使われたガラスは日本の先端技術、デザインの根底には、あの「黄金」ちいさな大宇宙「盆栽」が。映画「ロスト・イン・トランスレーション」同様、悔しい事に本来なら日本の新世代クリエーター、建築家たちが創出して見せるべき最先端「日本」なのですがネ。(ついでに歌舞けば、六本木ヒルズじゃ映画の背景にはならないよね。だって世界を魅了する肝心な魂「黄金」が入っていないからねー。手抜きか?無能か?違法建築か?)


今や戦後63年。その敗戦で立ち遅れた日本は欧米化を急ぎ、東京オリンピックをきっかけに、お手本の先進国が引いたレールの上で急速な工業化を進めた。その結果、精密で精度が高く安心できる日本製品は地球の津々浦々まで普及した。その事が世界62臆の人たちを、そして当の1億の日本人にも、あの龍平君の「違う」を浮き彫りにさせたのだ。《より小さく・より薄く・より美しく》 それを生み出す源「黄金」を。62臆には創造できない製造できない雅な「かわいい緻密」を。オタク文化大国だって事を。そもそも人類文化史のガラパゴスだった事を。

小さな大宇宙に萌える日本の真髄「盆栽」と「フィギア」。その「フィギア」をまるでミケランジェロの最高傑作ダビデ像のごとく「彫刻」的にしてしまった「MY Lonesome CowBoy」。今までもこれからも世界の誰も真似の出来ない「日本」をあえて今、世界基準のスケールに堂堂として見せた確信犯 村上隆。人類の美術史で、この確信犯の作品が前人未到の最先端であるわけだ。だから日本産現代美術としては16億円という記録的高値が付き、現代美術の殿堂MOMAに燦然と展覧されたのだ。村上隆は、かつて日本画壇が横尾忠則の作品に対して絵画か?イラストか?との懐疑と締め出しで不毛な論争を巻き起こした時代の日本の閉塞的メンタリティーを軽々と越えて、曖昧な芸術と商品のきわを西洋のスキームとビジネスモデルの枠組みを使って極めて見せたのだ。だから、「日本」を引用してブランディングに大成功を収めたルイ・ヴィトンがいち早く村上隆を起用して旧世代ファンにも新世代ファンにもヒットしたのはあたりまえの話なのだがネっ。(またまたここで歌舞くと、世界を魅了する魂「黄金」がない空疎な工業建築の六本木ヒルズがヴィトンを真似て旬に見えた村上隆を盗用しても不協和音で値打ちが上がらなかったとおりで。)

21世紀に入って8年。新世紀は世界のアイドル日本からにじみ湧いたカワイイが世界の時代のニックネームなのかもしれない。小さくもあり。また大きくもあり。軽く見えて重く深い物語性のある。雅なかわいい緻密。思いおこせば、世界が20世紀末の大世紀末感に浮かれ始めた1989年、創刊以来、時の人をカバーにしてきた伝統と権威ある「TIME」誌は、その掟を破り、その年の年末号で初めて人物以外のものを表紙に飾った。それが青く美しいまあるい地球だった。それから20年を経た2008年。すっかり「黄金」を会得したりんご社の「かわいい緻密」アイフォーンのディスプレイにも、あの青く美しいまあるい地球が。そして、ルイ・ヴィトンは相変わらずお上手な事に、エスプリ利かした「ルイ・ヴィトンの東京ガイド2009」(日本語版)を刊行し、ちゃっかり日本を東京を商品化と、創業以来の伝統芸を発揮する。

どこにもない。元祖「雅なかわいい緻密」。地球はかわいい。

世界を魅了してやまない「雅」と「かわいい緻密」
iriverとDisneyの日米コラボMplayer made in japan
(厳密には韓国籍企業ですが、コアはMIJ)

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