2009/08/03

中間がキライなのかも

ふだん暮らしている街から地方や海外に行くと、その街の大小にかかわらず見るもの聞くもの道行く人から街の匂いまでが新鮮で、眠っていた好奇心を喚起させられるのは僕だけではないだろう。東京は世界一広大で濃密な欲望うごめく人の巣なので、至近距離にいながらも意外と日常生活と縁遠いエリアには、職種にもよるだろうが行かず知らずな事が多い。先日、所用で泉ガーデンタワーがシンボリックな六本木1丁目界隈のビジネス高層オフィス街を徘徊する機会があった。お隣のアークヒルズは久米さんが日本のニュース番組に革命をもたらした全盛のころ、僕も30を過ぎ波に乗る80年代、都心で便利な旧ANAホテルには頻繁に仕事旅で宿泊していたので熟知する所だったが、時代が変り世代がシフトした象徴のお隣は縁薄だった。その六本木1丁目駅から神谷町駅に挟まれたエリアは、外資系金融機関、外資系投資銀行、外資系ビジネスコンサルタント、外資系通信・IT関連企業、外資系エンタメ産業等々、90年代から昨年のリーマン破綻まで世界を席巻した飛ぶ鳥落とす勢いの鼻息荒いグローバル最先端企業が巣窟する都内一の24(トゥウェンティフォー)なビジネス街。界隈は隣接するアメリカ大使館〜六本木〜赤坂〜永田町が至近距離で、まさに国際政治&国際経済直結。翌朝の株価を動かす最低でも2ヶ国語はネイティブにあやつる世界最高学歴のパワーエリートな方たちが働く天高くそびえる垂直の街。僕の暮らす地べたの小路のストリートな裏原宿〜表参道界隈とはまるで違う街の形状通り、風景・風情・人の装い・飛び交う言語の違いにあらためて驚いた。こちらは世界が好奇に真似るカラフルな東京カワイイから、見るからにコレクションのモデル、見るからにハイエンドを独創的に装おう方々、見るからに外国人観光客、そして地元で働く貧乏な、でも東京を誇るお洒落っ子たちが、街の色を匂いを風景を地上から創っている。最先端な機能を誇るインテリジェントな高層オフィスビルなど1棟もなく、小さなしもた屋、古いマンションの1室で原始的肉体労働な中小零細アパレル企業の原宿村だ。せいぜいお洒落なファッション、広告、写真、出版のデザインを生業とする売れっ子カリスマオフィスがあるくらい。ほぼ同世代が働き生活している隣町にも関わらず見事に好対照だった。


Teeシャツで額に汗する地べたの生活ストリートからの創造と実業の街。スーツでスマートに天上の頭脳スクレーパーからの仮想と虚業の街。その後に出来たクイック上場インスタント億万長者のシンボル 六本木ヒルズはホリエモンとゴールドマンサックスの失墜から虚人のビルと化したが、続いて開業したいかにも荒い電通な汐留エリアや、いかにも家紋的不動産な丸の内の世界とも明快に違う。リーマン破綻で冷えたとはいえパワーエリートがビル風をもろともせず闊歩するガラス張り超高層オフィスの谷間を歩きながら、僕は30年来の恐怖感を思い出していた。僕には大量の人が同じような出で立ちで同じ方向に同じ時間に移動する事が、まるで高所から下界を見下ろすとお尻がムズムズ緊張する足元がよろける恐怖感のように、満員電車で通勤する事も高層オフィスビルに通う事も生理的に耐えられないからだ。その激流に身を置くと怖くなるのだ。自分が流されてしまう滝壺に飲み込まれてしまうって感じだろうか。大げさに言えば自分のリズムもテンポもなくし集団の同一呼吸法で息する息苦しさ、個を殺す死そのものを意味する怖さなのか。僕は一応、建築家なのに、そのヒィーマンスケールとヒューマンフィールを無視した人にやさしくない建築が僕を威圧し恐怖感を煽るのか。その時代の最先端、6000年前のピラミッド。2000年前のコロッセウム。1300年前の東大寺。150年前のエッフェル塔。100年前のエンパイヤーステートビルディング。その時代の新しい建材、新しい形状、見上げるスケール、きっと怖かったろうに何故か和むのは風月のせいだけではないと、僕は思うのだ。先人の荘厳を知るに、しなやかでやわらかいあでやかな金属とガラスのスカイスクレーパーが建立できると僕には思えてならないのだが。欲だかりな人の傲慢も「遺跡」は残り未来に引き継がれるが「化石」は歴史の地層に埋没する。この違いを心得てこそ建築家たりうると。


