小学生の低学年のころだから昭和37〜8年か。田舎の親戚んちに泊まりに行った夏休み。久しぶりに会う歳の頃の近い従兄弟たちは、お互い成長期だから背丈も髪型も興味も会う度に変化していて、別段ライバル意識があるわけじゃないのだけれど転校生見たく一拍溶け込めない。しかし野山をかけて、森でクワガタ、川でザリガニ、海でアサリ捕りに戯れたり、無邪気な子供の夏休みを一週間も寝食共にすごしてしまうと、初めは久しぶりでぎこちない付き合いだった従兄弟たちともすっかり打ち解け合ったところに、初日は緊張と高ぶりで寝付けなかった布団に枕もすっかり馴染んだころに、もう明日は帰京って前日はやって来る。そして別れがたい切なさからか、朝から初日とはまた違ったぎこちない一日を過ごしてしまい、帰りたくないというより別れがたいという思いがこみ上げて、まだ現像されているはずのないカメラの中の祭りに花火に浴衣に下駄で写ってる屈託ない日焼け顔の写真が脳裏に浮かび、初日のように再び気が高ぶり寝付けない夜を過ごした別れの翌朝。駅のホームで窓越しに並ぶ見送りの従兄弟や伯父さん伯母さん。永遠の別れではないにも関わらず、一緒に過ごした数日間の思い出に後ろ髪引かれて「男の子だぜ」と、カッコつけようと振る舞う自意識も、ひとりでに決壊したあふれでる悲しい涙で小さくなる親戚たちの姿がうるんで見えなくしちゃう。少年は車席でしばらく号泣していた。恋人とのわかれとは違うジンとする胸の疼き。 ◆それから30年。大人になってそんな思いをさせてくれた友人が僕にはふたりいる。アムステルダムに住むロビン・ノランとサンフランシスコに住むエイミー・フランチェスチーニ。彼らを空港で見送った朝。彼女にホームステイ先の家の前で抱きつかれた朝。あの少年の頃と同じ涙があふれた。そんな美しい思い出が蘇った。
一昨日、思いつきで登録した話題のTwitter(つぶやき)で、2001年9月14日の晴れた朝、千歳空港で見送った後ろ姿から8年ぶりにロビンと再会した。「見つけたよ」とつぶやいたら、彼は「キャー」と「忘れがたい楽しい思い出だった」って返して来た。地球人にとって「つぶやき」の効果はてきめん。うれしい Twitter デビューの産物だ。
RNT first japan 2001(A4四つ折りフライヤー)
【ロビン・ノラン】Robin Noian. ジプシースイングジャズ・ギタリスト。Robin Nolan Trio(ロビン・ノラン・トリオ)通称RNTを弟のKebin Nolanと結成して15年。彼らは、1年の10ヶ月を世界中の音楽祭やジャズクラブをツアーし、年末の2ヶ月を郷里アムステルダムで家族と過ごし新作をレコーディング。メジャーデビューは彼らのホーム、アムスでの路上演奏中、偶然通りかかった故ジョージ・ハリスンに見初められて、毎年、NYの彼の豪邸での誕生日パーティーに招かれるようになった事。以後、リチャード・ギア&ウィノラ・ライダーの映画「オータム・イン・ニューヨーク」(2000年)のサントラを手がけたり、もう世界中の音楽祭で引っ張りだこ。詳細はcafeglobeのインタビュー記事を。
2001年、宮越屋珈琲社主の宮越氏からの依頼で、彼らの初来日ツアーをアレンジしたのが出会い。東京での公演は2日。青山の「ロジャック」と「フォーシーズンズホテル椿山荘東京」。札幌では4日間。「札幌グランドホテル/オールドサルーン1934」「札幌パークホテル/パーククラブ」「ホテル・クラビー札幌」「札幌三越」「サッポロファクトリー」「宮越屋珈琲本店」「ホールステアーズ・エスプレッソバー」での演奏。テレビの生出演、メディアの取材、各ホテルの宿泊等のブッキング&現場マネージメントを担当した。真面目で謙虚なロビンとケビンたちと過ごした10日間はツアー最終日、グランドホテルの支配人たちとの打ち上げの席に911のライブ映像が飛び込んで来て、CNNのブレーキングニュースにかじりついたついた忘れがたい思い出となった。当時、ロビンは僕のノートPCから毎夜ホットメールをチェックしては世界各地からのオファーの対応をしていた。今は、ホームページでもマイスペースでも、そして、ツイッターでもコンタクトが取れるけれど、彼らの基本は路上演奏のインディーズ活動。ネット上のみで世界公演のブックとCDのセールスをし、ギターとマックを背負って世界を旅するIT時代のボエミアン。うらやましい今日の連続のシンプルライフだ。
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