蝉の声と虫の声が交わり始めた晩夏。木の葉もちょっとお疲れ気味。今年は音連れが早い。ひと息、欲しくってノアノアに浸かりながら今宵もハーフムーンを愛でようかなぁー。ノアノア(noanoa)とは、タヒチ語で「かぐわしい香り」。フレグラント。ゴーギャンが愛したテーマ。写真はゴーギャンの Noa Noa 1919「Day God」。陽光と月光を浴びた週末。
2009/08/22
すしくい
54年にして未だ夢叶わず、はなたれ小僧の志は道半ば。わずかな名誉とたくさんの不名誉に不義理をこさえ、たくさんの支援をうけるも、もりだくさんな迷惑をかけちらかして、夢の結実と恩返しに今日も現在進行形。否応無しに減速するスピードに苛立、見えてきた残り時間に焦りながら。。。人生は夏休み。あんなにたくさんあったはずの時間。あれもして、これもしてと、夢を描き計画も立てたのに、カレンダーを見れば、あと1週間? あれも出来なかった、これもしなかったと、手つかずの宿題、未完の夢の山に埋もれ、遠い頂を眺めてはため息が出るばかり。人生は本当に長いようで短い夏休みだ。
自画自賛と呆れられようが、たった一つ胸を張れる信条がある。27歳で独立して以来、どんな仕事でも、だれと会っても、いつもこれが最期、遺作であり、遺言だと思い、人と接し仕事と接した。確信犯として、いつもこの仕事で、今の別れで死んでもいいと、嫌われようが喧嘩になろうが誤解を恐れず言うべき事を伝え、やるべき事をまっとうした。あらゆる障壁と戦い妥協なく思念を貫いた。孤立無援、孤軍奮闘を顧みず、抵抗勢力とファイトした。だから、完成した商業ビルに人が押し寄せ、完成から20年が過ぎても立派に生き続け、イベントは主催者の期待も想像もはるかに越えた集客と収益をあげ、記録を作り記憶を残し、ブランディングで企業は商品は再生されたと、裏方力を豪語できる。誰も見た事がない、誰も経験した事がない、未知の未体感の事件を起す。そのプランは提案時に全員が異議を唱え反対する。その道の経験者たちは口を揃えて「そんな事は聞いた事がない見た事がない」「経験がないから無理だよダメだよ出来ないよ」「あんたは何も知らない、こっちは経験者だ」「第一、先行事例がない」と、猛反対をくらう。挙げ句に「他社もやってない」「他者に聞いても、やはりみな反対だ」と。何のためにプロジェクトがあるのかさえ見失い本末転倒してしまうのがクライアント、世の常。僕の、まだ誰にも見えない未来を売る商売は、いつも、この知っていると豪語する有識者との戦いだった。しかし万人が「これはいい!」と賛成するプランなら誰でも作れる。出来上がったモノに鮮度などない。それは誰でも出現する前から想像のつくモノ誰もが知るモノだから。20年は決して生き残らない。6000年来のピラミッドに始まり、2000年のコロッセイム、万里の頂上、1300年の東大寺、150年のエッフェル塔、100年のエンパイヤーステートビル。数千年、数百年と生き残るモノとは、当時の異常。理にかなった奇想天外。非常識ばかり。常識はいつも先行事例などない非常識の後を追うものなのだ。未来は非常識の中にしかないと歴史は教える。だから僕は、人生の彩で、ご縁会って出会った仕事も私事も、次の一瞬、明日を知る者が誰一人いない一期一会の人生だから、誰に対してもどんな仕事でも熱く重く全開で対処する。最期の一瞬まで完全燃焼でありたいと。遺作と遺言だと思って。
そんな大バカな54年で、建築で取った賞よりも、広告で取った賞よりも、嬉しく誇らしいこの上ない栄誉が、まだ独立間もない20代後半で通い始めた「すし善」で、店主島宮勤氏に「あんたは本物の鮨食いだねぇー」と言われた事だ。この先どんな高名な名誉を頂くことが、もしもし万が一あったとしても、氏の褒め言葉が我が人生、最上の誇り。生きた証。ミシュランの覆面がどう評価しようが、評論家がどう語ろうが、島宮勤氏は、日本の食文化史で数百年におよぶ鮨の系譜の最先端最高峰と確信するから。
味とは遊び。美味とは理にかなう遊び。純粋な水H2Oには魚住まず。照りも艶も味もない。美とは奇麗の真逆。醜い怖い険しい歪(いびつ)が内在する紙一重の加減で生まれる絶妙なアンバランスのバランス。奇形の産物だ。人間だけが知りうる美味とは味覚だけにあらず。存在自体の佇まい、振る舞い行為、その前後の時間の経過、その全てにその一瞬に味があるもの。味がある演技。ハンドルの遊び。味がある人。と言われる通り。レシピを超えた、何か、もう一つの不思議が加われなければ生まれない。奇麗には上手には精巧なマニュアル通りにすれば誰でも到達できるが、美味しいはそうはいかない。練習しても経験を積んでも到達しえない代物なのだ。遊びと味という奇妙な感を心得なければ。それは、はっきり言えば天性、生まれ持ったもので、残念ながら練習しても追いつけないのだが。1番とはそういうものだ。島宮勤氏の鮨は、無骨で歪。決して奇麗じゃない。お手本から最もかけ離れた姿形。しかし、座りがいい。見栄えがいい。味がある佇まい。そして驚きは味覚だ。切れ味最高の包丁でどう切ったら切り口に素材のテクスチャーを残せるのか?舌触りに口当たりに食材の繊維、質感を残す芸妓。まるで、ピカソの絵、魯山人の器。遊びがある味があるとはこういう事だと、体が教わる無形文化だ。
すし食いとは、極端に言えば一言も会話する事なくただひたすら、職人が頃合い見計らっては「握る差し出す」、客が「つまむほうばる」、ライトが当たる文字通り檜舞台のカウンターを挟んで繰り広げる、まるで餅つきの間(あい)の手のようなリズム。まるでライブなジャムセッション。その呼吸の美味しい事。食べ終えた至福は、味と言う味覚を超えた最高の共演に酔いしれるエクスタシー。鮨というライブな食を堪能する者をさす。職人は予約の段階から流れを構成しネタを仕込み、客が顔を見せたら、その具合を察し、客のテンポに食のリズムに場のタイミングに臨機応変、芸妓を尽くす。カウンターは舞台。鮨は役者。流れはDJ。職人と客はジャムセッションの共演者。
食材がいいのは当たり前。仕事がいいのも当たり前。頃合い見計れるのも当たり前。たゆまぬ研究、創意工夫も当たり前。器も道具も家具調度品も空間も良くて当たり前。しかし、足袋を見よ。カウンターに立つ直前におろしたての真新しい白足袋。そして、カウンターに居並ぶ長年の上得意客から今日、初めての一見さんまで、分け隔てない丁寧な応対。すべての我がままを上手にあやし、どの立場の客にも和みと得意を誘う物腰。さらに、見送りから店を出て至福の余韻を冷めずに家路まで残せる空間と環境。そんな、鮨を食を知る店がいったい東京に何件あるのだろうか?三ツ星に?しかも築地で最高値の本マグロを銀座にも譲らず競り落とし、その半額で供する。そんな、品がちがう物がちがう、店の職人の意地と見栄は、毎年ワシントンの桜祭りで、米国の政界、財界、各界の要人たちに振る舞われている。島宮勤氏の無骨な歪な味ある"すし"が、日本を代表して。僕は28才から約20年、ほぼ毎日、下駄履きですし善本店のお世話になった。日によっては昼も夜も。家が建つほど食べてきた。本当に、連れがいない限り予約の電話と入店時の挨拶ぐらいで、一言も交わさず食して帰ることが日常だった。財布も持たずに車のキーひとつで。お題はツケ払をさせていただいたので。催促なしの未払いのお代を早く払わなきゃネ。(苦笑)
