リーマン破綻後のアメリカ倒産劇を見るに、
つくずくそれは、人類誕生から連綿と営まれて来た
「狩猟・移動民族」の生存の知恵と「農耕・定住民族」の生存の知恵の象徴に思えてならない。
2008年のリーマン破綻後のアメリカが、ついに20世紀の産業・経済・政治とアメリカンドリームのシンボルだった、ビックスリーの破綻を迎え、事実上アメリカそのものの倒産、すなわち20世紀的成るもの終焉を感じざる得ないのは、僕だけではあるまい。
イギリス(蒸気の時代)からアメリカ(石油の時代)に覇権がわたり基軸通貨がポンドからドルとなって、良くも悪くも20世紀を我が物顔に跋扈したアメリカ。実はその綻びは、1985年、貿易と財政の双子の赤字で倒産寸前だった米ドルを当時のG5がを支えた、いわゆる「プラザ合意」に始っていた。今の言葉でハゲタカファンド、買収、解体、切り売り、転売、株価操作、ウォール街の金融ディーラーたちが日々マンハッタンのペントハウスでシャンパンを浴びた栄華から、インサイダーで服役、破産、ホームレスの没落へと、天国と地獄をさまよう時代は、エディー・マーフィー&ダン・エイクロイドの「大逆転」1983年に始り、大ヒットしたチャーリー・シーン&マイケル・ダグラスの「ウォール街」1987年、メラニー・グリフィス&ハリソン・フォードの「ワーキングガール」1988年、レベッカ・デ・モーネイの「ディーラーズ」1989年(英金融街シティを舞台にした英映画/日本未公開)と広がり、ついにジュリア・ロバーツ&リチード・ギアの「プリティーウーマン」1990年で頂点を極め。その後もトム・ハンクス&メラニー・グリフィスの「虚栄のかがり火」1990年、ダニー・デビートの「アザー・ピープルズ・マネー」1991年と続いた。日本におけるホリエモン騒動&事件2005〜2006年は、すでに20年も前にハリウッドを大儲けさせるほどの時代の気分だった。
ベルリンの壁が自然崩壊(1989年)して東西の冷戦の終結後、一人勝ちとなってしまった資本主義社会の風雲児アメリカは、IT革命後のインターネット社会を背景にグローバル市場を席巻し、ついに資本主義最後の徒花、金融工学へと先鋭化し2008年リーマン破綻で、その地に足の着かない金で金を生む金融資本主義のみで経済の繁栄の粉飾決算をしてきた事を白日の元にさらした。経済は本来、物が売れて成り立つ。その世界市場で売るべき物「自動車」は、すでに1980年代に入って日本の低燃費・高性能の小型車に負け、かのジャパンパッシングで応戦したころから、20世紀のシンボル、アメリカの象徴、自動車産業ビックスリーは、時代に対応、未来に適応できない売れない物作りで破綻は始っていた。その致命的問題は、金融工学の進歩が仇となって、売れる車作りを先送り、目先の金融商品ローン販売による帳尻を合わせで株価を維持する資本主義の末期症状を続けた。売れない車を金融テクニックで販売し数字合わせ、いわば粉飾決算だ。物が売れない会社が倒産して当たり前。蒼々たる経営学のMBA取得者たちによる経営者失格のツケ払いを国家が国民が支える、最後の資本主義超大国が国営する社会主義化に踏み切らざる得ないとは皮肉な話。21世紀の始まりだ。
そして、潰れて当然といわざる得ない経営陣の放蕩経営は明らかにされた。1.売れない商品作り 2.金融による架空の帳尻合わせ 3.法外な報酬と待遇。小学生でもわかる潰れる構造だった。中でも、3.法外な報酬と待遇は、さすがの米国民も呆れた自家用ジェットで議会に登場し国民に借金を請う様だ。ここに「狩猟(正確には略奪)・移動民族」の生き抜く知恵「MBA」の本質が見えた。彼らの生存の知恵は、まず自分が助かる事。自分だけは巨万の富を抱え、以下はコストカットと称して即切り捨て。身軽になってそこから再生存の道を模索する。「個」の論理。一方、「農耕・定住民族」の生き抜く知恵「MIJ」は「和」の論理。状況が悪化して今まで通り食えない事態ならば、まずは、小さくなったパイをみんなで分かち合い耐えしのぐ。一人だけが逃げ切り生き残るのではなく、みんなが生き残れるように少量ずつでも分かち合う。そこから再び、知恵、技を模索し次のチャンスに望む。文化とは人類だけの生き抜く知恵が表現された総体をさすが、人類誕生から400万年、1/4が狩猟・移動の民となり、3/4は肥沃な大河の元で農耕・定住の民として、世界に広がった。文化とは定住したその地の自然環境、気候風土が、そこでの生き抜く知恵を人に教えた産物だ。「MBA」と「MIJ」、若い西の端の大国アメリカと中年の東の離れ小島の小国ジャパン。自然から学んだ生存の知恵、生き抜くDNAは「MIJ」が勝っていたようだ。そりゃそうだ、小津安二郎のひと雫の水滴に写る世界じゃないが「ミクロコスモス」、小さな自然から大きな宇宙を学んだのだから。「桶」と「盆栽」ミニマルとフィギア「かわいい緻密」を生み出すわけだ。
気がつけば、日本の家電、日本の自動車、日本のガラス、日本の水着、日本のマンガ、日本のアニメ、日本の映画、日本の野球が、とうの昔に本家を追い越し、そしていよいよ20世紀の紛争の火種「石油」も「原子力」も使わない「太陽光発電」の21世紀。電気自動車、エネルギーが自己完結する住宅・オフィス・建築、人を支えるロボット、健康食和食にカワイイカルチャー。元祖エコロジカルでヘルシーな人にやさしい地球にやさしい『MIJ」が未来を開く。「精緻で緻密」「雅でかわいい」技術と芸術『MIJ』が、東西問題なきあと20世紀の積み残し最後の課題、南北格差と低炭素社会を解決する地球平和の勝ち残ったDNAだ。さ、今日が最終日「太陽光発電/PV 2009」を見に行こうっと!
「究極の無印良品」
誰が発明したかわからない究極の無印良品 「桶」。
おぎゃ〜と生まれて「たらい」で産湯。飯は「おひつ」。湯船は「風呂桶」。死んで「棺桶」。
木と竹のタガだけで出来たまあるい「桶」は究極のミニマリズムだ。
言うまでもなく、痛めばカンナで木を削りタガを締めなおし、とうとう壊れたら燃やして土。
何て理にかなうことか。今さら声高にエコロジーなんて遅すぎる。
こんなミニマルにしてエコロジカルな逸品が詠み人知らずの発明品。
理にかない潔がいいから美しい日本が誇る究極の無印良品。
どこにも無駄のない完璧な自然循環、日本文化のDNAの真髄だ。
「和」が救う地球の未来。
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