2009/06/29

パコ・ラバンヌの香り

1955年生まれの僕が、60'sという時代のトレンドを意識しだしたのは小学4年。好奇心が目覚めた少年にとって1964年の東京オリンピクを境に、建築、ファッション、グラフィック、カーデザインと、目を見張る大人の世界が目の前に突然現れた感じだった。中でも映画には妄想のバブル期を楽しませてもらった。ジェームス・ボンド シリーズ第一作「007 ドクターノー」1962年に始り、1972年の第7作「007 ダイヤモンドは永遠に」までのショーン・コネリーの時代に男の嗜み、男と女のマナーを学び。オマセだねー。グラマーでセクシーなブロンド女優たちに悩殺。BB&CC何て略された元祖グラマー女優のブリジッド・バルドークラウディア・カルディナーレ。初代ボンドガールのウイスラ・アンドレスや「恐竜100万年」1966年「ミクロの決死圏」1966年 のラクウェル・ウェルチ。止めはヌードなんて見た事もない少年は「バーバレラ」1968年 のジェーン・フォンダに、理解不能なH気分の初体験。まだ昭和30年代の小学生だよ。ま、その後の、サイケデリック、エロ、グロ、ナンセンスへの洗礼を受けたわけだ。


ファッションを意識したのは、アラン・ドロン、リノ・バンチュラ、ジョアンナ・シムカスの「冒険者たち」1967年。劇中 ジョアンナ・シムカスのメタルファッションと三角ビキニが目に焼き付きファッションに目覚めるわけす。当時、ピエール・カルダン、ジバンシー、イブ・サン・ローランが主流の中、メタル、プラスティック、ビニールなんて、時代の素材を多用して群を抜いた未来チックなアンドレ・クレージュが1965年にミニスカートを発表して大ブレーク。そのミニスカートの代名詞、イギリスの元祖スーパーモデル ツイッギーが1967年に初来日して、日本中がビートルズとツイッギーに熱狂したのが、小6のころ。そんな時代背景で育ったせいか、その後1978年、大学出てから就職した先が百貨店というご縁もあって、あらゆるブランドに触れる毎日。そこでハマったのが、まだグッチ家の時代のグッチジョージ・ジェンセンパコ・ラバンヌ。グッチの靴とシャツにジョージ・ジェンセンのシルバーとレアなステンレスもん。そしてパコ・ラバンヌの香水。何たって社員割引で買えちゃうわけだし。そんなわけで、匂いフェチとしては社会人になってから今日まで、もう手の打ち明かせば、香りは3種類を3カ所に使い分けきたのでした。


両腕の内側と胸は惜しみなく爽やかなパコ・ラバンヌの「プール オム オー」。両耳の後ろから首に、同じくパコ・ラバンヌのタバックな香りの「オードトワレ」を数摘。お尻と背中にシャネルの野生「エゴイスト」(冬は「プラチナム」夏は「プールオム」)を一吹き濃い口。この組み合わせ、動きで微妙にたなびき、時間差で香りも緩急きいて、なかなか評判よくってお気に入り。何ですが、ななななんと、プールオムオーが絶品に! 一番使うのでちょくちょく買い足すも、どこを探しても売り切れ、在庫無し、欠品中。さすがに問い合わせてみたところ、人気がないので輸入元で輸入中止との返答が。これって私がジジイっこと?それって流行遅れってことだろう? それにしても今のお若い諸兄は何を使ってるんだろう? 青山の8 1/2 に髪を切りに行く度に、娘ほどの若いお嬢さんたちに「いい匂い」「なんの香りですか?』って鼻を寄せられて褒められるっちゅうのになぁー。この微妙な香りの加減が。今時、パコの「メタル」をふりまく女子がいたら抱きついちゃうけどねぇー。僕は。

で、ファンにはたまらないおまけ話。かつて小学生が悩殺された「バーバレラ」の衣装デザイン、何とパコ・ラバンヌだったと、大人になって知って納得。匂いが似てるか。これが60'sのエロ・グロ・ナンセンス。ポップな音楽とタイトル。キッチュでスペーシーな衣装デザイン。&ジェーン・フォンダは今でも過激に悩殺してます。
NEW DECISIONS Paco Rabanne Plans To Focus On Fashion Line Fashion home Paco Rabanne, famous for designing costumes for Barbarella, is planning to focus on promoting clothes.