2009/08/20
すいかくい
今のところ43で結婚した3番目のカミサンが最期の結婚相手。まぁーこの先まだ運があれば一応、4郎候補の身。しかしこれ以上、超離婚貧乏には成りようもない都心の難民キャンプ暮らしに老化が進行するから、一体全体どんな末路が待ち受けているのやらだ。ふぅー。彼女とはもう幼なじみと化してしまうほどの13年を費やした紆余曲折の末に結ばれて、わずか半年(実質3ヶ月)彼女の意向で円満離婚。供に人生で初めて子を授かる幸せと同時に亡くす苦い痛い絆を分ちあい、まるで蝉の一生のような顛末だった。その名残が心の傷を癒してくれた11歳になる我が愛犬タロなのだが。
さて、そのEX細君Kちゃんは、お茶事に生け花をなりわう由緒ある社中のノーブルなファーストEXさんとも、某TV局で帯ニュースを担当して名も顔も全国区だったアンカーウーマンのセカンドEXさんとも、まるで違い専業主婦を志望するタイプ。39で結婚するまで実家暮らしだった。ご実家が3代つづく有名な食品加工&問屋さんで家族3人はもちろん、仕事柄か一族みな食通。全国各地、世界各地から、採れたて産みたて釣りたて絞りたて出来立てと、もう様々な食材・食品・珍品・奇品・珍味・怪味までが届くし、また美味は津々浦々探し求める生活。なので、ご実家には業務用の冷凍庫が3台と家庭用とはいえ超特大の冷蔵庫が2台あった。そして資産家ではあるが商売人気質か、たくさんの良き食器もお持ちなのだろうが、それら究極・絶品・逸品の食材を意外や普通の皿にてんこ盛りで勢い良くいただく。きれいに皿に盛りつけるなんて余分な手間が省かれていて、それはそれで真の食通感、プロっぽいと言った方が正確か、新鮮だった。
僕は思うが何度も結婚できた幸運の冥利は、まるで違う生まれ素性、生い立ちから、いつも驚きの家庭文化に遭遇する事で、好奇心の塊な人生を生きる身としては盛りだくさんな未知の未体験の贅沢を得た事だ。で、そんな生業の家庭で家事手伝い歴39年の彼女との暮しで、忘れえぬ食は三品。トマトとオニオンのずけマリネ。僕の大好物トマトとオニオン。それに酸味。酸味は必需で鮨もガリもマリネも膾(まなす)も四六時中欲しがる体。運命的出会いのような一品だった。これを特大の平たいタッパーに漬け込み寝かす。冷蔵庫には365日 常備の日常食。二品目がおにぎり。車の運転は人の性格を如実に表すけれど、おにぎりも素が丸裸ににじみ出る一品。米・海苔・塩・種と品物が良いこと以上に、その まんまるふくよかな形状と空気を残す握り具合が、おうように育ったトランジスターグラマーな彼女そのもの。愛すべきこれぞ?味わい深い家庭料理。
そして三品目のしんがりが、お題のスイカ食い。これには唸った。一人暮らしに戻ってからというもの彼女の(ご実家の)暖簾分けのように、この技は家宝として愛用重宝させてもらっている。スイカが年中冷蔵庫にあるのだ。しかしそのスイカ。皮を除いた赤い実だけを女子がひとつまみできるサイズにブツ切りした状態で大きなパイレックスのボールに山盛りと。家族が何気に冷蔵庫を開ける度にひとつまみ。立ち食い。つまみ食い。拾い食い。ちょっとした水補給に。口直しに。ポカリ感覚。ついつい手が出るまるで菓子。文字通り水菓子だ。それに映画を見る時、アイスのようにボールごと抱えられるし、その技を発展応用させれば、ボール状の蜜蝋を灯した泡風呂にスイカのボールを浮かせながら彼女はシャンパン、僕はサンペリでシャキシャキむしゃむしゃ。今や、いつでもどこでもだれとでも抱えて食すスイカ食いとなってしまった。そのお楽しみの詳細はぜひこちらをご覧あれ!だまされたと思って試してみればヤミツキ必至、保証しますって。ホントだよ。
写真はスイカ食いのバットな実例。ひとつまみサイズのスイカをてんこ盛り大きなボールで浮かせりゃ大人の水遊びもグンと楽しくなるのにネ。おまけに、種の心配もなく、皮の残りもなく、食べきりご免で片付けも簡単なのに。
2009/08/19
めろんくい
6月ごろになると、料理屋や鮨屋で食後の水菓子にメロンが登場し出す。たいがいは10分の1カットぐらいだが、店によっては、または品物によっては、8分の1カットだったり。良き店なら、銀盆皿にのせられてスプーンが付いてくる。間違っても先割れスプーンなどは使われない。そもそも種の部分がきれいに除去されて、瑞々しいグリーンかオレンジの果肉を露にさらしているのだから。しかも食感を残しながら見事に溶ける熟れごろ食べごろを見計らったそのメロンは、力まずともスプーンでするりとすくえて、何口かほうばると、あぁー もっと食べたぁーいと未練もつのり、思わず甘い果汁をすすりたくなるような余韻を残して至福の夕餉を締めくくる事となる。が「めろんくい」は、ここからの所作が品を語る。つまり、どう食べ終えるか?そのお上手な上品な所作を、僕は26で結婚した最初のカミサンから教わった。当ブログでも度々登場する彼女は、女系3代つづく大きな社中でお茶事を嗜む御一家だったから、茶事の作法の一連なのだろうが、こちらは未経験者、その理にかない美しい食べ終え方に見惚れてしまったのを思い出して今日のお題となったのですよ。それを触発したのがマイミクさんの日記タイトル「めんくい」(笑)。彼女はK大法卒のキャリア官僚で、着物に歌舞伎に落語を楽しむ口は悪いがそこは江戸っ子。いなせな才媛。なにより小粋を信条とするグラマラスな文化人。「めんくい」と題して、蕎の食し方に喝を入れていたってワケで。さて、その見惚れた「めろんくい」の食べ終え方とは。湾曲した食べ残りの皮を手前(自分側)に倒すなのです。つまり、食席に対面する人がいれば相手にはメロンの皮、あの編み目の底が見える状態。まるでカトラリーを揃えて食事の終了を伝えるサインのようでもあり、対面の同席者に食べかすを見せないという配慮でもあり。食べなれた身に付いたその一連のノーブルな所作が決め手となって僕は結婚したんじゃないだろうか。っうーぐらいお若い女子の何気ないふるまいに魅入ってしまったってワケ。そんな彼女から初めて届いた贈り物が塩月弥栄子の文庫本「和食のいただき方」。イカした細君だったのです。
「和食のいただき方」塩月弥栄子著 新潮文庫
2009/08/18
男と女の名誉
stimuli いわく「銀座のママは刺されないが、地方のスナックのママは刺される」。詠み人知らずいわく「政治は性事」「歴史は夜(ベットで)作られる」。古今東西、男は弱く女は強い。男は口説く時も別れ際も女を追いかける。女は迷い焦らし貝になり突然遮断する。良くも悪くもストーカーは紙一重の男の仕事。選ばれる身だから選ばれようと、振られる身だから振られまいと。これが種の摂理。サバイブの掟。女は種の生存のために最強の精子を選ぶ立場、そしてその卵を死守する宿命。故に、男からすれば、自己中にも寝返り裏切りは当然だ。甘味な官能・肉欲を餌に男の理性を惑わし麻痺させ利用して破滅に導く悪女映画の金字塔「白いドレスの女」にしろ金字塔を狙った傑作「氷の微笑」はわかりやすい。
