ハリウッドスターとの遭遇はテレビが茶の間(リビング)にやって来た1960年代初頭、小学2〜3生のころだった。アメリカのTVドラマ「ローハイド」のクリント・イーストウィッドが記憶に残る最初の俳優だ。映画デビューは当然、映画館デビュー。当時、映画館で観る映画は2本立て興行が普通で、1本観て帰るなんて事は滅多になかった。と言うのも、洋画は、父親に連れられて行ったマカロニウェスタンと呼ばれた西部劇、第二次世界大戦を扱った戦争物と007 ボンドシリーズ。邦画は、母親に連れられて行った加山雄三の「若大将」シリーズとゴジラやモスラの「怪獣映画」。それとデズニー映画に石原裕次郎映画だ。組み合わせも大人と子供と上手いが、同伴者の男と女の仕分けも面白い。そんなわけで、ポール・ニューマン 、スティーヴ・マックィーン、ユル・ブリンナー、チャールズ・ブロンソン、ジェームズ・コバーン、デヴィッド・マッカラム、フランコ・ネロ、ジュリアーノ・ジェンマなどなどが、小学生時代に焼き付いたハリウッドスターたちだった。そういう意味では、007のショーン・コネリーは、映画が東西の冷戦を背景に最先端の近未来ものだから、印象もおのずと前者の男優たちとは異なり、スタイリッシュなアニメのヒーローのような別次元の存在だった。中学になると親と一緒に行動なんて!と、男子っぽい反抗期と受験勉強で映画とは疎遠に。そして人生で初めて、ひとりで映画館に行くようになったのは、親元はなれて東京で下宿学生になった16歳の1971年。渋谷でリバイバル上映されていた1968年公開の「2001年宇宙の旅」が初体験だった。今思えば僕の人生を象徴する初っぱなでノックアウト。映画館を出るも茫然自失。一体全体、これは何だったのだろう。まったく理解不能。説明のつけられない得体の知れない不安感は、さらに白い色が追い討ちをかけ恐怖感に襲われていた。子供の頃に沁み込んだ病院の無機質な白の怖さだ。そして事故に遭遇し気絶から意識を戻したとき、人の防衛本能なのか、必死で状況を掌握しよう現状を説明つけようと、未体感の不快な異物を何とか理解して平静になろうとするように、小僧の脳は恐怖の白でパニックだった。この不快な正体不明の不安と恐怖に襲われた衝撃的未体感は、当時の僕には前衛という言葉しか浮かばなかった。前衛は生理的不快で不気味だと。原始時代の風景にあり得ない黒い直線の立体。遠く未来の宇宙船に不釣り合いな黒い直線の立体。いつの時代にも付きまとい、どこにあっても異質で不気味な黒い直線の立体。それは人類の長旅の歴史、途方もない「時間を物差し」に「人の正体」を黒いモノリスに単純化して見せた事が、目先の日常に奔走する腕時計の時間に生きる我々には非日常すぎて視界に収まりきれない事から来る違和の立ちくらみ。一瞬の理解不能から来る不快と不安、恐怖を生んだ。この映画はSF映画でも難解映画でもない単純明快な禅問答「人の正体をミニマルな黒い物体モノリスで表した結果の美」まさに原題どおりの壮大なオデッセイア叙事詩だって事に気がつく30才まで、14年間もあの日の生理的不快を引きずった。要は俯瞰で観ればいいだけなのだが。もうひとつ衝撃的だったのは高校2年の夏休み、お昼時に偶然TVで観たアラン・ドロンの珍品デビュー作「お嬢さんお手柔らかに」。もっともこちらは爽快な衝撃だったけれど、巷でも母親の言葉にも頻度高く登場していたアラン・ドロン、それが絶世の美男子だった事を初めて知った。以後、夢中で彼の映画を観まくったが、僕は未だに20代のアラン・ドロンを越える美男子にはお目にかかっていない。オードリー・ヘップバーンを越える女優が現れないように類似品がないオンリーワン。スターって浮き世を越えている。
先日スカパーで「銀の盃」を魅入ってしまった。映画は最期の晩餐でキリストが弟子たちに酒を注いだ銀の盃=聖杯のその後にまつわる物語。あのポール・ニューマンのデビュー作である事ぐらいは知っていたが、初めて観る映像。観ながら慌てて検索すると1954年の作品で、やっとつかんだ主役のデビュー作としては不評で俳優としては不遇な船出だったとの記載を読んで納得だ。それは俳優としての演技力の問題ではない。公開後55年も経った2009年、54才になった僕が初めて観て、目を疑うほど衝撃的に新鮮な映画の作りなのだ。映画というよりミニマルな前衛的舞台。背景、小物、衣装、舞踏、色彩、照明、撮影、スクリーに映るすべてがモダンでクール。記号化された様式美が斬新なのだ。今時の劇団が作るどんな舞台よりはるかに進んでいた。こりゃ、当時はウケないよ。生理的に理解不能だよ。たぶん僕の16才での「2001年宇宙の旅」だったのだろうなぁ。未来の普通はデビュー当時には理解されない。常識はいつも非常識のあとを付いて行く。美は不快な快楽。革新は普遍。銀杯に完敗だ。あらためて、企て1000年。気合いが入った。
ヒッチ・コックの名作「引き裂かれたカーテン」から「脱走大作戦」「明日に向かって撃て」「評決」「ハスラー」「スティング」、晩年のケビン・コスナーとの共演「メッセージ・イン・ア・ボトル」、最晩年の渋爺役「ノーバディーズ・フール」、そしてレーサーとして活躍したデイトナ、ルマンの勇姿が思い出される。ハリウッドスターらしいって、こういうカッコいい大人の男だった。享年83歳2008年没。
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