1955年生まれの僕が、60'sという時代のトレンドを意識しだしたのは小学4年。好奇心が目覚めた少年にとって1964年の東京オリンピクを境に、建築、ファッション、グラフィック、カーデザインと、目を見張る大人の世界が目の前に突然現れた感じだった。中でも映画には妄想のバブル期を楽しませてもらった。ジェームス・ボンド シリーズ第一作「007 ドクターノー」1962年に始り、1972年の第7作「007 ダイヤモンドは永遠に」までのショーン・コネリーの時代に男の嗜み、男と女のマナーを学び。オマセだねー。グラマーでセクシーなブロンド女優たちに悩殺。BB&CC何て略された元祖グラマー女優のブリジッド・バルドー、クラウディア・カルディナーレ。初代ボンドガールのウイスラ・アンドレスや「恐竜100万年」1966年「ミクロの決死圏」1966年 のラクウェル・ウェルチ。止めはヌードなんて見た事もない少年は「バーバレラ」1968年 のジェーン・フォンダに、理解不能なH気分の初体験。まだ昭和30年代の小学生だよ。ま、その後の、サイケデリック、エロ、グロ、ナンセンスへの洗礼を受けたわけだ。
ファッションを意識したのは、アラン・ドロン、リノ・バンチュラ、ジョアンナ・シムカスの「冒険者たち」1967年。劇中 ジョアンナ・シムカスのメタルファッションと三角ビキニが目に焼き付きファッションに目覚めるわけす。当時、ピエール・カルダン、ジバンシー、イブ・サン・ローランが主流の中、メタル、プラスティック、ビニールなんて、時代の素材を多用して群を抜いた未来チックなアンドレ・クレージュが1965年にミニスカートを発表して大ブレーク。そのミニスカートの代名詞、イギリスの元祖スーパーモデル ツイッギーが1967年に初来日して、日本中がビートルズとツイッギーに熱狂したのが、小6のころ。そんな時代背景で育ったせいか、その後1978年、大学出てから就職した先が百貨店というご縁もあって、あらゆるブランドに触れる毎日。そこでハマったのが、まだグッチ家の時代のグッチとジョージ・ジェンセンとパコ・ラバンヌ。グッチの靴とシャツにジョージ・ジェンセンのシルバーとレアなステンレスもん。そしてパコ・ラバンヌの香水。何たって社員割引で買えちゃうわけだし。そんなわけで、匂いフェチとしては社会人になってから今日まで、もう手の打ち明かせば、香りは3種類を3カ所に使い分けきたのでした。
両腕の内側と胸は惜しみなく爽やかなパコ・ラバンヌの「プール オム オー」。両耳の後ろから首に、同じくパコ・ラバンヌのタバックな香りの「オードトワレ」を数摘。お尻と背中にシャネルの野生「エゴイスト」(冬は「プラチナム」夏は「プールオム」)を一吹き濃い口。この組み合わせ、動きで微妙にたなびき、時間差で香りも緩急きいて、なかなか評判よくってお気に入り。何ですが、ななななんと、プールオムオーが絶品に! 一番使うのでちょくちょく買い足すも、どこを探しても売り切れ、在庫無し、欠品中。さすがに問い合わせてみたところ、人気がないので輸入元で輸入中止との返答が。これって私がジジイっこと?それって流行遅れってことだろう? それにしても今のお若い諸兄は何を使ってるんだろう? 青山の8 1/2 に髪を切りに行く度に、娘ほどの若いお嬢さんたちに「いい匂い」「なんの香りですか?』って鼻を寄せられて褒められるっちゅうのになぁー。この微妙な香りの加減が。今時、パコの「メタル」をふりまく女子がいたら抱きついちゃうけどねぇー。僕は。
で、ファンにはたまらないおまけ話。かつて小学生が悩殺された「バーバレラ」の衣装デザイン、何とパコ・ラバンヌだったと、大人になって知って納得。匂いが似てるか。これが60'sのエロ・グロ・ナンセンス。ポップな音楽とタイトル。キッチュでスペーシーな衣装デザイン。&ジェーン・フォンダは今でも過激に悩殺してます。
NEW DECISIONS Paco Rabanne Plans To Focus On Fashion Line Fashion home Paco Rabanne, famous for designing costumes for Barbarella, is planning to focus on promoting clothes.
アカデミー授賞式やパーティー用にと、ハリウッドの映画女優やスタイリストに絶大な人気を誇るブティック「レア・ビンテージ」@ニューヨーク。ここにちゃんとありました。60年代のパコ・ラバンヌが。さすがグッドコンディションで。要チェック。