人口構成比でボトルネックの世代の少数派な僕は30年前、男女機会均等法施行最初の年で4大卒の女子までライバルとなる厳しい就職難の中、運良く志望が叶い大手の広告代理店と大手老舗百貨店ともに合格した。本当は1年就職浪人してアフリカの旅がしたかったが、アルバイトもフリーターも引きこもりもあり得ない時代。当然、親は猛反対。15で親に嘆願して好きな道へ行かせてもらった手前、しかもせっかく入った建築の大学は途中棄権してまで、親に言わせれば社会的にはそこより劣るとされる大学で食えない社会学なんてを専攻した親不孝者としては親を安心させる為にも、志が生かせる確率の高い百貨店の宣伝部を志願して就職を決めた。当時は、大学をキチンと出る事。就職は終身雇用で生涯勤め上げる事。もちろん結婚は生涯1度で不倫も離婚もあってはいけない。ましてや死語で、もはや辞書にもないかもしれない婚前交渉や未婚の母などは言語道断。人の道に外れた肩身の狭い反社会的行為として烙印を押され、それは当人どころか、その家族その一族まで怪訝に見られ、仕事、結婚、就職にも支障がでるほどの風潮がまだ脈々と水面下で生き残っていた時代だ。

就職を決めて4月1日の入社式までの1ヶ月間、配送センターで新入社員の研修が始った初日、大卒3名の男子に女子3名と、高・短大卒の約100名の新入女子社員に囲まれ、ちょうど10年先輩で係長・課長クラスの肩書きが付く人事部や他部署の先輩社員のレクチャーを受けた。中学卒業以来、後にも先にもその年から2年間だけ実家から会社に通うこととなったのだが、初日を終えて帰宅後の夕飯の席で母親が「会社どうだった?」と、ごく普通の会話をしてきた。僕は「うん。会社辞める。」と、思わず本音を吹き出してしまった。もともと就職は通過点で、企業の看板の元、試したい事があっただけ、いずれ独立する腹づもりだったが、研修の初日に見切りが付いたのだ。身の程知らずの傲慢で我がままな青二才と言われようが、同期入社の同僚と先輩たち数千人の会社で「市場の潜在需要をいち早く見つけ具体的な商品開発とそれを売る新しい空間を作りたい」と志願し、その会社を選択した志は10年経っても叶わないと感じたからだった。つまりオリンピックでメダルを目指したい水泳の選手が10年辛抱して30才にそのチャンスと権限をもらい試合をさせてもらっても、時すでに遅しで旬の才能を発揮できない。未来を切り開く世界を変える記録など出るはずがない。健全な才能と野心には旬があるのですよ。20才の感性は20才に吐き出さなければ意味がない。30才の感性は30才に爆発させねば、宝の持ち腐れだ。そして年寄りはその才能を見極め、いち早く、その才能にかけるチャンスを作るのが仕事なはずなのだが。会社という組織は、そんな自然な摂理とはほど遠い年功序列社会。20が抱えた暴発寸前の勢いは息を殺し、30の夢は飲み込まなければ生きられない会社。今のように転職、起業、フリーターはごく普通、簡単に上場できて一攫千金も当たり前な時代じゃないわけで、当然、親には理解不能、言語道断、単なる我がままにしか映らない。が、ツキがあるのか、幸いな事に入社時の希望が認められ最速で経営企画室に配属されて、僕は全館リモデル計画を遂行。そして、そのプロジェクトの終了とともに5年間お世話になった会社を卒業した。何のあてもなくひとりでひっそり船出した大海原の社会は大自然。何日も凪いで1歩も進まぬ日もあれば、大シケで木っ端みじんと遭難したり、暴風雨をさけようと避難したら座礁したり、激変する天気のように吉凶入り乱れて一日たりとも気の抜ける日などないけれど、お陰さまで多くの人に支えられ、運良く救出してもらい、苦しいけれど楽しい天職と実感して、今日まで何とか自分の呼吸で生きてこれた。やっと大自然の呼吸と一体となれる自分の呼吸を会得した。


だから、宇宙の地球の一員である事は誇りに思う。そして社会の日本の世界の67億分の1個人である事も誇りに思う。大自然の一員として。がしかし、その中間の社員10万人、3万人、数千人の組織には、僕はどうしても馴染めない。日の丸は誇りを持って振れるけど、会社の旗はどうしても振れない。国際法も国内法も遵守できるが、会社の制服も規則も受け入れがたい。サッカーや野球のように役割分担した各ポジションのプロフェッショナルが、共通の目的のためチームプレーするには思う存分活躍したいが、個人の顔の見えない会社のチームプレーには到底馴染めない。まるでネットの匿名性を利用した無責任な旅の恥はかきすてのような行為に見えるからか。そもそも安心も安全も大自然にはないのに、人は何故、目先の組織という傘下に安心と安全を匿名で求めるのか。リスクもコストも張って自分の顔と名で生きたら、実は大自然はたくさんの事を教えてくれて、やさしく助けてくれるのにネっ。と。熱帯夜にもうろうとし摩天楼にくらくらめまいをさせながら、我が30年を回想したのでありました。早期の辞職、独立、離婚と旧石器時代の親には考えられない悦楽放蕩モンは、大きな地球の小さな一員である事を誇りに思いながら、地球という最大と個人という最小の、その中間の匿名な集団がキライなのかも。と。帰途、地球の一兵足はそんな頭と体を冷やしに30代が懐かしい ANAホテルの夜プールに飛びこんだのでした。。。

生物としての五感に馴染む等身大の空間と環境が僕の生理には心地いい。

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