tinycrown(タイニークラウン)という名のヴィンテージ雑貨、アクセサリー、クロージングなどを扱うネットショップを営むロンドン在住のイセキアヤコさんは、稀に見る目利きで、品物の時代背景、素材、製法、出来具合、メーカー、ブランド、制作者、そして保存状態の見極めの達人さん。小さな王冠にかけるわけじゃないが眼力王、いや眼力女王と呼びたいプロ中のプロだ。とにかく、そのセレクションの趣味の良さには毎回、案内が届く度に目から鱗、舌を巻き、もう脱帽。「選りすぐりの厳選」とはこの事だ!と、最も信頼できるアンティーク&ヴィンテージの小間物バイヤーさん。もう何度も買いたいモノが出品される度に、手を挙げてきたけれど、当然レアな一点モノばかり、あっという間にsold out。なかなか欲しいモノを手に入れられない。しかし、だだ一度、アンティークボタンでリメイクされた珍品のへアゴム(髪留め)を手に入れた(おっとモトカノへのオクリモンにね)。が、驚きは続く。その簡素にして上等な紙を使った上品な包装と取り扱いの粋。これまた物を知る心得者だなぁーと、ほとほと感心。頭がたれた。その tinycron(タイニークラウン)から、新入荷品の案内メールが届いた日曜の昼下がり、またしても、してヤラれた。珍品中の珍品、テディベアでお馴染みドイツの老舗ぬいぐるみメーカーSteiff(シュタイフ)で、1960〜70年に生産されていた寝ぬいぐるみのラビット、幻の「うさぎ」が出品されていたのだ。まさしく、涙もののコレクターアイテム。未使用の掘り出し物はグッド・コンディションのトリプルA品。もちろん?すでに sold out 完売印。感激は嘆きだった。。。
そんなタイミングに、NY在住の若葉マークが付くデビューほやほやのジュエリーデザイナー、ニシアヤカさんの mixi 日記で、NYに所縁のある有名建築&有名人宅のOpen Houseが行なわれたイベントで、ルーズベルト大統領の生家を見て来たくだりを目にした。もう有名な逸話で周知の伝説だが、1903年、シュタイフの創業者マルガレーテ・シュタイフは、製造名「55PB」(座高が55、Plush 毛の生えた生地、Beweglich 動かせる)という毛が生えたモヘア製の大きくて重くて抱きしめがいのある自信作、熊のぬいぐるみをライプチッヒの見本市に出品した。ところが想いに反して、シュタイフの3つの特徴「55PB」は、当時、華奢が主流だった欧州には馴染めず、まったく売れない不人気。しかしこれが、大柄でおうような西部開拓魂のアメリカンにはヒット。大きく重い抱き心地と荒い風合い、おまけに高価な熊を、大柄でおうようなアメリカのバイヤーが本土に持ち帰り、熊好きで知られるルーズベルト大統領の晩餐会のテーブルディスプレーに使ったところ「子供たちが一緒にいたいと思うのは、こんな強くて優しい縫いぐるみだ」と、テオドア・ルーズベルト大統領がお気に召した。以来、大統領のニックネーム「テオドア=テディ」にちなんで、クマのぬいぐるみは「テディベア」と呼ばれ今日にいたるそうな。そのテディベアの由来とシュタイフを日本でいち早く紹介し、1984年「カドリーブラウン」なるクマ専門店を代官山に作り、挙げ句は1993年に日本テディベア協会なるNPO組織まで創立しちゃった、日本に雑貨ブームと代官山ブームを巻き起こしたキャンディ&雑貨王 小野塚万人さんとは20代のころから親交があった。が、道楽は身上つぶすで、今日の代官山のイメージを作った母体、当時年商100億の「ハニー」がなくなって20年が過ぎたつい数日前、その元祖クマ男 小野塚万人さんのパートナー 佐久間由起子さんと久しぶりにお会いしていたばかり。 【注】1902年の熊狩りのエピソードが「テディ」というネーミングの発端だが、シュタイフの独特な抱き心地と存在感に感動した大統領のエピソードからシュタイフのクマのぬいぐるみが「テディベア」の広告塔となって、広く世界に普及していったのが事の実態だ。
写真は、そんなアメリカの歴史に由来してラルフ・ローレンが自分用に、シュタイフに特注した500体のテディベア。シャツもタイもニットもチノパンもご自身のブランドPOLOで装う。私的に配ったモノだけに、ネット上では20〜30万の値が付いている。これ以降、左足に年号を記したイヤーズ・ベアを毎年この季節になると販売。個人的には、ハロッズが売り出すイヤーズ・ベアの粗雑な作りとお値段でお気に入りだが。
さて、うさぎ。世界最古の縫いぐるみメーカー、シュタイフは、そもそもクマだけを作っていたわけではなく、像に始りさまざまな動物の縫いぐるみを作っていた。くだんのアメリカでの大ヒット以来、もう翌年1904年には、中国並みに偽物が大量に出回る事態に、本物の証明として、全てのぬいぐるみの耳にロゴ入りのボタンを取り付けるようになった。それが、世界最古のトレードマーク「ボタン・イン・イヤー」の始まりだ。