アカデミー授賞式やパーティー用にと、ハリウッドの映画女優やスタイリストに絶大な人気を誇るブティック「レア・ビンテージ」@ニューヨーク。ここにちゃんとありました。60年代のパコ・ラバンヌが。さすがグッドコンディションで。要チェック。
http://www.rarevintageinc.com/

2009/06/27

結婚・独立・起業 の1982年は...

波打ち際で気がもまれたオールナイトな夜明け、切れたタバコを買いに裏のコンビニまで外に出た。そのほんの数分。思いのほか爽やかな夏風にさすられて気が晴れる。これならなんとか波乗りできそうか、と仕事部屋にもどると、つけっ放しだったCNNでブレーキングニュースだ。マイケル・ジャクソンの死? 50歳? 慌てて日本語の検索サイトを見ると速報が入っていた。しかもマイケル報道の横にファラ・フォーセット・メジャースの訃報までが。昨夜、いや今日になるか神宮の森が白み始めたころ、気休めのコーヒーブレークに偶然目にしたミクシの中野収ゼミのコミュ。懐かしくなり覗いてみて愕然としたばかりだった。中野教授が3年前にお亡くなりになっていたのだ。享年72歳、最後は法大の名誉教授だったらしい。日本中で学生運動の嵐が吹き荒れるころ、その社会現象を明快に説き伏せて妄信するゲバルト集団 中核派諸兄をなだめすかしていた唯一の知識人。僕を早稲田の理工から法政の社会学部に連れ込んだ、いや魅かれて自分が追っかけたのだか、揺るぎない今の自分を作ってくれた我が視点の師だ。卒業以来30年以上会ってはいないが、たまにTVで社会現象を快説される姿を見る度、この視点この視点と合点がいった大学時代を思い出していた。日本の社会学の中で、情報・記号・コミュニケーションの仕組みを語らせたらピカイチ。当時、東大から来たばかりの中野&平野助教授たちは、西部邁の言葉を借りれば、テレビでタレント化する「いわゆる知識人」とは違い、一般的には知られていないが、事の本質を射抜く「真正知識人」だった。本物の真贋者は目立たない。

1982年昭和57年)は公私に忘れようもない結婚、退職、起業の記念と記憶の1年だった。まだ26才の1月に結婚。地元名士の次女と華燭の典を上げた。4月の誕生日をこして27歳となった10月、4年勤めた会社を辞めて社会に船出。その年の瀬、インテリアデザイン界のYMO "センチメンタルシティスタジオ" と作った処女作「SUSHI BAR RED PORGY」は、様々なメディアに取り上げられて企て業としての起業は作戦通りのデビューを飾った。新婚旅行のフィージーからの帰国便でユーミンと遭遇。帰国直後の2月、ホテルニュージャパン(赤坂見附)の火災がテレビで生中継され、大惨事を引き起こした経営者、戦後の怪商 横井英樹氏のスキャンダル報道が加熱。蝶ネクタイの出で立ちと悪びれない態度と言葉使いの怪しいキャラが炎上に油を注ぐ。大惨事は翌日も起こり、羽田沖日航機墜落事故で機長の「心身症」が流行り言葉になった。誕生日を前に500円玉が発行されて、フォークランド紛争が勃発し、その夏、フィリップから世界初のCDがABBAの曲で出され、10月にはソニーから世界初のCDプレーヤーと音楽CDが同時発売されて、デジタル時代が幕を開け、レコード、テープの時代は終わった。夏の終わりにモナコ大公妃グレース・ケリーが自身の運転による交通事故で亡くなったニュースは衝撃だった。52歳の若さ、絶世のノーブルなハリウッドスターは永遠に老いてはいけないのかもしれない。スターの宿命を感じた。ちょうどダイアナ妃の事故死に酷似するが、スキャンダラスな死とはほど遠く、最後までその名のとおり高貴な女優だった。晩秋、三越の天皇 岡田社長が影の女帝と呼ばれた愛人問題で失脚し、秋の番組改編で「森田一義アワー 笑っていいとも!」が放送開始。中曽根内閣が発足して米レーガン大統領との黄金期が始まる。そして、マイケル・ジャクソンのスリラーが空前の大ヒット。それまでPRのおまけだったプロモーションビデオをそれ自体が売れる作品となる革命をもたらした。僕が出かけるところでは、誰もがあの切れ味抜群なダンスを真似て踊ってみせて、何かにつけて合い言葉は「いいとも〜」。マイケルタモリが流行りのキングで、グレース・ケリーの死がジェームス・ディーンの死のように老いる事のない永遠のスターとなって刻まれた、27歳の1982年