男が女を魅きつける唯一の手だて権力。社会的「外見」地位・名誉・金力。肉体的「外見」姿形・筋力・体力。「外見」は劣れど苦難困難を乗り切れる笑いや未知の道を切り開く 知力・感力・脳力。そして希有だがその全てを持ち合わせるスーパーマン。その最高権力者、時の総理がバーでため息をつくだけで、翌朝の新聞にはクソミソに書き立てられ、株価は変わり、世界経済、国際政治を変えてしまう。側近中の側近、盟友でさえ寝返るのが権力界の常識「政界は一寸先は闇」誰も信用できないのがセオリーだ。だから男は年とともに孤高にならざる得ない。唯一、胸の内を吐露できる安らぎの場、恋人、妻、家庭。たった一人の女の胸を借りて泣かざるえない。女より強いけど女より弱い生き物の所以だ。政界、財界、学会、芸界、明日の株価を、政治を変えるニュースな権力者が銀座のクラブでママとたわいない時を過ごしては、緊張の不安のバランスを取る。そんな男と女の摂理と節度をわきまえた銀座のママは、孤高の男達の志を鼓舞して泣き言を上手にあやす。そしてその秘め事を決して漏らさぬ女のプロ。だから銀座は高い。がしかし、摂理と節度、役割を心得ない地方のスナックのママは体を奪われ男に刺され、時には金まで取られてしまう。銀座のママはニュースにならないが、地方のママは芸能紙を飾る事になる。男を育て男の成功の名誉と金を刈り取る"あげまん"。藤本義一いわく「男の顔は履歴書。女の顔は請求書。」は奥深い名言だ。キャスリン・ターナー全盛期に主役を張った映画「男と女の名誉」PRIZZI'S HONOR (1985)。「アイリーン。アイ・ガット・シー・ユー。」ラストシーンで脇役のアンジェリカ・ヒューストンがジャック・ニコルソンに吐かせる名台詞。邦題が見事に言い得た、男社会イタリア系マフィアの命をかけた血の結束より、女の狡猾さが遥かに勝る名作だった。
PRIZZI'S HONOR
いつもながら寝転んでの気分転換なスカパーライフで、今夏初めて見た映画2作は夏休みらしく、カリブ海・豪華クルーザー・無人島、そしてお決まりなメイクラブが、ゆるくあまい共通項で楽しめた。ケイト・ハドソン&マシュー・マコノヒー主演「フールズ・ゴールド」FOOL'S GOLD(2008)は、別れた妻とのトレジャーハンティングのラブコメ。日本未公開 ビリー・ゼイン&グラマー女優ケリー・ブルック主演「サバイバル・アイランド」THREE(2006)は、豪華クルーザーの火災から遭難した富豪とその妻、そして若いクルー。助かった2人の男と1人の女、THREEが無人島で繰り広げるエロティック・サバイバル・サスペンス。
カリブ海での宝探しと言えば元祖、ジャクリーン・ビセットの「ザ・ディープ」The Deep(1977)に尽きるけれど、人気女優&男優がさらにラブコメ度アップした宝探し。方や限りなくCに近い南海の孤島での遭難もの。だが、この「外見」は金力ある中年男と「外見」は筋力ある若い男と、生き残るためには夫婦の契りも大人の約束もゆるく甘く官能で溶かし渡り歩く女の生存をかけた狡猾な体技の駆け引きは限りなくお粗末な作りなのにのにテーマは深淵で、男と女のサガ(性)を思い知らされる「男と女の名誉」級に唸る秀作だった。ぜひ、まだ夏日のけだるい昼下がりにご覧あれ。開放的な南海のまばゆい太陽と海と砂浜、そして裸体。繰り広げられる白いビーチでの、寝返る、寝取る、寝物語には、きっと欲情を刺激させられながら種の生存本能が繰り広げるサバイバルに思惟を刺激されて後味お見事かもです。C級の「男と女の名誉」はあなどれない。
それにしてもグラマー女優ケリー・ブルックの裸体と寝技は「マッチポイント」で魅せたスカーレット・ヨハンソンの妖艶ぶりよりはるかに卑猥。素の体が全てを演じる。演技なき演技の名演だ。"Looks Can Kill" と記されたライナーノーツのコピーどおり。女の武器は見事な凶器。悩殺される。
2009/08/17
ピークのおとずれ
タロが僕の足元で床をクンクン。今朝は千駄ヶ谷駅前にてブラッドオレンジジュース。
相変わらず窓越しの神宮の森では朝から蝉の大合唱。でも気がつくとボリュームはMAXからはかなり落ちた感じ。それにここ数日、夜中まで鳴き続けることは無くなっていた。地中長く地上短い一生を終えた蝉の死骸が道のそこかしこ。今朝のタロ散歩で、それを実感。30度を超える気温でも太陽はグンとやさしいし、日差しはテラスから部屋まで射し込み始めた。南に落日していた夕日は真西まで移動。日没が早くなり日の出がおそい。鬼ヤンマのつがいに遭遇するし。秋のおとずれ。おとづれとは、季節の頼りが返事が、人が物が事が、音を連れてやって来る気配。昨夜は、お馴染み表参道オカダリビングで、奇遇がいっぱいな道産子女子と夜お茶道産子会談。帰途、原宿駅まで見送りそぞろ歩くも夜風が「もっと歩きなっ」て誘うほど心地いいので、お調子に乗って「ボトルカフェ」で寄り道一服。しかも清々しい今朝の空気にタロまで調子づいて、千駄ヶ谷駅前でブラッドオレンジジュースを飲みに行けるほどだったのだが。やはり老化は目に見えて進行していた。帰途はハーハーゼーゼーの休み休み。行きはよいよい帰りはこわい。30分のつもりが1時間。ニュースでは人類最速がまたも記録更新。ボルトのピークか、9秒58。しかし人も季節もピークを過ぎると目に見えて衰えていく。思えば僕のすべての身体能力のピークは45〜6だった。ピークまで全速力で駆け抜ける。お若い諸兄は、迷わず・恐れず・休まず・怯まず・駆け上るのみっス。
2009/08/15
必見!着るタオルは使える。
なんとも野暮ったいネーミングにアドバタイジングが、いかにもアメリカンな WEARABLE TOWEL(着るタオル)。がしかし、その単純な作りと便利さは秀逸。なんで今までなかったの?なのです。湯上がりに着てよし。ビーチで敷いてよし。お見事。$19とはお値打だ。
2009/08/14
追突されて。。。
六本木通り沿いの旧全日空ホテルから3分、赤坂見附方向から、やはり数分の外堀通りが交差する溜池交差点の目印は、大手総合商社 旧「日商岩井」のビルだった。その1本裏通りに、まだ黒塀の料亭や小料理屋が軒を連ねていた当時、道に詳しい運転上手さんなら必ず選ぶ交差点を斜めにショートカットする抜け道があった。六本木通りと外堀通りが直角に交わる溜池交差点の両辺を斜めにつなぐ小路。その小さな三角型の先に、これまた地形通り小さな三角の土地に建つペンシルビルを、まるで玉村豊男の「パリの雑学ノート」と妹尾河童の「河童が覗いたヨーロッパ」を手本にしたかのように改装した「赤坂グリーンホテル」という7階建てのビジネスホテルがあった。黒御影石のデコっぽい1階にはアレックス・カッツの「ザ・レッド・バンド」に迎えられるカウンターと地下への階段だけが、地下には「BISTORO BIS」という直営のビストロと電話ボックス&トイレがある、まるでパリのカフェ仕立て。その三角のホテルは三角立地らしくエレベーターを中心にして、ワンフロアーに3室の変形した屋根裏部屋のような客室と最上階にエレベーターを降りるとワンフロアーが1室のペントハウスのわずか19室。