2009/10/31

you are the sunshaine of my life の思い出




















1985. I fell in love. 13 years after. We married.


スティビー・ワンダーも一緒に行ったけど、このBOSSAが決めて。

夏ぐらいから、変調はあって気がかりだったけれど、昨夜からタロの具合が悪く、不安が募った。満月に近づいて、ふっくらした月がぼんやりと神宮の森に落ち、夜が開けると気持ちのよい日差し。ゆかりのひとが陽光とともに青空に浮かんで口ずさんだ。きっと「スキーを忘れてた」から思い出されたのかもしれない。you are my sunshaine of my life の思い出が。。。一瞬とはいえ、まだ手のひらサイズだったタロの母親でもあったのだから。タロには、ほんとうに長生きして欲しい。

グーグルはスゴイ!トカラさんを発見!

google の Bloger をメインのブログ「新。岡田枕流。企て1000年。」にして1年ちょっと。ピンポイントのレアネタで、しかも致命的な事に、長い重い濃いと、とても見てもらえる、およそ読んでもらえる、ネット的(短い軽いゆるい)サクサクとサーフできるものではない。そもそも、日頃から気になっていた事、日々、興味関心がわいた事、自分自身も含めた、もう森羅万象ヴァラエティなテーマを思いつきのままメモしている感じで、自分にとってのデーターベースになればと勢い詳しく書き込むわけで、まぁー、仕事に繋がる考えをまとめる下書き倉庫のようなものだから。ただ、そんな私的メモや心模様を公開しているのは、すこし緊張感を持って、それなりにキチンと根拠ある責任ある意見を記す訓練というのか、もっとも不得手な文字表現の練習をしているのかもしれない。そんなわけで、リンクもトラックバックもフィードも広告も入れていないしで、本当にアクセス数が少ない。日々だいたい30〜60のアクセス。たまにタイムリーな芸能人のネタがヒットして200〜ぐらいに跳ね上がるが、それも年に2〜3度。ところが不思議。以前から goo のブログで公開している(2007年4月から絶筆中の)「おかだしゅみ・オカダシュミ・岡駄趣味」、同じく(2007年12月が最終更新の)「オクリモンのオクリモノ」が、毎日合わせて100以上のアクセスがある。それもほとんど変動がない安定した数字。1年以上も放置してある全くNEWSがないブログの方が多いのだ。そこで、この不思議を解明するためにFREEで簡素なアクセス解析の機能を付けてみた。すると、ほったらかしの goo ブログは、ほぼ100%検索エンジンからのアクセス。検索キーワードも、ブログ同様、ヴァラエティ。可笑しかったのが、たいがい検索で1ページ目にいるのだ。ネタによっちゃートップにいるには驚いた。本当にピンポイントなオタクネタを証明している。とにかくブログには、レアな固有名詞の登場頻度が多いからだろうが。で、Bloger にはもう少し精度のいい解析が付けられたので、こちらを見ると、これも面白い。85%が検索エンジンからで、唯一リンクしている mixi が5%、残り10%が、一度訪れてその後にブックマークしている方からだとわかった。固定ファンは1日3〜6人ぐらい。なるほど人気がない。そして最も少数派の mixi で知り合ったマイミクさんたちは、あまりアクセスがないのと、滞在時間が、目的ある検索者や、興味あるブックマークの方とは大きく違い、極端に短い。たぶんクリックしてそのまま「なっがぁーっ」とスルーしている感じだった。「こりゃ友達間違えてるかも」笑。ましかし、3ブログのトータルで1日150人〜ぐらいの方たちの興味、関心に応えているようで、変人も少しは世の皆さんのお役に立っているのかと、妙な気分。そうそう限定ネタの回顧図書館「オカダ文庫」は、最もアクセスが少ないけれど、その100%検索からの訪問者さんたちには、しっかり読んでいただいているようで、こちらは意外と書きがい手応えを感じたので、少しこちらも更新しなきゃ。まーいろいろ興味深いリサーチができたのでした。