独立間もない小僧が味わった時代の気分を補足すれば、流行語にタモリの「ネクラ」、三越岡田社長の「なぜだ!」、アニメ花のルンルンの「ルンルン」、時の林野庁長官の造語「森林浴」、日航機機長の「心身症」、山本晋也監督の「ほとんどビョーキ」。「積木くずし」がベストセラー。邦画では「蒲田行進曲」、洋画では「ET」「トッツィー」「愛と青春の旅立ち」が大ヒット。あみんの「待つわ」、松田聖子の「赤いスイートピー」と「渚のバルコニー」、岩崎裕美の「聖母(マドンナ)たちのララバイ」が、耳からあふれるほど流れていた。戸塚ヨットスクールのスパルタ教育事件。 航空自衛隊の精鋭ブルーインパルスの墜落。細川たかしの「北酒場」がレコード大賞。エアロビクスが大ブレークで、ハイレグ眩しいレオタード姿に目移りして、雑誌「ポパイ」に続いて「オリーブ」が創刊されて、当時のカミさんが登場した。翌年、「ムーンウォーク」と「ブレードランナー」の登場がその後の世界と自分を変えた。

マイケルの老いた姿はありえない。70年代のウェストコーストを象徴したセックスシンボル ファラの老いと壮絶な生き様は納得できた。老いを見せないスター。老いも生きたスター。50歳と62歳のスターが天に昇った。二度とない今一瞬がどれほど貴重か、作る事も買うこともできない命の時間。惜しみなく使い切らなきゃ。あの世に持ち込めるのは思い出だけだから。


2009/06/26

MBAとMIJのDNA

MBA」と「MIJ」。
リーマン破綻後のアメリカ倒産劇を見るに、
つくずくそれは、人類誕生から連綿と営まれて来た
「狩猟・移動民族」の生存の知恵と「農耕・定住民族」の生存の知恵の象徴に思えてならない。
MBA」と「MIJ」の本質を一言でいえば、それは、対局の生き抜く知恵「個」と「和」だ。

2008年のリーマン破綻後のアメリカが、ついに20世紀の産業・経済・政治とアメリカンドリームのシンボルだった、ビックスリーの破綻を迎え、事実上アメリカそのものの倒産、すなわち20世紀的成るもの終焉を感じざる得ないのは、僕だけではあるまい。