そしてアティック(屋根裏部屋)のような客室の家具調度品はすべて、オーナーが渋谷や赤坂東急ホテルの赤坂東急プラザで営んでいた、ダンスク、アラビア、ジョージ・ジェンセン、カイボイセン、イッタラ、ステルトンなどの北欧モダンとダネーゼ、カルテル、アレッシーなどのイタリアモダンな生活・インテリアグッツに、マチスばりのアフリカンなエスニックアイテムをミックスした独特のセレクションからなる「helps your living plan CITY」という店の品々で、唯一、ペントハウスには、これまたオーナーが輸入販売していたイタリアの皮の名工「ベルニーニ」のソファを配置したこれぞ枕流、見事な洒落。そのホテルオーナー高橋毅氏は、青山ではサバティーニ・ディ・フィレンッエがあるビルにフォア・ローゼズを模したかのような「10 ROSES」という名のケーキ屋、銀座では新橋寄りに界隈の芸者衆が集う「砂糖人形」というケーキ屋、帝国ホテルには、前述のケーキ屋同様にネーミングとマーク&ロゴが仲條正義、そして空間は建築界の偉才 白井晟一の唯一のショップデザイン「亜門茶楼」という讃岐うどんもメニューにある甘味処を経営する道楽者。そもそも本業は慶応の商学部を出てから日本で最初にミース・ファン・デル・ローエやル・コルビジェの家具を輸入販売したお方で、元祖北欧モダンの紹介者。もはや幻の雑誌「太陽」には、幾度となく御夫婦で登場する京都に釜を持つお茶とお花を嗜む趣味人だった。僕は幸運にも、デビュー作のVIVREが気に入られて、彼が病に伏す30のころまで全国に広がる彼の仕事をたくさん経験させてもらい、彼の仕事を支えた日本を代表する建築家 白井晟一氏やグラフィックデザイナーの最重鎮 仲條正義氏さえ舌を巻く彼の美意識とビジネスセンスを学ばせてもらった。そんな知る人ぞ知るリトリートなビジネスホテルの向かいには、国際自動車の黒塗りハイヤーが並ぶ駐車場が、そしてその並びには、90年代に入って、若手お笑い芸人の実験場「銀座7丁目劇場」で俄然勢いづいた吉本興業の東京支社が越してきた。
1997年の5月。サッポロコレクションのキャスティングで羽田から直行した先が、テイ・トウワのマネージャーとの打ち合わせ場所の吉本興行東京支社だった。帰途、慌ててビルを出て、あのショートカットされた小路からタクシーに飛び乗った。 というのは 続いて19:00から学芸大学で、僕のプロジェクトに度々参加してもらった数少ない同世代の文化人、美術評論家 伊東順二の講演会があったのだが、今回のコレクションにも協力要請をするために講演後のパーティー会場で彼と会う約束だった。いずれも多忙なスケジュールをかいくぐってのブッキングばかりで、すでに30分も遅刻しそうな状況でのタクシー。ドアが閉まる間もなく「飛ばして下さい!」と告げて六本木通りに出る直前、抜け道に新設されていた信号機に運悪く止められた瞬間、「ドン」と鈍い衝撃。「あぁー 追突かぁー」と後ろを振り返ると、シルバーのメルセデスに上品な中年女性がハンドルを握っていた。助手席側の右ドアが開き、男性が駆け寄って「お客さん大丈夫ですか?」と、タクシーの運転手より先に声をかけてきたその男性の顔を開けた窓越しに見上げると山城新伍じゃないか。素早く丁寧な対応に少し驚きながら「えー大丈夫です」と答えると、運転手から「お客さん。すいません。他の車で行って下さい。」の言葉で車を降りて、僕は後続にいたタクシーでその場を後にした。わずか数分の出来事。追突から見送りまで山城新伍氏は紳士だった。最初で最後の出会いと別れ。今朝の訃報で思い出したあの一瞬。つい先週も、大原麗子さんの訃報に回顧していたばかりだ。袖触れ合うも何かのご縁。一期一会をが骨身にしみる。明日は靖国神社に参拝。先人の御霊に慰霊を捧げ、恒久の平和を祈らなきゃネ。
我が家の夏テラスより 残暑お見舞い申し上げます。
2009/08/12
ラッキーナンバー9
1日の最初にはいて最期に脱ぐ、1日で、人生で、一番長く装う肌身離れぬ小さなファッション、パンツ。そのパンツを研究して40年の研究家として、2009年一押しのメンズ・スイムウェアがラッキーナンバー・シリーズ「baskit」のNo.9。ラッキーナンバーが9という、ミクシのユニークな箱入りお嬢のオタク姫「9コ」さんに捧ぐです。ぜひ彼にはかせてオソトへGO!プールへGO!せめてラッキーコレクションにGET!
白いラインがお尻まで一直線なら僕もスカイブルーが欲しいかなぁー。チョコ焼けした肌に男子ならブラウンとスカイブルー。女子ならホワイトとブラウンは決まるから。女子なら白肌に白布も◎。難易度高いけど。
LAXとKIX
僕のアメリカ経験は大学時代の1970年代後半、LAX から始った。乾いた風とそびえるパームツリーより遥か天高く澄みきったスカイブルー。そして、TWA と Records Building とイーグルスのホテル・カルフォルニアじゃないが眩しいミラーのシリンダー Bonaventure Hotel が鮮烈だった。どんなに背伸びしても届かない空とドライな空気とモダンな建築の開放感。自由。いや「フリー」って気分。
その LAX で思い出したが、英語を勉強するのにいいと勧められて観た映画「眠れぬ夜のために」(Into The Night / 1985)で、女優としてファンになったミシェル・ファイファー、以来、彼女をズーット見続けたている。この映画、The Fly (蠅男)でお馴染みのジェフ・ゴールドブラムやデビット・ボウイの出演の他、デビッド・クローネンバークを始め10名のとんでもない監督たちがとんでもない役で登場している見逃せない不思議な1本でもあるのだが。事は空港で始り空港のラマダ・インで終わる。。。空の玄関、空港って、なぜトキメク場所なんだろう。かつてはともかく今や特別な乗り物じゃない日常の足なのに。飛行機の形状か?空港のデザインが?パイロットやスチュワーデスの制服?空に舞い早く目的地に着く利便性?その全てが象徴する未来チックな空気感?それは Fly(飛ぶ)が誰にでも眠る野心や夢のシンボルだから?日常を超える非日常「旅」の始まりだから?その「旅」で思い出したが、「トラベラー」と「ツーリスト」の違いをデボラ・ウィンガーとジョン・マルコビッチに語らせて始るベルナルド・ベルトルッチ監督の映画 「シェルタリング・スカイ」は人間だけが考え必要とする「旅」の行き着く果て、人生という長旅の正体が見事だった。「ツーリスト」とは、ちょこっと非日常の旅をしては、また日常の待つ家に帰る。常に戻るところがあるつまみ食いの「観光客」。旅の恥はかきすての。「トラベラー」とは、帰る場所、家という日常の無い、行き着くあての無い、いわば行く先々が日常な放浪の「旅人」。恥も外聞もかなぐり捨てる傷が生き様、年輪となるライブな人生の経歴書。
旅の始まり。夢の始まり。エアポート。そのエアポートグッズが KIX(関西国際空港)から届いた。どこにも行けない夏休み。唯一のホリデー気分がガムテープとはネ。熱帯夜の妄想の旅でアラウンド・ザ・ワールドかー。ちぇ。ちぇ。ちぇ〜。
2009/08/08
僕。