puyallup USA の表記からこのgoogle mapのA地点へ

さて今日のお題。その解析機能で一番驚いたのが訪問者の地域名。国内からは、福岡、広島、東京、山形、札幌などと都市名止まりで、地方の市町村は大雑把に北海道とか京都府とか県単位での表示。同様に海外からの訪問者も都市部の方はロンドンとかミラノとかその都市名止まり。ところが、地方となると日本とは逆にその地名を表示している。そうそう言い忘れ。これも日本ネタと固有名詞の多さなんでしょうが、100%日本語表記なのに、意外や海外からのアクセスが30%くらいあるんです。で、昨日、シアトルからのしかも地方表示の訪問者があったので、早速、その地域表示をクリックしてみた。すると現れたのは google map 。それが上の写真。小さくて見難いでしょうが google map お馴染みの赤いAマークで示されたところが、アクセス元。何と駐車場の車の中。実はこのシアトルからの訪問者は、同郷で名門美大で美術を学び、京都で名人から和菓子の修行を積み、どういう経緯からかシアトルで和菓子店を開業して2周年の友人と判明。グーグルはスゴい!トカラさんを発見!なのでした。日本時間10:12に、この駐車場の車内からモバイルアクセスしていたのでした。ライブな居場所が特定できる何て、まるでペンタゴン。海外からのモバイラーの皆さん!居場所がバレちゃいますよー。ただし、国内からの方と海外でも都市部の方はご安心を。地域がアバウト表記なので特定できませんのでネ。笑。これは奇遇ですから。

japanese confectionery "tokaea"

その札幌生まれ、京都育ちの、シアトル名菓。tokara「トカラ」さんをどうぞよろしく!

P.S. 今日は月末。しんどい日々でしたぁー。さ、スガシカオの歌詞に後押しされて「あと一歩の踏み出す勇気」を奮い立たせなきゃ。恩人に恩返しもできない。シアトルの和菓子職人さんを見習って、がんばろう。涙。。。

2009/10/30

スキーだよ。忘れていた。



今朝、雪山の映像を見ていたら、キラッキラと新雪が舞う朝の眩しい雪道を無性に飛ばしたくなっちゃった。「男と女」のように寝ずに飛ばして1000キロ分の泥まみれの車で彼女に会いにいくように。僕のスキーって、そんな感じだったと思い出した。スキーだよ。忘れていた。「そうだ、スキーに行こう!」今年こそはスキー三昧。もう何年も、こういう雪山には行ってない。年間180日は雪上にいた大学時代。10月には黒岳。11月には中山峠。針葉樹にパウダースノーが舞う真冬が始まっている山から下りると、街なかはうららかな晩秋。ほんの1時間のドライブなのに、まるで宇宙から帰還したかのような異世界間の行き交いがいいシーズン初め。雪を積んで泥まみれの車体が、スキー乗りの自慢の勲章だった。束の間の非日常を遊ぶ。光を追うひまわりのように雪を追って。いつも日本で一番最初にスキーをしていた。シーズンパスでテイネに通い詰めた独立当時。1週間は山ごもりした30代。おいおい40過ぎてから雪山に長期滞在してなかったっけ?この10年ときたら彼女としっとり温泉宿ばかり? 今冬はニセコヒラフに半月はいたい。できたらひと月。日に数本、スキーとぶらぶら。これが、いい。快晴の3時前。西日に浮かびだしたコブの陰影。宇宙まで抜けたスカイブルー。その目の覚めるようなコントラストを背景に、気温が下がり始めて息も雪もシュプールに舞う。これをラスト1本にして山から下りる。夕暮れ海から上がったサーフィンもそうだけど、ロッジにもどると冷えた体がポッポと火照りだし空腹と、けだるい疲れが気持ちいい。まるで朝のぬくぬく布団のような、あの快楽。あぁーとにかくニセコだ。日本一の粉雪。日本離れした広い視界と長さと道すがら。おっと、でもそれまでに失った運転免許、取り直せるでしょか。そうなんス。去年、日本の裏迎賓館の亭主、松井氏をご紹介するため親友2名と供に千歳空港に着いて、いざレンタカーを調達しようとしたら、嘘のような本当の奇遇、メンバー全員、免許切れ。そのドジ仲間の一人、恩人Mさんが、ついこの間、2ヶ月がかりで何とか再取得。その時のお勉強セット一式をオークラでお会いした先月いただいたばかり。まだ手つかずの袋のままだけど。雪山までのハードルは高い。