独立とともに20代の後半から30代にかけて、数年先輩でもあるビームスの現社長 設楽洋さんと、年に数回、仕事もからみ遊ばさせて頂いて時期があった。互いに物好きが高じてそれぞれ現職にいたったわけで、物好き談義に花が咲いたある夜、さらに設楽さんの遊び仲間、当時、小説家としても直木賞を取ったばかりの景山民夫(放送作家から後に小説家となる)さん、タモリ倶楽部の常連だった、かっちんコト佐々木勝俊(TV番組の構成作家)さんらとのお遊び会となった。みな変なモノが好きで、当然、役立たずの珍品、奇品を惜しみもなく即買いしてしまう道楽者たち。いつも大枚はたいては無駄なモノに血道を上げる極道だから、かみさんにはみな内緒、さすがに家には持ち帰れない。そこで、車のトランクに衝動買いした珍品、奇品、稀モンが溜め込まれる。そして、みな一同に会した席で、戦利品の自慢話に興ずる。まったく女子には理解不能なおバカな男の世界が繰り広げられた。みな壮絶な武勇伝があるその道のツワモノたちだが、かっちんコト佐々木勝俊さんは、毎夜毎夜、夜遊びに出かけていた妻に、とうとう我慢もキレて、ある夜帰宅したら、今まさにお出かけモード完了の妻に向かって「おいいい加減にしろよ」「今日もまた遊びに出かけるなら、俺を引いて行ってみろ!」と、大見得張った啖呵を切って妻のポルシェの前に立ちはだかった。すると「行くわよ」の一言。奥さんはそのまま、かっちんを引いて車を転がし夜遊びに行っちゃったそうな。肋骨を折って入院中に離婚したそうだが、まるで当時、大ヒットしたマイケル・ダグラスとキャスリン・ターナーの「ローズ家の戦争」を地でいっていた。そんな佐々木さん、景山民夫さんのお嬢さんのお誕生日プレゼント選びで、お嬢ちゃんに「何が欲しい?」と聞くと、さすがは景山さんの娘さんは親譲り、彼女はすかさず「赤い消防車!」と、女子ならぬリクエストを返した。そして、いよいよお誕生日当日。誕生会が始る夕暮れ時、成城の景山宅にサイレンが鳴り響き、近所の人たちが外に出ての大騒ぎ。佐々木さんは、本物の赤い消防車に乗って現れた。もちろん撮影用の払い下げ車両だが、本当に買って乗って届けにきちゃったのだ。こんなバカの限りを尽くした男の真剣なお遊びで、景山民夫さんが、俺の自慢話を聞かせてくれた。 60年代〜70年代初頭の日本では、大ヒット映画オードリー・ヘップバーンの「シャレード」に、ふんだんにルイ・ビトンが登場していても、誰も気がつかない時代。当時ルイ・ビトンは唯一、名取洋之助、川端康成、小津安二郎、勅使河原蒼風、など錚々たる文士、写真家、芸術家たちのサロンと化していた、1955年創業の元祖舶来品屋 銀座のサンモトヤマの創業者本山登長一郎さん(25ぐらいの頃、太陽会でお会いした事がある)ぐらいしか扱っていなかったころだ。アパレル何て始める遥か以前の正統的ルイ・ビトンは、鞄と始めたばかりの靴の時代。そんなころから、売れっ子放送作家として仕事柄、頻繁に海外へ行っていた景山民夫さん、ある時ルイ・ビトンのパリ本店2階で、うさぎのぬいぐるみを見つけた。(当時の日本人観光客は、みなバックがお目当てで1階止まり。そもそも2階があるのを知らなかった。)これは珍品「娘のお土産に打ってつけ」と、帰国後お嬢ちゃんに渡した翌日、2階の書斎で原稿を書きながら、ふと筆休めに窓越しを眺めると、公園の砂場で、ルイ・ビトンのうさぎの耳を引きずりながら砂まみれになって、ご近所の子たちと遊んでいる我が子の勇姿が見えた。思わずニヤリほくそ笑み、その贅沢な光景にうっとりしばし。「どうだい、うちの子は。ビトンのうさぎを砂場で引きずって遊んでるわい」と。80年代のブランドブームに鼻高々で、ご満悦だった。時、ちょうどシュタイフが、寝ぬいぐるみのラビットを発売し始めたころ。それは当時のルイ・ビトンがシュタイフを真似て、耳に「LV」の小さなリベットボタンを付けて販売したものだった。そんな遊びの時代を生きてきて、僕もちょうど景山さんがお亡くなりになった50歳を越えて数年。往時の「うさぎ」が出品されたメールから30年の時を回顧にふけった次第。思えば80年代は、みんな赤塚不二夫、タモリさんバリにギャグのような日々だった。
うさぎを思い出して回想してたら、もう夜更け。あぁー甘味が欲しい時間帯。なんだか急に阿佐ヶ谷「うさぎや」のうさぎ饅頭が食べたくなっちゃったー。これクッキーで名高い半蔵門の「ローザー」と供に、隠れた東京名物なんです。ご進物に喜ばれますよ。
東京都杉並区阿佐谷北1-3-7 電話 03-3338-9230 9:00~19:00 日曜営業(休日/土・祝祭日)
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