しばらく見かけなかった大原麗子さんの突然の訃報は「すこし愛して、なが〜く愛して」をリアルタイムで体験した世代にとって、知らぬ間に過ぎ去っていた20年の時を感慨深く遡らずにはいられない予期せぬ事件となったのではないだろうか。当時20代なら今は40代の、当時30代なら今は50代の、毎朝、鏡で見ているはずの自分史とあらためて向かい合う。8月6日、夕方6時台のニュースをぼんやり眺めていたら、画面に臨時ニュースのテロップが流れ、番組終了間際にその第一報をアナウンサーが伝えた。僕は慌ててネットのニュースで再確認。そして、それまでタイプしていた企画書の手を休めてブログを書き始めたのだが、6日の記事の通りで、前夜からの貫徹疲れか不覚にも爆睡してしまい翌朝、目が覚めてから再び書き足して投稿した。たぶん多くの中年男子のブログでも同様なタイトルで前夜から投稿が相次いだとは思っていたが、UP直後からアクセスが一気に上昇しだし、あっという間に100を越え、日付が変わるころには200件をゆうに越していた。そのほとんどが検索エンジンからで、mixi にリンクはしているものの、先代たちに言わせれば僕らは「戦争を知らない子供たち」であるように、80年代生まれが多いマイミクさんたちには、あの名台詞は存在しなかった。わかってはいたけれど、今を生きる20代の無反応は、悲報をさらに悲しいものにしてくれた。その検索キーワードは《 すこし愛して ながく愛して コピーライター 》。みな一様に、人生のど真ん中で射抜かれた生涯忘れえぬ名文句が、一体誰によるものなのかを知りたがっていた。あんなに有名な時代の言葉。まるで彼女そのもののような台詞。なのに今まで作者不明とは不思議な話。まるで時代に区切りをつけるかのように息せき切って確認の検索をしたのだろう。みんなが探した、そのコピーライターが、よもや僕の義理の兄になり損ねた村山孝文さんだったとは。
飯島愛ちゃんの孤独死。川村カオリさんの生き様。大原麗子さんの孤高の終演。先ほど逮捕された酒井法子の栄光と転落。人生の彩。袖触れ合うも何かの縁。みな何処かで微妙なご縁があった人たちばかりだ。一期一会の人生に、思いはさかのぼる出来事ばかり。思わぬところで突きつけられた、時代の節目、自分の節目に、今「僕」に立ち返る。少年が青年になる前夜「スタンド・バイ・ミー」の季節。あと1〜2年もすれば、つるんとした肌はひげ面に、高い声は声変わりが、ひょろっとすらっとした体形は無骨に様変わりする直前。もう戻れない懐かしい少年最後の一瞬、昭和40年初頭の夏休みに。その、長いようで短い夏休みのような、人生の過ごし方と終わらせ方に。。。
大好きな岡本太郎の「僕」。くったくない少年が頬杖ついて、両親に挟まれて建立されている。生前から作られていた太郎のお墓。好奇心満々。満面の笑みで。永遠に少年のままに。思えば、大人の乙女の大原麗子はそんな少年のような笑みだった。【追伸】旭山動物園に行かれる機会があれば、ぜひ「お地蔵様」にお立ち寄り下さい。「僕」がお堂にいますので。
2009/08/07
すこし愛して、なが〜く愛して。永遠に。
なんて年なんだろう。春を待たずに飯島愛ちゃんの孤独死。川村カオリさんの壮絶死。そして若き日の憧れ、麗しきマドンナだった大原麗子さんの孤高な終演。大好きな女性たちが次々と逝ってしまう。たぶん今ごろ全国の中年オヤジのブログタイトルはこれでしょう。ショックです。大原麗子さんが死後数日間も発見されなかったなんて。明日を知る者は誰一人いない人生の掟を思い知らされる。まだ62歳だよ。甘く嗄れた声と趣きある佇まい。愛らしい笑顔。しっとりとした仕草。風情ある独特の日本美人。憧れの年上の女性だった。
名作サントリー「レッド」のCM
まだ僕が百貨店の経営企画室に勤務していた26才。後にも先にも500人級の華燭の典をあげて結婚した最初のカミサンは、女系3代に渡り草月流と裏千家をたしなむ島田社中の次女で、お茶事に生け花、着物に懐石はお手の物だったが、フィオルッチやディグレースが大好きなお洒落さんで青山ケンネル出のドッググルーマーでもあった。お洒落とワンコで意気投合が馴初めだった。そして彼女のお姉ちゃんが僕より1つ上。当時、築地電通のクリエイティブ勤務。そのお姉ちゃんのボーイフレンドが、大原麗子を時の人にしたサントリーレッドのCM「すこし愛して、なが〜く愛して。」のコピーライター村山孝文さんだった。そのコピーはその年のTCC(東京コピーライターズクラブ)クラブ賞を獲得。社会現象、流行語にもなって、今や辞書にも載る恋心の名言だ。当時、僕らとお姉ちゃんカップル4人でのご飯会の席で、彼からそのヒットコピーが生まれた制作裏話を聞いた。売れっ子コピーライターだった彼はあっちでロケ、こっちでロケと飛行機で飛び回っていた締め切り前、グアムロケからの帰国の翼で思いついたフレーズをすかさず目の前にあった機内のゲロ袋に書き留めた。レジェンドって、いつもこんなメモから生まれるんだよね。80年代初頭は、カメラマンの時代、続いてイラストレーターの時代と先行した「視覚」世界から、広告クリエーターのスターの座は、コピーライターの時代に大きくシフトした時だ。時の主役は長沢岳夫、糸井重里、仲畑貴志、真木準、魚住勉、村山孝文、らの「言葉」の世界。それを育てて時代を席巻したのがサントリー、西武百貨店、パルコ、伊勢丹。広告が時代の気分を作った最期の季節。記憶に残る言葉と映像が語り継がれる。「すこし愛して、なが〜く愛して。」永遠に。あぁ。ハロちゃんに会いたくなっちゃった。
凮月堂のカステラ
今日(8/6)は寝すぎて体調が変。一昨日の夜から後輩君の連絡待ちをしていたら貫徹だ。それが効いたか不覚にも、昨夜は久しぶりの気絶爆睡となってしまった。1日3〜4時間の睡眠で快調に回っているリズムが崩れて、夕方になってもまだ不調。これってPCの「電源を切る」と「スリープ」の違いだって気がついた。(NOTE「りんご」では「まど」で言う「スタンバイ」を「スリープ」と呼ぶ)いったん電源を落としたPCを再起動するのに少々時間がかかるのと、スリープ状態でPCを閉じてから再び開けるの差。て、事は。僕の365日は「スリープ」だったってわけか。そんな疲れか再起動に時間がかかりすぎなのでコンビニに駆け込みユンケルとハイシーを大量に調達して、さぁーアクセル全開〜。とと外はもう昼過ぎから浴衣でおめかしな女子&男子がうろうろうろうろ鈴なり開始。今日は神宮外苑花火大会 ってワケでした。しかし毎年、どこから湧き出るのか、とにかく日中から、ぞろぞろぞろ家の界隈は人が押し寄せる。しかも今年は30周年記念で12000発の花火な夜。そりゃ主催者も気合いだがお客も気合い十分か。そう、当ブログの「ナイトプールと花火ナイト」も先月からアクセル件数うなぎ上りで連日の第一位。もうすっかり夜プールと花火な夜は真夏の夜のデートの口実に定着か。季節の風物詩って感じです。