The Ski」「pre」なんて、クールなスキー板が、アメリカのロコなスキーバムたちの間で流行り始めた70年代後期。青山のスキーショップ「ジロー」ぐらいしか扱っていなかった。そう、スキャンダラスにまみれた高相被告のご実家、父上は当時、最前線をハッテいた。僕もそのミニマルな2本が当時の自慢。そして、12月に入った土曜の午後ともなると、銀座4丁目交差点にはVWのビートルのように、リアにスキーを立てかけたポルシェ911を転がすリッチな学生カップルの姿が、信号待ちする退社後の人たちの羨望を煽っていた。彼女をピックして、銀座で不足品を調達して、さぁーこれから苗場に向かいそう〜な、雪のロマンズが。というのは、当時銀座4丁目のコアビル5階には「ミナミ」が、並木通りのはし1丁目には「好日山荘」銀座店があって、それぞれ、ゴーグルやグラブ、ニット帽などの小間物や、アフタースキーのニット、スエット、Tシャツなどなど、青山の「ジロー」ばりにお洒落な品揃えにした店があったから。それに「The Ski」を立てたポルシェの路駐は、見せ場だし。スノボが普及したリアルストリートファッッションの時代にはない、スキーリゾートの優雅が香る東京スキーライフって感じだった。オードリー・ヘップバーンの「シャレード」の冒頭シーンに憧れた。「華麗」とか「優雅」って、どこへ行っちゃったんだろう。この30年で。トニー・ザイラーも、つい8月に亡くなった今年、スキーはもはや、麗しいクラシック・ウィンタースポーツとなったのかしらん。マーロもそうだけど、ボグナーのセーターなんて、今着るとカッコいいと思うけどなぁー。豪奢でモダンなアルペンでネ。

LUXURIOUS RETREATS for your SKIBlanket Bay
QUEENSTOWN, NEW ZEALAND


当時はVWビートルにスキーをおっ立てるように、ポルシェもリアに立てかけて、いざゲレンデが普通だった。後輪駆動のビートルはチェーンさえ巻けば、FF(前輪駆動)車並みに雪道を走れた。しかも車重があるわりには、スタックしても後部の重さが逆に自力脱出を可能にして、意外やスキーにはいい車。VWの兄弟だったポルシェもしかり、雪道走破にはFR(後輪駆動)の尻ふり感は馬力がありすぎで怖いものの、VWスタイルのリアにスキーが一番お似合いだった。レンジローバーやメルセデスのゲレンデバーゲンなんて輸入される以前。ましてや今日のBMWやボルシェまで4駆の豪華なRV車を売り出すご時世にはない、おおらかでノーブルなスキーライフがあった。

写真は、VWカルマンギアでのスタックシーン。個人サイトから無断借用したジオラマにて失礼。

2009/10/29

ウォーホルとビートルズとマイケルの月夜


Andy Warhol, Dance Diagram. HYSTERIC GLAMOUR

気が利く、後輩からのお届けモノ。開けてみれば「ウォーホル」と「ビートルズ」だった。失意落胆の日々、撃沈している今年、最上の慰めの品 届く。それも、アンディ・ウォーホルは、家から1本道を真っすぐ歩いて3分の町内会に本社がある HYSTERIC GLAMOUR 製の今夏もの。ウォーホル60年代初期の名作 ダンスダイアグラム をプリントしたコラボ品。方やビートルズは、イタリアの超大好きブランド Vintage55 製だ。何気にお高い2品とは、涙にくれる身に沁みる感謝!感激!今夜はライブ。60's-70's-80's を10代20代30代で過ごせた幸せに震えた月夜 THIS IS IT さ。興奮いまだ冷めやらぬ。

THE BATLES Vantage55 maid in italy


上は、自前のオノ・ヨーコ デザインのTシャツ。1964年に出版されたした「グレープフルーツ」"GRAPEFRUIT" A BOOK INSTRUCTION AND DRAWINGS のノベルティーTee。4年前にデッドストックをゲット。ヴィンテージ・ロック・Tシャツ でお馴染みのウォーンフリー( WORNFREE製。下が、シングル版を一回り小さくした GRAPEFRUIT 初版。探しても見つからない幻の幻。もはやオノ・ヨーコでさえ手元にないかもネ。

"GRAPEFRUIT" A BOOK INSTRUCTION AND DRAWINGS Yoko Ono
First published in Japan in 1964, subsequently republished in a slightly different version in Britain and the US in 1970, and reprinted in 2000, Yoko Ono's book of art instruction pieces, GRAPEFRUIT, is an anthology of minimalist delights. more...

