青春・朱夏・白秋・幻冬。人生のライフサイクルで言えば僕はかろうじて朱夏の後半らしい。まだまだ真っ赤な燃える夏。残暑の季節か。そうなら僕は、切なくけだるい甘味な夏の終りでありたいなぁー。西日にむせ返る土の草のなまめく風が香る。。。今年の東京は夏日が続いたわりにはお盆を越してからというもの、一雨ごとに熱が冷めて夏気分は急速に萎えた奇妙な静けさと不快な涼しさだ。暦どおりならこれが風情ってもんで正常なんだろうし、昔はきっとこうなのだろうけど。人・事・物が集結した欲望の熱塊が地中・天空・地平線まで高密度なTOKYOではちょっと異変で奇怪だ。あれれれれぇー夏らしさを満喫しないまま、もうこれでオ・ワ・リ?っと、尻切れトンボ。いつもの年より終わりの寂しさがグンと漂う8月末だ。まるでおやおやー?っと変化に気がつくころにはすっかり手遅れな恋の終わりの焦燥感。お相手の一挙手一投足がズン・ズンと沁みる想定外に早くやって来た別れ際。えもいわれぬ去りゆくものへのオ・ワ・リー感を加速させる。余韻に冷めぬ恋心は急冷した外気にたじろぐって感じか。
夏はわけもなく暴発しそうな生気がみなぎる。みんなジリジリ汗を吹きながら夏に燃えるキラキラがまばゆい。この世の全てがギラギラと躍動感に満ちて、満月に野生化するみたいにメラメラと夏に萌える。満月と真夏とは盛が疼く旬なのか。子供のころから大人になった今でも夏は毎回、恋しくて待ち遠しくてトキメク。その待ちわびた夏は、ふと気がつくころには、えぇーあと一週間で終りー?と過ぎ去り、土壇場に焦りまくるあの「夏休み」そのものだ。それは人生もまた「夏休み」そのものと40をすぎたころから感じ始めたけれど。あんなに長くたっぷりあるはずだった「夏休み」に、あれもしてこれもして、ああしたいこうしたいと、ヤル気も生気もてんこ盛りでいっぱいいっぱいな野望でパンパンだった?は・ず・がー? 陽光を照り返すモリモリだった青葉もシミシワ増してぐっとお疲れ色に気付くころ、みなぎる生気もかげりだし、西日がけだるさをまして夜が濃くなり始めると、昼夜を忘れて鳴き止まなかった蝉の大合唱は主役を虫の音に代えている。水と光に戯れて花火に踊って無邪気にはじけた祭りの後は未読の本の未解決の宿題の山脈が待つ。急に焦りと寂しさに襲われるあの感じ。ああ時間が足りなぁーい!あれもこれも出来ていなぁーい!こんなはずじゃなかったのにぃー! 熱闘オリンピックが終ったとたん、あっけなく今年の夏は燃え尽きちゃった?んでしょうかぁー。 そもそも夏って灼熱の太陽に身も心も焦がされて脱がされて開放感に浮き足だつけれど、どこかはかない寂しさもたっぷりあわせ持っている切ない季節でもあるんだなぁー。「太陽がいっぱい」みたいに。「冒険者たち」の朱夏の終りのように。「思い出の夏」のノスタルジックな。今日はいよいよ「20世紀少年」の封切。夏の終りにふさわしそう。30年前の唯一の学友、堤幸彦と昭和30年代がよみがえる。昨夜の雷鳴は見事な前夜祭かもね。
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