さて、ご承知の通り、僕は自他共に誇るヘビースモーカーに加えて大のエスプレッソファンで濃厚な苦味の中毒患者。そんなわけで煙に燻され苦味に麻痺したお口直しに、これまた炭酸水を激飲みすること日に3ℓ。そして止めはド級の激甘党。猛煙家、濃いカフェ派、激甘党、そして炭酸水愛飲症と、重度の刺激物依存人。中でも糖分摂取は死活問題。深夜12時を回るころには、まるで電池切れのおもちゃのように思考も身体も急に動きが鈍くなる電池切れのロボットだ。PCで言うならビジー状態でフリーズ直前か。しかしひとたびガッツリこってりケーキをほうばればたちどころに再起動。で。ここ1ヶ月ちかく引きこもり仕事が続き、コンビニの甘菓子でしのいできたが、先週、中村屋の厚切りカステラ105円なる新商品が店頭に登場し、試しに1個買って帰ると、これが利く。これにバナナとバニラアイスでパワーチャージは完璧。しかし激甘党には厚切りとはいえとても1個じゃもの足りず、今や1回3袋。ついに昨夜は疲れもピークで犬の散歩を口実に近所のポルトガル料理店 ペローラ・アトランティカ まで出向き1個2〜3人前の作り立て パォン・デ・ロー をひとりでぺろりだ。熱波の夜風にさすられながら表参のテラスで甘味で満腹。濃密なバターと玉子とミルクの甘〜い香りで卒倒。食べて気絶。帰って爆睡とあいなった。
カステラの原型「パォン・デ・ロー」中はとろとろオムレツみたい。
まー症状は進行し、もはや激甘中毒患者であると自覚した次第。そして、とろっとろで湯気上がるカステラの原型 パォン・デ・ロー をほうばりながら思い出したのは、高校受験のながら族だった中学時代。ほとんど毎夜の午前様だった父の土産が「寿司元」の鮨折りで、たまに「凮月堂のゴーフル」と「凮月堂の東京カステラ」。それに、たぶん自分用にと思われし「栄太郎の飴」だった。あの三角錐の飴は僕のサンペレ炭酸水と同種で、毎夜の酒と煙草でお疲れな舌・口・喉を洗浄していたのでは?と思うのだが。とにかく「寿司元」のウニとトロは毎夜の夜食。たまのカステラ&ゴーフルはおやつと重宝。そんな能天気なバカ息子だった40年前に思いを馳せて、本来なら自分の不出来な息子か娘に、お土産を下げて帰宅する親父な歳のはずが、ワンコと夜スイーツお一人さまかぁー と深くため息ついてしんみりやれやれ気絶した模様だ。
【追伸】
中村屋のコンビニ仕様な「厚切りカステラ105円」に始ったカステラ月間も、とうとう思い出のカステラ「凮月堂の東京カステラ」に行き着き、本日、ネットで注文の運び。懐かしい味と形が待ち遠しい。凮月堂の名物「東京カステラ」は、銅釜で1つ1つ焼くため6面ともきつね色にこんがり焼ける100年来のオリジナル製法。その大きさも16×21と不思議な寸法。そして銀の箱缶にエンジで描かれたアールヌーボー調の飾りにロゴマークの扇で縁取られた桜の花びら。その中に「since 1905 TOKYO CastellA iron pot」とエンボス文字が浮くレトロなモダンで味あるデザイン。進物には好適だ。とにかく薄味であっさり。いくらでも食べられるゴーフル同様、ひとりで一缶空けちゃう危険な味覚で要注意。
2009/08/06
ガーゼをまとう女に逢いたい
最近、お固いニュースを読む局アナから、ちょっと前まで権威があったアンカーウーマンまでもが、チュニックにレギンスなゆるい重ね着で登場するご時世。ちょっとちょっとスタイリスト嬢さま、いかにトレンドとはいえ、キャラとボディーとプログラムによるんじゃなぁーいって言いたくなる絵図らにがっかりだ。まるでお母さんの割烹着だよ。ゆるいとかたいは上手にアレンジして欲しい。東京都庭園美術館正門前の目黒通りを挟み、通り向かいの小路に小さなサインと提灯に gasaと印された古民家を改装したギャラリー仕様のブティックがある。そこは小路に踏み込むだけでノスタルジックな風がぬける不思議な時空。「gasa」とはスペイン語でガーゼの意らしいその店は、一昨年からパリコレにも参加している五十嵐三恵と松谷正晃らによって設立されたレディースブランド。僕は、Le Grand Blue のゴスってるエキゾなエロスも大好きだけど、スノッブな土の香り、洗練されたノスタルジー、ゆるさに品格ただようシックな gasa にも魅せられる。がしかし、着こなしはかなりの上級者向け。ふつうの人なら野良着か割烹着になっちぁいそう。コレクションに起用しているモデルのようなガーゼをまとう女に逢いたい。それにしても秋冬の写真、まるで荒戸源次郎 監督作「赤目四十八瀧心中未遂」の耽美な世界。
2009/08/05
パパラッチは凄いがスターも凄い!
毎日届く世界の様々なジャンルのメルマガの中にエンタメ系では大御所の米TV「E!」on lineと、これぞパパラッチな「EGOTASTIC!」が読み応え見応え満点。E!は日本で言えばテレビガイドをテレビ番組にした米CATVチャンネル。ハリウッドの映画製作情報やスターの近況、ゴシップなどの詳報がいち早く届くので重宝。そして EGOTASTIC!は、ほぼ同世代としてデビュー当時のカリカリな若さの美貌から観てきたジュリア・ロバーツやジェニファー・コネリーなどの好きな女優が余裕をつけて熟れごろの旬を迎えた美貌のプライベート写真が公開されるので楽しみにしているのだが、さすがスキャンダラスなパパラッチサイトだけに目は違う方に釘付けになる事しばしだ。日本では世界商品な女優がいないからこんなゴシップ露出市場が無いのだろうがパパラッチの真骨頂を堪能できる。ハリウッドスターは桁違いの法外なギャラがあるので、たいがいオフのバカンスは、そのパパラッチを避けるために無人島貸し切りで家族や恋人とのラブエスケープが習わし。そこではまるでワイルドライフさながらに食うか食われるかの生存競争だ。どんだけの望遠レンズを駆使して盗み撮りするのだろうと、その機材と苦心惨憺な張り込み潜入の裏話が聞きたいほど、見事にターゲットがリラックスした無防備な姿態をシューティングしては世界に配信しているハングリーなパパラッチの勝ちには呆れる。これってある意味、手段を選ばない西部開拓時代からの賞金稼ぎね。中でもよく話題になる一般紙のエンタメコーナーでも配信されるNipple Slip(胸ポロ)の瞬間。そして極めつけは、Up skirt というカテゴリーにはホトホト関心してしまう。あらかじめ前置きしときますが、僕は元早大教授の植草一秀や田代まさしのような手鏡&携帯で盗撮なんて姑息な趣味はありませんからネっ。もし撮るならパパラッチのように威風堂々と獣のようにワイルドな正攻法で行きたい派ですから(笑)。ハリウッドセレブのファッションは曲線をなぞるタイトで露出面積の広い装いが多いが、プライベートで自ら運転中でも、仕事で後部座席に座っていても、車から降りる時は深い位置から足を差し出す格好になる。そこが狙い目!体にまとわり引き上がったスカートから股間がのぞく一瞬のシャッターチャンス。いやはや商売とはいえ理にかなう研究の成果は凄い!そしてスターも凄い!ナマ足は常識だがノーパンが多いのには驚かされる。元カノのノーパンにも驚かされたし、数百万もする脱毛のお手入れをしているのはつぶさに触れて愛でて熟知していたのでハリウッドセレブたちが最上級なお手入れであるのはわかるが、見事にノーパン。包み隠さず局部の美肌をさらしているには感動さえしてしまう。パパラッチのプロ肌とスターのプロ肌。ともに呆れてともに見ほれる。さすが巨大なゴシップ・プロ市場だ。
2009/08/04
イタリアのアメリカのジャパンをアメリカへ