2009/10/28

豪華にも「メタリック農家」と「毛皮族」



かねてより、今一押しの劇団と騒いできた通称「メタ農」巷間「メタファー」と呼ばれる「メタリック農家」。当ブログでも、再三あつかってきたけれど、この1年で人気急上昇。チケットも昨年同月の定期公演から1000円も上昇する高騰ぶりだ。といっても元値が2500円(前売り)だから、3500円になっても若者価格で安価ではあるが、今一番、お値打ちある旬かもしれない。この先、確実に10000円級の大物になる予感だから。そして前作の「」(2009年5月)からわずか数ヶ月で、主宰者であり脚本家であり女優である葛木英(くずきあきら)は、映画、小説、他劇団の脚本・演出、CM、テレビドラマ、ラジオ番組と、仕事が激増。とうとう業界に火がついちゃった感だ。この先ひかえた映画の公開と小説の出版時には、いよいよテレビに追いかけられる時到来の様相。すでに彼女のエージェントも、ウェブをリニュアルし、今まで自由奔放だったブログにも発言に注意を促した模様。旬の才能、時代の申し子は足が速い。クリエーターのマスデビューとしては、26歳は適時とも言えなくないが。未来が頼もしい80年代女子だ。

第13回定期公演「累類(るいるい)」12月4日~7日@下北沢駅前劇場 。いよいい10月31日チケットが発売。今作は、小劇場界・グラビア界・映画界などバラエティ豊かなキャストによる、「映画」「舞台」のメディアミックスな5本立て!すでに小説化が決定した記念公演 [葛木英、本気の短編映画+舞台集]との事。今回も即完売で入手困難なプレミアになりそうだ。また、人づてに頼まなきゃかなぁー。


堤幸彦も絶賛した前作「」。2003年に19歳で立ち上げた劇団「メタリック農家」に豊作をもたらした。本当に毎回、面白い。ぜひ一度、ご体感を。お値打ち価格のこの旬に。
P.S.下北沢駅前劇場では、メタリック農家の「累累」の前が葛木英の先を行く、江本純子率いる毛皮族社会派すけべえと、2週連続、見逃せない東京最前線の舞台が続く。

2009/10/26

うさぎさんの思い出夜話。

tinycrown(タイニークラウン)という名のヴィンテージ雑貨、アクセサリー、クロージングなどを扱うネットショップを営むロンドン在住のイセキアヤコさんは、稀に見る目利きで、品物の時代背景、素材、製法、出来具合、メーカー、ブランド、制作者、そして保存状態の見極めの達人さん。小さな王冠にかけるわけじゃないが眼力王、いや眼力女王と呼びたいプロ中のプロだ。とにかく、そのセレクションの趣味の良さには毎回、案内が届く度に目から鱗、舌を巻き、もう脱帽。「選りすぐりの厳選」とはこの事だ!と、最も信頼できるアンティーク&ヴィンテージの小間物バイヤーさん。もう何度も買いたいモノが出品される度に、手を挙げてきたけれど、当然レアな一点モノばかり、あっという間にsold out。なかなか欲しいモノを手に入れられない。しかし、だだ一度、アンティークボタンでリメイクされた珍品のへアゴム(髪留め)を手に入れた(おっとモトカノへのオクリモンにね)。が、驚きは続く。その簡素にして上等な紙を使った上品な包装と取り扱いの粋。これまた物を知る心得者だなぁーと、ほとほと感心。頭がたれた。その tinycron(タイニークラウン)から、新入荷品の案内メールが届いた日曜の昼下がり、またしても、してヤラれた。珍品中の珍品、テディベアでお馴染みドイツの老舗ぬいぐるみメーカーSteiff(シュタイフ)で、1960〜70年に生産されていた寝ぬいぐるみのラビット、幻の「うさぎ」が出品されていたのだ。まさしく、涙もののコレクターアイテム。未使用の掘り出し物はグッド・コンディションのトリプルA品。もちろん?すでに sold out 完売印。感激は嘆きだった。。。