イギリス(蒸気の時代)からアメリカ(石油の時代)に覇権がわたり基軸通貨がポンドからドルとなって、良くも悪くも20世紀を我が物顔に跋扈したアメリカ。実はその綻びは、1985年、貿易と財政の双子の赤字で倒産寸前だった米ドルを当時のG5がを支えた、いわゆる「プラザ合意」に始っていた。今の言葉でハゲタカファンド、買収、解体、切り売り、転売、株価操作、ウォール街の金融ディーラーたちが日々マンハッタンのペントハウスでシャンパンを浴びた栄華から、インサイダーで服役、破産、ホームレスの没落へと、天国と地獄をさまよう時代は、エディー・マーフィー&ダン・エイクロイドの「大逆転」1983年に始り、大ヒットしたチャーリー・シーン&マイケル・ダグラスの「ウォール街」1987年、メラニー・グリフィス&ハリソン・フォードの「ワーキングガール」1988年、レベッカ・デ・モーネイの「ディーラーズ」1989年(英金融街シティを舞台にした英映画/日本未公開)と広がり、ついにジュリア・ロバーツ&リチード・ギアの「プリティーウーマン」1990年で頂点を極め。その後もトム・ハンクス&メラニー・グリフィスの「虚栄のかがり火」1990年、ダニー・デビートの「アザー・ピープルズ・マネー」1991年と続いた。日本におけるホリエモン騒動&事件2005〜2006年は、すでに20年も前にハリウッドを大儲けさせるほどの時代の気分だった。

ベルリンの壁が自然崩壊(1989年)して東西の冷戦の終結後、一人勝ちとなってしまった資本主義社会の風雲児アメリカは、IT革命後のインターネット社会を背景にグローバル市場を席巻し、ついに資本主義最後の徒花、金融工学へと先鋭化し2008年リーマン破綻で、その地に足の着かない金で金を生む金融資本主義のみで経済の繁栄の粉飾決算をしてきた事を白日の元にさらした。経済は本来、物が売れて成り立つ。その世界市場で売るべき物「自動車」は、すでに1980年代に入って日本の低燃費・高性能の小型車に負け、かのジャパンパッシングで応戦したころから、20世紀のシンボル、アメリカの象徴、自動車産業ビックスリーは、時代に対応、未来に適応できない売れない物作りで破綻は始っていた。その致命的問題は、金融工学の進歩が仇となって、売れる車作りを先送り、目先の金融商品ローン販売による帳尻を合わせで株価を維持する資本主義の末期症状を続けた。売れない車を金融テクニックで販売し数字合わせ、いわば粉飾決算だ。物が売れない会社が倒産して当たり前。蒼々たる経営学のMBA取得者たちによる経営者失格のツケ払いを国家が国民が支える、最後の資本主義超大国が国営する社会主義化に踏み切らざる得ないとは皮肉な話。21世紀の始まりだ。

そして、潰れて当然といわざる得ない経営陣の放蕩経営は明らかにされた。1.売れない商品作り 2.金融による架空の帳尻合わせ 3.法外な報酬と待遇。小学生でもわかる潰れる構造だった。中でも、3.法外な報酬と待遇は、さすがの米国民も呆れた自家用ジェットで議会に登場し国民に借金を請う様だ。ここに「狩猟(正確には略奪)・移動民族」の生き抜く知恵「MBA」の本質が見えた。彼らの生存の知恵は、まず自分が助かる事。自分だけは巨万の富を抱え、以下はコストカットと称して即切り捨て。身軽になってそこから再生存の道を模索する。「個」の論理。一方、「農耕・定住民族」の生き抜く知恵「MIJ」は「和」の論理。状況が悪化して今まで通り食えない事態ならば、まずは、小さくなったパイをみんなで分かち合い耐えしのぐ。一人だけが逃げ切り生き残るのではなく、みんなが生き残れるように少量ずつでも分かち合う。そこから再び、知恵、技を模索し次のチャンスに望む。文化とは人類だけの生き抜く知恵が表現された総体をさすが、人類誕生から400万年、1/4が狩猟・移動の民となり、3/4は肥沃な大河の元で農耕・定住の民として、世界に広がった。文化とは定住したその地の自然環境、気候風土が、そこでの生き抜く知恵を人に教えた産物だ。「MBA」と「MIJ」、若い西の端の大国アメリカと中年の東の離れ小島の小国ジャパン。自然から学んだ生存の知恵、生き抜くDNAは「MIJ」が勝っていたようだ。そりゃそうだ、小津安二郎のひと雫の水滴に写る世界じゃないが「ミクロコスモス」、小さな自然から大きな宇宙を学んだのだから。「桶」と「盆栽」ミニマルとフィギア「かわいい緻密」を生み出すわけだ。