これぞ枕流な話。20代のころからイタリアモンはファッション、ファニチャー、ステーショナリー、プロダクツ、自動車&フーズ、そして炭酸水にブラッド・オレンジジュースと、もう数えきれないくらい様々なモノをお試し現在進行形だが、ここ6〜7年前からイタモンTeeシャツならチョイスが楽しいお気に入りの3ブランドがある。ひとつは誰もが知る DIESEL(ディーゼル)の弟ブランド「55DSL」(フィフティーファイブ・ディー・エス・エル)。それってアメリカモンで言えば、Abercrombie & Fith(アバクロ)の弟ブランド HOLLISTER(ホリスター)みたい位置関係か。もう一つが「Franklin & Marshall」(フランクリン&マーシャル)。まるでアバークロンビー&フィッチをパロるノリ。そして止めは「Vintage 55」(ヴィンテージ・フィフティーファイブ)。こちらもアメリカの Vintage Vantage(ビンテージ・バンテージ)という60's〜70'sテイストのバタ臭いレトロ&キッチュ&チープなブランドのちゃかしみたいネーミングでテイストもまんま60's〜70's。ただこちらのイタモンは遊びの水準が高く、素材もディティールもパッケージも凝りまくりなので当然、価格もビンテージ・バンテージの4倍はする高級品。そこがまた洒落てるってわけだが。そして、この「55DSL」「Franklin & Marshall」「Vintage 55」に共通するコンセプトが、イタリア人から見た60's〜70's〜80'sなウェストコースト・カルチャーってところがおもしろい。サーフィンに代表される明るく軽くゆるい西海岸のライフスタイルと懐かしいアイビーテイストを取り入れたキャンパスルック。何たってイタリアンのアメリカンすよ〜。しかも気分は西海岸。で、当然、本家アメリカでも弟ブランドだからホリスターのように高校生に大人気ブランド。が、そこはイタリア製輸入ブランドになるわけでお高い。なので ビバヒル(ビバリーヒルズ高校白書)なBMWやポルシェを転がすリッチ&セレブ高校生に大人気なんであります。そんなビバヒル高校生のトレンドは、人気女優 Leelee Sobieski が高校生役で主演した映画 「Glass House」でキッチリ証明。キャンパスでもモダンな豪邸でも、彼女の着ている服のほとんどが、この 55DSL て具合です。で、そんなひねくれホイチョイセンスがおかしな Vintage 55 で、唯一お気に入りなのが写真の1枚。藍染め(インディゴ・ブルー)の香りごとビン詰めされたTee。胸の文言は架空の富士山・インディゴ・ホテルという温泉宿。ご丁寧に横浜から2時間だとか。要は架空の温泉宿の安価なスタッフ用?お客へのおまけ用?キッチュなお土産品用?と思われしTシャツ仕立てなのです。そんな遊びは縫製の細部にまでいっぱい。ま日本円で約2万とちょっと高価ですが。イタリアンのアメリカンのジャパンなんて可笑しくない?
さて、今日のお題は「イタリアのアメリカのジャパンをアメリカへ」なんておかしな顛末。昨夜の超深夜。札幌在住の親しい女子クリエーター、いや手職人と言った方が適切か。とにかく夢中になると軽く日付を忘れるほど飛ばしちゃう物作りのオタクさんからの電話相談。実は以前「急に恋人が欲しくなった」って相談を受けたとき「君ならネットで外国人の男子友を作るしかないよ」とアドバイスしていたら、ひと月前ぐらいからシカゴに住む日本好きな年下ロッカー君と目出たくメル友が成立。ここからが夢中人の真骨頂。もう仕事もそっちのけで英訳しながら毎日せっせと長文のメール交換の日々。意味がわからなくなるたびに相談電話が鳴っていたのに、ここ1週間は鳴りを潜め、便りがないのは良い知らせとばかり過ごしていたら深夜の電話。ロッカー君は東京に住む友人を頼りに10月、初来日とあいなった。当然、君に会いたい。都合はどうだい?ぐっとメル友がリアル友以上になる気配。こりゃよいよいなんですが。相談は彼からアメリカらしい自慢のプレゼントを送ったから受け取って!ときたから、こちらも何か日本的なモノを送りたい!さてそれは何か?って話。歩くモノ辞典の僕はすかさず自分の経験談も交えてこれぞ枕流な優れモンたちをいくつか提案。されど受話器の向こうはうわの空。もう鼻っから彼女の頭は漢字一文字のTシャツでパンパン。他のプランなど入る隙なし聞く耳無し。で、やむなく話題を変える例外編として、こんなのもあるんだよっと僕のお気に入りTee(写真)を紹介したところ、これがビンゴ! もう「これ送る〜これ送る〜」てな展開に。「アメリカ人が喜ぶ日本的な意味深いモノを贈りたい」って話が「イタリアンのアメリカンのジャパンをアメリカンに送る」っておかしな話になっちゃった。さすが 林さん!以下、日付を忘れて妄想爆走の夢中人さん手作りブランド「sofa sytle」。サッポロのおフランスなジャーマン気分。お題の反応大納得。
2009/08/03
中間がキライなのかも
ふだん暮らしている街から地方や海外に行くと、その街の大小にかかわらず見るもの聞くもの道行く人から街の匂いまでが新鮮で、眠っていた好奇心を喚起させられるのは僕だけではないだろう。東京は世界一広大で濃密な欲望うごめく人の巣なので、至近距離にいながらも意外と日常生活と縁遠いエリアには、職種にもよるだろうが行かず知らずな事が多い。先日、所用で泉ガーデンタワーがシンボリックな六本木1丁目界隈のビジネス高層オフィス街を徘徊する機会があった。お隣のアークヒルズは久米さんが日本のニュース番組に革命をもたらした全盛のころ、僕も30を過ぎ波に乗る80年代、都心で便利な旧ANAホテルには頻繁に仕事旅で宿泊していたので熟知する所だったが、時代が変り世代がシフトした象徴のお隣は縁薄だった。その六本木1丁目駅から神谷町駅に挟まれたエリアは、外資系金融機関、外資系投資銀行、外資系ビジネスコンサルタント、外資系通信・IT関連企業、外資系エンタメ産業等々、90年代から昨年のリーマン破綻まで世界を席巻した飛ぶ鳥落とす勢いの鼻息荒いグローバル最先端企業が巣窟する都内一の24(トゥウェンティフォー)なビジネス街。界隈は隣接するアメリカ大使館〜六本木〜赤坂〜永田町が至近距離で、まさに国際政治&国際経済直結。翌朝の株価を動かす最低でも2ヶ国語はネイティブにあやつる世界最高学歴のパワーエリートな方たちが働く天高くそびえる垂直の街。僕の暮らす地べたの小路のストリートな裏原宿〜表参道界隈とはまるで違う街の形状通り、風景・風情・人の装い・飛び交う言語の違いにあらためて驚いた。こちらは世界が好奇に真似るカラフルな東京カワイイから、見るからにコレクションのモデル、見るからにハイエンドを独創的に装おう方々、見るからに外国人観光客、そして地元で働く貧乏な、でも東京を誇るお洒落っ子たちが、街の色を匂いを風景を地上から創っている。最先端な機能を誇るインテリジェントな高層オフィスビルなど1棟もなく、小さなしもた屋、古いマンションの1室で原始的肉体労働な中小零細アパレル企業の原宿村だ。せいぜいお洒落なファッション、広告、写真、出版のデザインを生業とする売れっ子カリスマオフィスがあるくらい。ほぼ同世代が働き生活している隣町にも関わらず見事に好対照だった。