Floppy Hansi 1960 made by Steiff photo www.tinycrown.com

そんなタイミングに、NY在住の若葉マークが付くデビューほやほやのジュエリーデザイナー、ニシアヤカさんの mixi 日記で、NYに所縁のある有名建築&有名人宅のOpen Houseが行なわれたイベントで、ルーズベルト大統領の生家を見て来たくだりを目にした。もう有名な逸話で周知の伝説だが、1903年、シュタイフの創業者マルガレーテ・シュタイフは、製造名「55PB」(座高が55、Plush 毛の生えた生地、Beweglich 動かせる)という毛が生えたモヘア製の大きくて重くて抱きしめがいのある自信作、熊のぬいぐるみをライプチッヒの見本市に出品した。ところが想いに反して、シュタイフの3つの特徴「55PB」は、当時、華奢が主流だった欧州には馴染めず、まったく売れない不人気。しかしこれが、大柄でおうような西部開拓魂のアメリカンにはヒット。大きく重い抱き心地と荒い風合い、おまけに高価な熊を、大柄でおうようなアメリカのバイヤーが本土に持ち帰り、熊好きで知られるルーズベルト大統領の晩餐会のテーブルディスプレーに使ったところ「子供たちが一緒にいたいと思うのは、こんな強くて優しい縫いぐるみだ」と、テオドア・ルーズベルト大統領がお気に召した。以来、大統領のニックネーム「テオドア=テディ」にちなんで、クマのぬいぐるみは「テディベア」と呼ばれ今日にいたるそうな。そのテディベアの由来シュタイフを日本でいち早く紹介し、1984年「カドリーブラウン」なるクマ専門店を代官山に作り、挙げ句は1993年に日本テディベア協会なるNPO組織まで創立しちゃった、日本に雑貨ブームと代官山ブームを巻き起こしたキャンディ&雑貨王 小野塚万人さんとは20代のころから親交があった。が、道楽は身上つぶすで、今日の代官山のイメージを作った母体、当時年商100億の「ハニー」がなくなって20年が過ぎたつい数日前、その元祖クマ男 小野塚万人さんのパートナー 佐久間由起子さんと久しぶりにお会いしていたばかり。

【注】1902年の熊狩りのエピソードが「テディ」というネーミングの発端だが、シュタイフの独特な抱き心地と存在感に感動した大統領のエピソードからシュタイフのクマのぬいぐるみが「テディベア」の広告塔となって、広く世界に普及していったのが事の実態だ。

写真は、そんなアメリカの歴史に由来してラルフ・ローレンが自分用に、シュタイフに特注した500体のテディベア。シャツもタイもニットもチノパンもご自身のブランドPOLOで装う。私的に配ったモノだけに、ネット上では20〜30万の値が付いている。これ以降、左足に年号を記したイヤーズ・ベアを毎年この季節になると販売。個人的には、ハロッズが売り出すイヤーズ・ベアの粗雑な作りとお値段でお気に入りだが。


さて、うさぎ。世界最古の縫いぐるみメーカー、シュタイフは、そもそもクマだけを作っていたわけではなく、像に始りさまざまな動物の縫いぐるみを作っていた。くだんのアメリカでの大ヒット以来、もう翌年1904年には、中国並みに偽物が大量に出回る事態に、本物の証明として、全てのぬいぐるみの耳にロゴ入りのボタンを取り付けるようになった。それが、世界最古のトレードマーク「ボタン・イン・イヤー」の始まりだ。