気がつけば、日本の家電、日本の自動車、日本のガラス、日本の水着、日本のマンガ、日本のアニメ、日本の映画、日本の野球が、とうの昔に本家を追い越し、そしていよいよ20世紀の紛争の火種「石油」も「原子力」も使わない「太陽光発電」の21世紀。電気自動車、エネルギーが自己完結する住宅・オフィス・建築、人を支えるロボット、健康食和食にカワイイカルチャー。元祖エコロジカルでヘルシーな人にやさしい地球にやさしい『MIJ」が未来を開く。「精緻で緻密」「雅でかわいい」技術と芸術『MIJ』が、東西問題なきあと20世紀の積み残し最後の課題、南北格差と低炭素社会を解決する地球平和の勝ち残ったDNAだ。さ、今日が最終日「太陽光発電/PV 2009」を見に行こうっと!


「究極の無印良品」
誰が発明したかわからない究極の無印良品 「桶」。
おぎゃ〜と生まれて「たらい」で産湯。飯は「おひつ」。湯船は「風呂桶」。死んで「棺桶」。
木と竹のタガだけで出来たまあるい「桶」は究極のミニマリズムだ。
言うまでもなく、痛めばカンナで木を削りタガを締めなおし、とうとう壊れたら燃やして土。
何て理にかなうことか。今さら声高にエコロジーなんて遅すぎる。
こんなミニマルにしてエコロジカルな逸品が詠み人知らずの発明品。
理にかない潔がいいから美しい日本が誇る究極の無印良品。
どこにも無駄のない完璧な自然循環、日本文化のDNAの真髄だ。
「和」が救う地球の未来。

2009/06/25

サンポとジュース


今の住まいは都心にあっては、東京の鬱蒼とした人混みの熱が揮発するほど木立と並木に広い道と広い空、まさに「オカダ散歩」の快適地。眼下の明治神宮。南に深緑の代々木公園。北に新宿御苑。東に国立競技場や神宮球場がある神宮外苑。ちょっと遠出すれば赤坂御用地に迎賓館。わずらわしい愛犬家の会話に遭遇することなく存分にワンコ散歩を楽しめる。もちろん、早朝の人っ子一人いない表参道は爽快この上なし。日中の人混みが想像出来ない異国情緒だ。空も道もすいてるって気持ちがいい。そんなタロ散歩で、天気がよければ、ゆるやかにカーブした銀杏並木の一本道を国立競技場まで往復するのがお決まり。というのは、中間地点の千駄ヶ谷駅前にあるエクセルシオールのテラスが大穴で、ワンコは水をがぶ飲み、飼い主はブラッドオレンジジュースを一気飲み。もちろんタバコは遠慮なく。そう僕は20数年来のブラッドオレンジジュースのファンなんす。うすめの赤とほのかな酸に舌触りのどろっと感がたまらない。近所で飲めるのがここしかないんでね。


近所の新宿徘徊「オカダ散歩」では、今時タバコが吸えてブラッドオレンジースが飲めて、なおかつ空いている。しかも高雅な時間をすごせる御ひいきは新宿高島屋3階にある「Cafe COVA」。ご存知、1817年創業のミラノ、モンテナポレオーネ通りにある本店は、ヘミングウェイ、スタンダール、ヴェルディー、ジャコーザ、などなどと、もうゴージャスな文豪、音楽家、芸術家の憩いの場として名高い老舗カフェ。甘いシガー、苦いチョコ、酸っぱいジュースは大人のたしなみ?おっと忘れちゃいけない、それとアモーレ。昼下がりの // COFE COVA // カフェコヴァ // は使えます。

■ついで話に夜食後の広尾界隈「オカダ散歩」ならもう老舗「ペーパームー」のブラッドオレンジジュースはグラスがイケル。&「オレンジ」話のついで2〜だからおひまな時にぜひお召し上がりを。ジューシーな「スイカ」に甘酸っぱい「りんご」イケルかも。

