2009/11/29

究極の無駄の無駄使い上手


「現代美術」 "Babies" Vanessa Beecroft

究極の無駄。それは人類の誕生だろう。石で塞がれた草は形を変えてでも、たくましく地中から生え伸び、自身の命を次ぎに残し枯れて朽ちて土に帰る自然循環に寄与する一介の命だ。地球誕生から46億年。生命誕生から40億年。人類誕生から400万年。そして、ボクは誕生から54年。1年の草も、100年の人も、1000年の木も、その種の寿命の中で、ただただ40億年、絶やす事無く命のリレーをして来たにすぎない。あらゆる命の正体。それは「ただ生き続ける」ということにほかならない。命のミッション。命の存在理由だ。「人は何のために生きているのだろう」と人は問う。その答は「生き続けるために生きている」だけなのだ。丸裸の人は数万年も続いた大氷河期を生き延びて来た。人の生の正体「生き続ける」は、絶滅したマンモスよりもタフだった。生命は誕生以来、手段を選ばず、唯一のミッションを守り生き続けて来た。それを種の進化と呼ぶ。一介の草に過ぎない人命は「生き続ける」生存のために生き抜く知恵の源「頭」を肥大化させた。「人間は考える葦である」とは見事なパスカルの名言。あらゆる生命の中で唯一、生存のために、脆弱な草が「頭」を持った種「人間」。この貪欲な人の生欲こそ、あらゆる生命の源「地球」を汚し、自然循環を乱し、皮肉にも自分の命さえ危機にさらす自己矛盾。その象徴が「2001年:宇宙の旅」に登場する、どの場面にも馴染まない違和な不気味な黒い物体モノリスだ。人間はすべてが完璧に調和した何一つ無駄の無い地球にとって違和な唯一の無駄な存在。だから、巷間 大流行りの「無駄狩り恐怖政治」は、人間の存在を否定する自己矛盾。「水清ければ魚住まず」純粋な水 H2O では生きられない。ギアに遊びがなけりゃ壊れてしまう。味とは何かもうひとつ不思議が加わらなければ生まれない。1902年。無駄がなけりゃライト兄弟は飛行機を飛ばせなかった。1969年。無駄がなけりゃ人類は月面に到着できなかった。無駄がなけりゃ美も味も存在しない。遠大な無駄がなけりゃ世界遺産は存在しない。究極の無駄こそ人間の証明なのにネっ。

「世界遺産」 The World's Heritage "Kinkaku-ji"

かつて、イサム・ノグチはこう教えてくれた。「岡田君 見てご覧 藻岩山の紅葉を人は美しいと愛でる」「しかし 人が作った大通公園の紅葉はゴミとして年間 何十億円も税金を使い掃除をする」「人の作る物は醜い」「何と手間のかかるやっかいな事ばかりしでかすのか」。そして、自身が作品を置いた造園から3年ぶりに立った京都の寺の庭で「自然が上手に私の過ちを消してくれましたねぇ」とつぶやいた。矛盾を心得てこそ、無駄使い上手な、真の人間の証明なりさっ。

2 件のコメント:

feashason さんのコメント...

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匿名 さんのコメント...

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