独立とともに20代の後半から30代にかけて、数年先輩でもあるビームスの現社長 設楽洋さんと、年に数回、仕事もからみ遊ばさせて頂いて時期があった。互いに物好きが高じてそれぞれ現職にいたったわけで、物好き談義に花が咲いたある夜、さらに設楽さんの遊び仲間、当時、小説家としても直木賞を取ったばかりの景山民夫(放送作家から後に小説家となる)さん、タモリ倶楽部の常連だった、かっちんコト佐々木勝俊(TV番組の構成作家)さんらとのお遊び会となった。みな変なモノが好きで、当然、役立たずの珍品、奇品を惜しみもなく即買いしてしまう道楽者たち。いつも大枚はたいては無駄なモノに血道を上げる極道だから、かみさんにはみな内緒、さすがに家には持ち帰れない。そこで、車のトランクに衝動買いした珍品、奇品、稀モンが溜め込まれる。そして、みな一同に会した席で、戦利品の自慢話に興ずる。まったく女子には理解不能なおバカな男の世界が繰り広げられた。みな壮絶な武勇伝があるその道のツワモノたちだが、かっちんコト佐々木勝俊さんは、毎夜毎夜、夜遊びに出かけていた妻に、とうとう我慢もキレて、ある夜帰宅したら、今まさにお出かけモード完了の妻に向かって「おいいい加減にしろよ」「今日もまた遊びに出かけるなら、俺を引いて行ってみろ!」と、大見得張った啖呵を切って妻のポルシェの前に立ちはだかった。すると「行くわよ」の一言。奥さんはそのまま、かっちんを引いて車を転がし夜遊びに行っちゃったそうな。肋骨を折って入院中に離婚したそうだが、まるで当時、大ヒットしたマイケル・ダグラスとキャスリン・ターナーの「ローズ家の戦争」を地でいっていた。そんな佐々木さん、景山民夫さんのお嬢さんのお誕生日プレゼント選びで、お嬢ちゃんに「何が欲しい?」と聞くと、さすがは景山さんの娘さんは親譲り、彼女はすかさず「赤い消防車!」と、女子ならぬリクエストを返した。そして、いよいよお誕生日当日。誕生会が始る夕暮れ時、成城の景山宅にサイレンが鳴り響き、近所の人たちが外に出ての大騒ぎ。佐々木さんは、本物の赤い消防車に乗って現れた。もちろん撮影用の払い下げ車両だが、本当に買って乗って届けにきちゃったのだ。こんなバカの限りを尽くした男の真剣なお遊びで、景山民夫さんが、俺の自慢話を聞かせてくれた。

60年代〜70年代初頭の日本では、大ヒット映画オードリー・ヘップバーンの「シャレード」に、ふんだんにルイ・ビトンが登場していても、誰も気がつかない時代。当時ルイ・ビトンは唯一、名取洋之助川端康成小津安二郎勅使河原蒼風、など錚々たる文士、写真家、芸術家たちのサロンと化していた、1955年創業の元祖舶来品屋 銀座のサンモトヤマの創業者本山登長一郎さん(25ぐらいの頃、太陽会でお会いした事がある)ぐらいしか扱っていなかったころだ。アパレル何て始める遥か以前の正統的ルイ・ビトンは、鞄と始めたばかりの靴の時代。そんなころから、売れっ子放送作家として仕事柄、頻繁に海外へ行っていた景山民夫さん、ある時ルイ・ビトンのパリ本店2階で、うさぎのぬいぐるみを見つけた。(当時の日本人観光客は、みなバックがお目当てで1階止まり。そもそも2階があるのを知らなかった。)これは珍品「娘のお土産に打ってつけ」と、帰国後お嬢ちゃんに渡した翌日、2階の書斎で原稿を書きながら、ふと筆休めに窓越しを眺めると、公園の砂場で、ルイ・ビトンのうさぎの耳を引きずりながら砂まみれになって、ご近所の子たちと遊んでいる我が子の勇姿が見えた。思わずニヤリほくそ笑み、その贅沢な光景にうっとりしばし。「どうだい、うちの子は。ビトンのうさぎを砂場で引きずって遊んでるわい」と。80年代のブランドブームに鼻高々で、ご満悦だった。時、ちょうどシュタイフが、寝ぬいぐるみのラビットを発売し始めたころ。それは当時のルイ・ビトンがシュタイフを真似て、耳に「LV」の小さなリベットボタンを付けて販売したものだった。そんな遊びの時代を生きてきて、僕もちょうど景山さんがお亡くなりになった50歳を越えて数年。往時の「うさぎ」が出品されたメールから30年の時を回顧にふけった次第。思えば80年代は、みんな赤塚不二夫、タモリさんバリにギャグのような日々だった。