2009/06/24

銀杯に完敗

ハリウッドスターとの遭遇はテレビが茶の間(リビング)にやって来た1960年代初頭、小学2〜3生のころだった。アメリカのTVドラマ「ローハイド」のクリント・イーストウィッドが記憶に残る最初の俳優だ。映画デビューは当然、映画館デビュー。当時、映画館で観る映画は2本立て興行が普通で、1本観て帰るなんて事は滅多になかった。と言うのも、洋画は、父親に連れられて行ったマカロニウェスタンと呼ばれた西部劇、第二次世界大戦を扱った戦争物と007 ボンドシリーズ。邦画は、母親に連れられて行った加山雄三の「若大将」シリーズとゴジラやモスラの「怪獣映画」。それとデズニー映画に石原裕次郎映画だ。組み合わせも大人と子供と上手いが、同伴者の男と女の仕分けも面白い。そんなわけで、ポール・ニューマン 、スティーヴ・マックィーン、ユル・ブリンナー、チャールズ・ブロンソン、ジェームズ・コバーン、デヴィッド・マッカラム、フランコ・ネロ、ジュリアーノ・ジェンマなどなどが、小学生時代に焼き付いたハリウッドスターたちだった。そういう意味では、007のショーン・コネリーは、映画が東西の冷戦を背景に最先端の近未来ものだから、印象もおのずと前者の男優たちとは異なり、スタイリッシュなアニメのヒーローのような別次元の存在だった。中学になると親と一緒に行動なんて!と、男子っぽい反抗期と受験勉強で映画とは疎遠に。そして人生で初めて、ひとりで映画館に行くようになったのは、親元はなれて東京で下宿学生になった16歳の1971年。渋谷でリバイバル上映されていた1968年公開の「2001年宇宙の旅」が初体験だった。今思えば僕の人生を象徴する初っぱなでノックアウト。映画館を出るも茫然自失。一体全体、これは何だったのだろう。まったく理解不能。説明のつけられない得体の知れない不安感は、さらに白い色が追い討ちをかけ恐怖感に襲われていた。子供の頃に沁み込んだ病院の無機質な白の怖さだ。そして事故に遭遇し気絶から意識を戻したとき、人の防衛本能なのか、必死で状況を掌握しよう現状を説明つけようと、未体感の不快な異物を何とか理解して平静になろうとするように、小僧の脳は恐怖の白でパニックだった。この不快な正体不明の不安と恐怖に襲われた衝撃的未体感は、当時の僕には前衛という言葉しか浮かばなかった。前衛は生理的不快で不気味だと。原始時代の風景にあり得ない黒い直線の立体。遠く未来の宇宙船に不釣り合いな黒い直線の立体。いつの時代にも付きまとい、どこにあっても異質で不気味な黒い直線の立体。それは人類の長旅の歴史、途方もない「時間を物差し」に「人の正体」を黒いモノリスに単純化して見せた事が、目先の日常に奔走する腕時計の時間に生きる我々には非日常すぎて視界に収まりきれない事から来る違和の立ちくらみ。一瞬の理解不能から来る不快と不安、恐怖を生んだ。この映画はSF映画でも難解映画でもない単純明快な禅問答「人の正体をミニマルな黒い物体モノリスで表した結果の美」まさに原題どおりの壮大なオデッセイア叙事詩だって事に気がつく30才まで、14年間もあの日の生理的不快を引きずった。要は俯瞰で観ればいいだけなのだが。もうひとつ衝撃的だったのは高校2年の夏休み、お昼時に偶然TVで観たアラン・ドロンの珍品デビュー作「お嬢さんお手柔らかに」。もっともこちらは爽快な衝撃だったけれど、巷でも母親の言葉にも頻度高く登場していたアラン・ドロン、それが絶世の美男子だった事を初めて知った。以後、夢中で彼の映画を観まくったが、僕は未だに20代のアラン・ドロンを越える美男子にはお目にかかっていない。オードリー・ヘップバーンを越える女優が現れないように類似品がないオンリーワン。スターって浮き世を越えている。