Teeシャツで額に汗する地べたの生活ストリートからの創造と実業の街。スーツでスマートに天上の頭脳スクレーパーからの仮想と虚業の街。その後に出来たクイック上場インスタント億万長者のシンボル 六本木ヒルズはホリエモンとゴールドマンサックスの失墜から虚人のビルと化したが、続いて開業したいかにも荒い電通な汐留エリアや、いかにも家紋的不動産な丸の内の世界とも明快に違う。リーマン破綻で冷えたとはいえパワーエリートがビル風をもろともせず闊歩するガラス張り超高層オフィスの谷間を歩きながら、僕は30年来の恐怖感を思い出していた。僕には大量の人が同じような出で立ちで同じ方向に同じ時間に移動する事が、まるで高所から下界を見下ろすとお尻がムズムズ緊張する足元がよろける恐怖感のように、満員電車で通勤する事も高層オフィスビルに通う事も生理的に耐えられないからだ。その激流に身を置くと怖くなるのだ。自分が流されてしまう滝壺に飲み込まれてしまうって感じだろうか。大げさに言えば自分のリズムもテンポもなくし集団の同一呼吸法で息する息苦しさ、個を殺す死そのものを意味する怖さなのか。僕は一応、建築家なのに、そのヒィーマンスケールとヒューマンフィールを無視した人にやさしくない建築が僕を威圧し恐怖感を煽るのか。その時代の最先端、6000年前のピラミッド。2000年前のコロッセウム。1300年前の東大寺。150年前のエッフェル塔。100年前のエンパイヤーステートビルディング。その時代の新しい建材、新しい形状、見上げるスケール、きっと怖かったろうに何故か和むのは風月のせいだけではないと、僕は思うのだ。先人の荘厳を知るに、しなやかでやわらかいあでやかな金属とガラスのスカイスクレーパーが建立できると僕には思えてならないのだが。欲だかりな人の傲慢も「遺跡」は残り未来に引き継がれるが「化石」は歴史の地層に埋没する。この違いを心得てこそ建築家たりうると。
人口構成比でボトルネックの世代の少数派な僕は30年前、男女機会均等法施行最初の年で4大卒の女子までライバルとなる厳しい就職難の中、運良く志望が叶い大手の広告代理店と大手老舗百貨店ともに合格した。本当は1年就職浪人してアフリカの旅がしたかったが、アルバイトもフリーターも引きこもりもあり得ない時代。当然、親は猛反対。15で親に嘆願して好きな道へ行かせてもらった手前、しかもせっかく入った建築の大学は途中棄権してまで、親に言わせれば社会的にはそこより劣るとされる大学で食えない社会学なんてを専攻した親不孝者としては親を安心させる為にも、志が生かせる確率の高い百貨店の宣伝部を志願して就職を決めた。当時は、大学をキチンと出る事。就職は終身雇用で生涯勤め上げる事。もちろん結婚は生涯1度で不倫も離婚もあってはいけない。ましてや死語で、もはや辞書にもないかもしれない婚前交渉や未婚の母などは言語道断。人の道に外れた肩身の狭い反社会的行為として烙印を押され、それは当人どころか、その家族その一族まで怪訝に見られ、仕事、結婚、就職にも支障がでるほどの風潮がまだ脈々と水面下で生き残っていた時代だ。
就職を決めて4月1日の入社式までの1ヶ月間、配送センターで新入社員の研修が始った初日、大卒3名の男子に女子3名と、高・短大卒の約100名の新入女子社員に囲まれ、ちょうど10年先輩で係長・課長クラスの肩書きが付く人事部や他部署の先輩社員のレクチャーを受けた。中学卒業以来、後にも先にもその年から2年間だけ実家から会社に通うこととなったのだが、初日を終えて帰宅後の夕飯の席で母親が「会社どうだった?」と、ごく普通の会話をしてきた。僕は「うん。会社辞める。」と、思わず本音を吹き出してしまった。もともと就職は通過点で、企業の看板の元、試したい事があっただけ、いずれ独立する腹づもりだったが、研修の初日に見切りが付いたのだ。身の程知らずの傲慢で我がままな青二才と言われようが、同期入社の同僚と先輩たち数千人の会社で「市場の潜在需要をいち早く見つけ具体的な商品開発とそれを売る新しい空間を作りたい」と志願し、その会社を選択した志は10年経っても叶わないと感じたからだった。つまりオリンピックでメダルを目指したい水泳の選手が10年辛抱して30才にそのチャンスと権限をもらい試合をさせてもらっても、時すでに遅しで旬の才能を発揮できない。未来を切り開く世界を変える記録など出るはずがない。健全な才能と野心には旬があるのですよ。20才の感性は20才に吐き出さなければ意味がない。30才の感性は30才に爆発させねば、宝の持ち腐れだ。そして年寄りはその才能を見極め、いち早く、その才能にかけるチャンスを作るのが仕事なはずなのだが。会社という組織は、そんな自然な摂理とはほど遠い年功序列社会。20が抱えた暴発寸前の勢いは息を殺し、30の夢は飲み込まなければ生きられない会社。今のように転職、起業、フリーターはごく普通、簡単に上場できて一攫千金も当たり前な時代じゃないわけで、当然、親には理解不能、言語道断、単なる我がままにしか映らない。が、ツキがあるのか、幸いな事に入社時の希望が認められ最速で経営企画室に配属されて、僕は全館リモデル計画を遂行。そして、そのプロジェクトの終了とともに5年間お世話になった会社を卒業した。何のあてもなくひとりでひっそり船出した大海原の社会は大自然。何日も凪いで1歩も進まぬ日もあれば、大シケで木っ端みじんと遭難したり、暴風雨をさけようと避難したら座礁したり、激変する天気のように吉凶入り乱れて一日たりとも気の抜ける日などないけれど、お陰さまで多くの人に支えられ、運良く救出してもらい、苦しいけれど楽しい天職と実感して、今日まで何とか自分の呼吸で生きてこれた。やっと大自然の呼吸と一体となれる自分の呼吸を会得した。
だから、宇宙の地球の一員である事は誇りに思う。そして社会の日本の世界の67億分の1個人である事も誇りに思う。大自然の一員として。がしかし、その中間の社員10万人、3万人、数千人の組織には、僕はどうしても馴染めない。日の丸は誇りを持って振れるけど、会社の旗はどうしても振れない。国際法も国内法も遵守できるが、会社の制服も規則も受け入れがたい。サッカーや野球のように役割分担した各ポジションのプロフェッショナルが、共通の目的のためチームプレーするには思う存分活躍したいが、個人の顔の見えない会社のチームプレーには到底馴染めない。まるでネットの匿名性を利用した無責任な旅の恥はかきすてのような行為に見えるからか。そもそも安心も安全も大自然にはないのに、人は何故、目先の組織という傘下に安心と安全を匿名で求めるのか。リスクもコストも張って自分の顔と名で生きたら、実は大自然はたくさんの事を教えてくれて、やさしく助けてくれるのにネっ。と。熱帯夜にもうろうとし摩天楼にくらくらめまいをさせながら、我が30年を回想したのでありました。早期の辞職、独立、離婚と旧石器時代の親には考えられない悦楽放蕩モンは、大きな地球の小さな一員である事を誇りに思いながら、地球という最大と個人という最小の、その中間の匿名な集団がキライなのかも。と。帰途、地球の一兵足はそんな頭と体を冷やしに30代が懐かしい ANAホテルの夜プールに飛びこんだのでした。。。
生物としての五感に馴染む等身大の空間と環境が僕の生理には心地いい。
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