うさぎを思い出して回想してたら、もう夜更け。あぁー甘味が欲しい時間帯。なんだか急に阿佐ヶ谷「うさぎや」のうさぎ饅頭が食べたくなっちゃったー。これクッキーで名高い半蔵門の「ローザー」と供に、隠れた東京名物なんです。ご進物に喜ばれますよ。


阿佐ヶ谷「うさぎや
東京都杉並区阿佐谷北1-3-7 電話 03-3338-9230 9:00~19:00 日曜営業(休日/土・祝祭日)

2009/10/25

ウィーン嬢の春画は60年代の横尾忠則

アンディー・ウォーホールのようなブランド使い。ロイ・リキテンシュタインのような手法。それは、東京カワイイなデコ盛りセンスで、小さなプラスティック片を寄せ集めて描く。まるで60年代の横尾忠則 風味なエロスを彷彿させる、今様ウィーン嬢 デボラ・センズル(Deborah Sengl)のへたうまポルノスケープ。「エロティックな物語」Erotic Narratives と題されたSEX広告をモチーフにしたシリーズは、ウィーン嬢のポップな春画だ。日本ではまったく知られていない彼女は、現在オーストリア(ウィーン)在住の実は地元欧州では、ルックスの良さと話題の剥製作品で知られる気鋭の売れっ子アーティスト。












「エロティックな物語」
Erotic Narratives Plastic work by Deborah Sengl

Deborah Sengl】デボラ・センズル。 1974年ウィーン(オーストリア)生まれの35歳。ウィーンのアプリッド芸術大学で、視覚メディア・デザインを専攻後、遺伝子工学、さらに、ベルリン芸術大学でファッションを学び、応用美術で学位を取得するユニークな経歴。父ピーター・センズルは画家、母スザンヌ・ラコンペもアーティストと芸術一家に育つ。現代美術が気軽に買われる欧州で、2003年のデビュー以来、彼女の作品はアートディーラー達の扱いもいい売れるアーティストとして人気が高い。彼女自身は、幼い頃のぬいぐるみ感覚だと発言しているが、精巧に継ぎ接ぎで作られた架空の人造動物、剥製のコラージュ作品を真骨頂としている。しかし、個展や画廊での売れ筋は「エロティックな物語」Erotic Narratives 、「ロゴ・ピンナップ・ガールズ」Logo Pin Up Girls 、そして、シャネル、プーマ、バーバリー、ディオール、ミッソーニ、グッチ、フェンディーなどのブランドをアイロニーした「ブランド・レディー」Brand Lady 、などのドローイングによるエロティックなポップアートがヒット。今後は話題の精巧な架空動物(スカルプチャー)に加えて、映像作品もブレークしそうな気配。日本の広告での起用が待たれる。というより即起用したい、日本にいないジル・サンダーがよく似合うラジカルで硬派な知性派アーティスト。

参考図書・作品集Deborah Sengl 2007出版 / Czernin Verlags GmbH / 初版 / 2008/03 / 言語 / ドイツ語 / 仕様 / 128ページ / 寸法 / 21x17.2x1.4cm / 価格 / Amazon /

よく見ると三つ折りの広告パンフのように紙質感が精緻に描かれて、彼女らしいアイロニー効かせた「ブランド・レディー」Brand Lady Drawing by Deborah Sengl


Tuborg Brand Lady, by Deborah Sengl,2009
(Mixed media. 42 x 59)


Hummel Brand Lady.by Deborah Sengl,2008.
(Mixed media. 42 x 59)


Rolls Royce Brand Lady. by Deborah Sengl.2008
(Mixed media. 42 x 59)

Bugatti Brand Lady. by Deborah Sengl.2008
(Mixed media. 42 x 59)


まるでボディ・ペインティングのようなリアル感。目に剥製センスを利かせた彼女の真骨頂が怖い「ロゴ・ピンナップ・ガールズ」Logo Pin Up Girls Drowing by Deborah Sengl