先日スカパーで「銀の盃」を魅入ってしまった。映画は最期の晩餐でキリストが弟子たちに酒を注いだ銀の盃=聖杯のその後にまつわる物語。あのポール・ニューマンのデビュー作である事ぐらいは知っていたが、初めて観る映像。観ながら慌てて検索すると1954年の作品で、やっとつかんだ主役のデビュー作としては不評で俳優としては不遇な船出だったとの記載を読んで納得だ。それは俳優としての演技力の問題ではない。公開後55年も経った2009年、54才になった僕が初めて観て、目を疑うほど衝撃的に新鮮な映画の作りなのだ。映画というよりミニマルな前衛的舞台。背景、小物、衣装、舞踏、色彩、照明、撮影、スクリーに映るすべてがモダンでクール。記号化された様式美が斬新なのだ。今時の劇団が作るどんな舞台よりはるかに進んでいた。こりゃ、当時はウケないよ。生理的に理解不能だよ。たぶん僕の16才での「2001年宇宙の旅」だったのだろうなぁ。未来の普通はデビュー当時には理解されない。常識はいつも非常識のあとを付いて行く。美は不快な快楽。革新は普遍。銀杯に完敗だ。あらためて、企て1000年。気合いが入った。


ヒッチ・コックの名作「引き裂かれたカーテン」から「脱走大作戦」「明日に向かって撃て」「評決」「ハスラー」「スティング」、晩年のケビン・コスナーとの共演「メッセージ・イン・ア・ボトル」、最晩年の渋爺役「ノーバディーズ・フール」、そしてレーサーとして活躍したデイトナ、ルマンの勇姿が思い出される。ハリウッドスターらしいって、こういうカッコいい大人の男だった。享年83歳2008年没。

2009/06/23

愛は待たなきゃネ

Hugs and Kisses LOVE Necklace Handcrafted M.J.Connolly
http://www.mjconnollydesigns.com/

>Show the love. Share the love. Feel the Love. This handcrafted sterling silver necklace is part of my Hugs & Kisses series. Four hand stamped, ½” sterling silver discs hang from a sterling silver chain or black rubber cord. The chains come in 1 mm and 1.5 mm and in 16’’ or 18” length. Please specify type of chain and length when ordering. (text by Hugs and Kisses) なんだとさ。忘れたころにやって来たLOVE。さっそくタロの首輪に付けなくっちゃ♪ 遅まきながら11才の誕生プレゼントなり。やぼい手作りもけっこう好きっす。Cさんに感謝!

2009/06/22

1Q86

サザエさん症候群という言葉がある。日曜の夕方6時30分からフジテレビ系列で放映される35年も続く長寿番組が、長寿故、家族物故、世代を越えて休日の終わりを実感させるキッカケとシンボルになっているという。番組の「サザエさん」が休日の開放感から月曜の緊張感に気分を変える憂鬱なブルーマンデーの始まりを告げるらしい。サザエさんは見なくても、確かにひとりモンの中年には、日曜の夕方は、正直、孤独と焦燥が応える。そんな気分の日付をまたぐ直前、かえる子さんという愛称の不思議美人さんから携帯メールが入った。彼女は北海道で競走馬を生産している牧場の姫。もうそこそこのお年だろうが、生まれながらの牧場(まきば)のじゃじゃ馬。いや牝馬。昨今のカワイイモデル嬢とは格違いの正統的な、とびっきりの美人さんだ。乗馬はもちろんの事、近所の太平洋ではピンクのウェットを着込みサーフィン。そしてトイカメラに夢中な、どう考えても界隈では希有なお嬢様だ。その彼女、何故か忘れたころに決まって、日付が変わるこの時間帯に「思い出したのでメールしてみました」と、たぶんベットに入る前か入ってからか携帯メールを1行よこすのだ。そして、メールに気がつき、すかさず返信するするのだか、これまた決まって無しのつぶて。一方的な気まぐれとしか言いようがない。昨夜もそんなメールに微笑むも、大人の乙女の気まぐれがもどかしく、トホホ。。。だった。。。そしてメールに添付された写真に追い討ちをかけられた。僕が31歳、1986年の渾身の建築作品「パレード」ビルなのだ。そんなわけで、すっかり24年も遡る回顧な気分。僕の「1Q86」となってしまった梅雨の月曜日。


