2009/10/31
you are the sunshaine of my life の思い出
グーグルはスゴイ!トカラさんを発見!
2009/10/30
スキーだよ。忘れていた。
2009/10/29
ウォーホルとビートルズとマイケルの月夜
2009/10/28
豪華にも「メタリック農家」と「毛皮族」
2009/10/26
うさぎさんの思い出夜話。
【注】1902年の熊狩りのエピソードが「テディ」というネーミングの発端だが、シュタイフの独特な抱き心地と存在感に感動した大統領のエピソードからシュタイフのクマのぬいぐるみが「テディベア」の広告塔となって、広く世界に普及していったのが事の実態だ。
60年代〜70年代初頭の日本では、大ヒット映画オードリー・ヘップバーンの「シャレード」に、ふんだんにルイ・ビトンが登場していても、誰も気がつかない時代。当時ルイ・ビトンは唯一、名取洋之助、川端康成、小津安二郎、勅使河原蒼風、など錚々たる文士、写真家、芸術家たちのサロンと化していた、1955年創業の元祖舶来品屋 銀座のサンモトヤマの創業者本山登長一郎さん(25ぐらいの頃、太陽会でお会いした事がある)ぐらいしか扱っていなかったころだ。アパレル何て始める遥か以前の正統的ルイ・ビトンは、鞄と始めたばかりの靴の時代。そんなころから、売れっ子放送作家として仕事柄、頻繁に海外へ行っていた景山民夫さん、ある時ルイ・ビトンのパリ本店2階で、うさぎのぬいぐるみを見つけた。(当時の日本人観光客は、みなバックがお目当てで1階止まり。そもそも2階があるのを知らなかった。)これは珍品「娘のお土産に打ってつけ」と、帰国後お嬢ちゃんに渡した翌日、2階の書斎で原稿を書きながら、ふと筆休めに窓越しを眺めると、公園の砂場で、ルイ・ビトンのうさぎの耳を引きずりながら砂まみれになって、ご近所の子たちと遊んでいる我が子の勇姿が見えた。思わずニヤリほくそ笑み、その贅沢な光景にうっとりしばし。「どうだい、うちの子は。ビトンのうさぎを砂場で引きずって遊んでるわい」と。80年代のブランドブームに鼻高々で、ご満悦だった。時、ちょうどシュタイフが、寝ぬいぐるみのラビットを発売し始めたころ。それは当時のルイ・ビトンがシュタイフを真似て、耳に「LV」の小さなリベットボタンを付けて販売したものだった。そんな遊びの時代を生きてきて、僕もちょうど景山さんがお亡くなりになった50歳を越えて数年。往時の「うさぎ」が出品されたメールから30年の時を回顧にふけった次第。思えば80年代は、みんな赤塚不二夫、タモリさんバリにギャグのような日々だった。