Deborah Sengl's Logo Pin Up Girls GUCCI (ink on paper)

Deborah Sengl's Logo Pin Up Girls CHANEL (ink on paper)

Deborah Sengl's Logo Pin Up Girls Louis Vuitton (ink on paper)

Deborah Sengl's Logo Pin Up Girls Fendi (ink on paper)


&

Artist Devora Sengl and her sculpture, "Of Wolves And Sheep". Source and details in photograph ”if it's hip, it's here

2009/10/24

ゴブラン織りの魔法フレデリック・モレル


MY DEAR, by Frederique Morrell


代官山の西郷山公園を下ると右手にある古道具屋のような、沢田研二と名乗る店長がいる家具屋がイカしていて、名前通り悪ふざけがそのまま拾ってきた家具をマッドにリメイクしていて、それはそれはクール。例えば、捨ててあったグレーのスティール製事務机の、どう見ても部長以上級サイズ(零細中小企業の社長用か)をグラインダーで渦巻き状にキズを付けると、そこだけ削り出しの真新しい渦巻き柄となるが、全身これで纏われちゃー、ワイルドでデカダンスなアートデスクの一丁あり〜。手な具合。これに天上から豪奢なシャンデリアとくれば、もう完璧な作品空間だ。名刺が見つからずURLが紹介できないのが残念。

フレデリック・モレルは、そんな野趣な前衛とは一線を画す、奇麗な作り丁寧な仕事の新作なのだが、元は同様にリメイク、リサイクル、リプロダクツ。ノーブルな女性趣味が新鮮だ。パッチワークなんて手仕事は、そもそもリメイク、古くなった傷んだモノの修理、再利用だったはずが、それを意図的にクラシカルなデッドストックのゴブラン織りファブリックをふんだんにパッチワークで継ぎ接ぎしていくと誕生したのが、写真のシリーズ。テーブルクロス、ランチョンマット、トレイ、クッション、スツール、ソファ、そして立体オブジェにいたると、もう手作りのリサイクルプロダクツを越えてアートワーク。上質なビンテージファブリックスを贅沢に使った「ゴブラン織りのスカルプチャー」立派なアート作品だ。

そもそも、彼女がこの作風を確立したきっかけが素敵だ。祖母が亡くなった時、祖母のこれまでやってきた膨大なニードルワーク(針仕事)が、結局ゴミ屑となってしまう事を惜しみ、祖母の遺産、編み物、縫い物、継ぎ接ぎ物を残すために今風にアレンジしたリメイクを発案したという。以後、ゴミとして捨てられてしまう大量生産のデットストック、古着、使い古しの生地に新しい価値を縫い合わせては、有効再利用する現在の作品スタイルが確立した。本来の価値をなくした遺物達をウィットにとんだコンセプトでリサイクルってわけだ。近作は、ほとんどがビンテージのタピストリーをニードルポイントでコラージュしてきたが、さらに継ぎ接ぎを加え始めたのは、ビンテージレースや、昔の広告生地であったりと、コラージュの柄とデザインにバリエーションが増えた。無機質な空間にも、これでもかーっとモリモリなデコ盛り部屋にもイケそうで想像力を掻き立てられる。

Frederique Morrel】(フレデリック・モレル)フランスのファッションブランドのレーベルとして立ち上げたプロダクツメーカー。その意義あるリメークとニードルワークによるモノ作りの姿勢と豪奢でユニークな作品は、前衛趣味で名高いフランスはポンピドゥーセンター内のアートショップやファッション・セレクトショップで販売されている。日本では、代官山のゼロファーストデザインが品揃え豊富。またはオンラインストアで購入可能。



出会いはこの椅子。コルビジェのLC2とも相性よさそうで、このカウチはお気に入り。オフィスに置きたい。P.S. ゴブラン織りは昭和30年代には、もっともデパートでの贈り物に多用された進物品の代表格だった。が、頂いて最も困っちゃう悪趣味の代物でもあった。だから少年期を思い出すと、たいがいは祖父の部屋で使われていた。いらないものはみんな祖父が喜んで面白がって引き受けてくれてたので。今思えば、デカダンスなクールインテリアだったのか? お爺ちゃんの部屋は。笑。

 
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