2009/06/21

山の上のラブエスケープな季節

わが人生、豪華にも3回の結婚と結婚を意識した3回の同棲、よくも懲りずに飽きずに6回も濃く深く短く人生を重ねあわせてきたけれど、ふりかえって結婚しない恋の季節が一番ホットなラブエスケープをめいっぱい堪能していた。ラグジュアリーなビーチ、温泉、都心のリトリートで二人っきりの甘味な旅三昧。先行き危うい危険な恋ほど燃えるのか。燃えて炎上、恋の火だるまが好きなのか。どうやら悪女と天然に弱いらしい。そんな官能のナチュラルさんと4年ももたせるなんて、過去最長記録を更新した恋が鎮火して1年。そろそろ都心のホテルもプール開き。草食系男子大流行りなご時世で、肉欲旺盛な原始人としては、そろそろ本気でGF狩らなきゃ心も体もハングリー。てなわけで、官能に火が入ってフルスロットル2時間以内が逢瀬の適地と、灼熱の恋と夏を前に山の上のラブエスケープで軽くウォーミングアップといきたいところ。さしづめ「星のや」あたりに飛ばしたい週末だ。

HOSHINOYA KARUIZAWA(星のや軽井沢)
東京から2時間 星野温泉の里宿はヘリでも行けるセレブ仕様
http://www.hoshinoya.com/en/

POST RANCH INN (ポスト ランチ イン)
サンフランから2時間 太平洋を望むこの山荘はハリウッドセレブも御用達
http://www.postranchinn.com/

ELOUNDA GULF VILLAS & SUITES(エロウンダ ガルフ ヴィラ&スイート)
クレタ島 正統派ロッジの☆☆☆☆☆
http://www.eloundavillas.com/

豪快なギリシャの海運王アリストテレス・オナシスと世紀の歌姫マリア・カラス、歴史に翻弄されたジャクリーン・ケネディー元ケネディー米大統領夫人。すでにひとりひとりが歴史に名を刻む数奇な運命の持ち主たちだった3人のセレブリティーが、エーゲ海を舞台に世界を股にかけて織りなした豪華絢爛なラブアフェアーは、ダイアナ妃のロイヤルな恋の4角関係とは比べ物にならない、20世紀の伝説的セックスキャンダルだった。1977年、エロスの版画家 池田満寿夫処女作エーゲ海に捧ぐ」で第77回芥川賞を受賞。タブーを過激にゲバルトする当時の風潮を象徴した、その刺激的な官能表現は一大センセーショナルを巻き起こし、1979年、小説は自らメガフォンを取った初監督作品として映画化されるや、再び、その性描写が物議を再燃させたエロティシズムの問題作となった。澄みわたるギリシャの光と空のもと、そこは何ゆえに愛に溺れる青い海なのか。そんなエーゲ海の山の上は5つ星のスモールラグジュアリーの宝庫だ。人生は1回、悦楽放蕩の甘味な逢瀬のご参考までに。

BILL & COO SUITES AND LOUNGE(ビル&クー スイート アンド ラウンジ)
ミコノス島 クラシックなクレージュがクール
http://www.bill-coo-hotel.com/

COSMOPOLITAN SUITES(コスモポリタン スイート)
サントリー二島 素朴さがエーゲ気分
http://www.cosmopolitan-santorini.com/

■もうこうなったら、超離婚貧乏開き直りでなりふり構わず4郎めざして、おっと結婚なんて意識しちゃいけねぇー。けど、この場を借りて運転上手なナチュラル系肉欲派女子大募集しちゃおうーっと。。。♪

 
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