2009/08/19

めろんくい

6月ごろになると、料理屋や鮨屋で食後の水菓子にメロンが登場し出す。たいがいは10分の1カットぐらいだが、店によっては、または品物によっては、8分の1カットだったり。良き店なら、銀盆皿にのせられてスプーンが付いてくる。間違っても先割れスプーンなどは使われない。そもそも種の部分がきれいに除去されて、瑞々しいグリーンかオレンジの果肉を露にさらしているのだから。しかも食感を残しながら見事に溶ける熟れごろ食べごろを見計らったそのメロンは、力まずともスプーンでするりとすくえて、何口かほうばると、あぁー もっと食べたぁーいと未練もつのり、思わず甘い果汁をすすりたくなるような余韻を残して至福の夕餉を締めくくる事となる。が「めろんくい」は、ここからの所作が品を語る。つまり、どう食べ終えるか?そのお上手な上品な所作を、僕は26で結婚した最初のカミサンから教わった。当ブログでも度々登場する彼女は、女系3代つづく大きな社中でお茶事を嗜む御一家だったから、茶事の作法の一連なのだろうが、こちらは未経験者、その理にかない美しい食べ終え方に見惚れてしまったのを思い出して今日のお題となったのですよ。それを触発したのがマイミクさんの日記タイトル「めんくい」(笑)。彼女はK大法卒のキャリア官僚で、着物に歌舞伎に落語を楽しむ口は悪いがそこは江戸っ子。いなせな才媛。なにより小粋を信条とするグラマラスな文化人。「めんくい」と題して、蕎の食し方に喝を入れていたってワケで。さて、その見惚れた「めろんくい」の食べ終え方とは。湾曲した食べ残りの皮を手前(自分側)に倒すなのです。つまり、食席に対面する人がいれば相手にはメロンの皮、あの編み目の底が見える状態。まるでカトラリーを揃えて食事の終了を伝えるサインのようでもあり、対面の同席者に食べかすを見せないという配慮でもあり。食べなれた身に付いたその一連のノーブルな所作が決め手となって僕は結婚したんじゃないだろうか。っうーぐらいお若い女子の何気ないふるまいに魅入ってしまったってワケ。そんな彼女から初めて届いた贈り物が塩月弥栄子の文庫本「和食のいただき方」。イカした細君だったのです。

和食のいただき方」塩月弥栄子著 新潮文庫

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