2009/07/31

気を冷ます陶芸


あぁーあすは8月。葉月。旧暦なら秋風月。花火にプールにロックにお盆。これからが西日のきつい暑さの本番。とはいえ昨日の熱帯東京から一転して涼しく感じた日中、鳥居坂からスペイン大使館方向へ歩いていたら鬼ヤンマに遭遇。もうトンボが飛んでる東京です。なので、一足飛びに秋神戸のエキシビション「ハンス・コパー展」のご案内。20世紀を代表する陶芸のモダニスト、ハンス・コパー。師匠のルーシー・リーはデザインサイトの「うつわ展」でお目にかかれたけれど、彼の実作品はなかなか見れない。超有名なのに超希有なので、どなたか神戸までご一緒いたしませぬかー?【Hans Coper】 ハンス・コパー 陶芸家 1920-1981ドイツ ザクセン生まれ。1946年、陶芸家 ルーシー・リーと出会い、彼女の工房でアシスタントを経て独立。独立後もルーシー・リーとは多数の共同展を開催し、生涯、互いに最良の理解者として知られる。彼の作品は、涼しげで熱い・モダンな原始。ミッドセンチュリーモダンってこれよっと言いたくなる時代の造形。誰も真似できない手と土の粗野と静謐。東京の熱波にめまいがするとき、スーと気を冷ます思惟のクーラーって感じです。


2009/07/30

川村カオリ

人生はそもそも悩みようも迷いようもないシンプルな出来事だ。すべての人は子宮で受精した瞬間から死へのカウントダウンが始まり、順調にこの世に産まれてもやがていつかは死んで土。遠くて近い故郷の地球に帰る片道切符の旅なのだから。運良く寿命をまっとう出来るか、不慮の事故死か、いずれ病に伏すことになる。自殺という禁じ手を使わない限り、生まれも死も自分の希望は何ひとつ満たされない。産まれてくる年代も、環境も、親も、人種も、性も、容姿も、能力も、自分の意思は何一つ叶わないないという不平等な平等で成り立っている。真面目に堅実に慎ましやかに生きて、ささやかな老後の平穏も最晩年に災害にあって財産や命が濁流に流されたり、どんなに巨万の富を得ても社会的に地位を得ても子供が不慮の事故でなくなったり、自身が不治の病に侵され辛い闘病を余儀なくされたり、いつ遭遇するともわからない様々な試練と苦難を生きざる得ない。太古から未来まで人は誰ひとり次の一瞬、明日のことはわからないから。だから人は、その不確実で不安な未知の道を生きるに、あらゆる生の実験が堆積した地層、過去の歴史に先達の言葉に生き抜く知恵を学ばざる得ないのだが。

人にとって人生のミッション、自分の意思ではなく産まれてきてしまった生きている事の意味は2つしかない。一つは命のリレー。二つ目は生き抜く知恵のリレー。先天的な使命と後天的な使命だ。前者は文字通り与えられた命を使って子孫の残す事。後者も人は時代とともに様々な仕事に就くだろうが、そこでの人生を通じて学んだ生き抜く知恵を与えられた命を使って、十人十色の人生でご縁があった家族・友人・同僚、未来の子孫・後輩たちに生き様を通じて伝える。それは何も高名になって公演で著述で語る事ではない。猿から人になって400万年。文明と文化が人の証ではあるが、人は所詮、草や木、鳥や獣、虫や蛇と命のルーツは一緒。この宇宙と地球から産まれてきた一介の命の種にすぎない。この宇宙と地球とそこに生存するすべての命がいてくれなければ生きられない、か弱き同じ穴のむじな。同等で等価な生き物。石で塞がれた地面を形を変えてでも生え上がる道ばたの草と同じ。命のリレーの為にその種の寿命を全うする。それが命の正体だ。しかも今、生きている自分の命は一瞬たりとも途絶える事なく40億年におよぶ様々な困難を乗り越えた奇跡としか言いようのない命のリレーの果てに生きているのだから。唯一の答えはパスカルの名言「人間は考える葦である」人の生の正体だ。

CD+DVD limited 2009.5.27

昨夜、気分転換にと親友女子の粋なはからいでBBC制作の映画「宇宙(そら)へ」(原題 ROCKET MEN)の試写会にソニー・ピクチャーズ・エンターテイメントに行った。上映の冒頭リチャード・デイル監督の挨拶があった。クイーンズイングリッシュの抑揚ある語りといい、帽子を片手にタイトなビスボークのスーツスタイリングといい、若きブリティッシュなナイスガイだった。映画はNASA設立50周年、人類初の月面着陸から40周年に合わせてNASA秘蔵のフィルムをデジタル化して制作された、ナイスガイらしい淡々とした人類の宇宙開発史のドキュメンタリー。邦題の情緒的な「宇宙(そら)へ」より、生々しい人の熱が伝わる原題のROCKET MENそのもで、日本での公開に合わせたゴスペラーズの挿入歌は余計なお世話。加工せずそのまま原語と字幕で見たい人類の記録映像だった。僕は1969年、中学2年の7月21日、世界初の同時生中継を見ている。世界中が固唾をのんでテレビに見入った時代を多感な少年期に体験した。その後の宇宙開発の歴史とともに大人になった世代だ。大人になって建築にたずさわり、建築が人類の文化史で1000年のタームで語られ造られる事を先人の足跡から知るに、このブログのタイトルにもある通り、人の生き抜く知恵として「企て1000年。」を自是としてきた。そして、いつもコンピューターもクレーンも数学も無い6000年も前に造られたピラミッドや、万里の長城、エッフェル塔と、専制君主の時代でも民主主義の時代でも、数千年、数百年、と生き抜く都市や建造物について語り、20世紀に手にした、民主主義からの等しい自由と資本主義からの豊かさから、我々は未来100年後に1000年後に残しうるものを創造できただろうかと懐疑と叱咤の日々だった。しかし、人類は残していた。20世紀の100年に、そのわずか50年で成し得ていた事を思い知らされた。人類の宇宙開発は無形のピラミッドなのだと。それほど大量の頭脳、大量の人員、大量の資金、そして人命をかけて成しきってきた尋常ではない甚大な荘厳な無形の造営行為だった事を思い知らされた。しかしそれは東西の冷戦による忌まわしい不幸、おびただしい流血がなければ起こらなかった生まれなかったピラミッド。あらためて本末転倒、皮肉な人の正体も再確認させられた。


27日から28日にかけての切羽詰まった緊張の24時間は、嬉しい涙と悲しい涙が交互に押し寄せる美しいうねりに揺られていた。大好きだった彼女の言葉がもう聞けない。人生の彩。縁の巡りで僕は障子一枚の距離から彼女の言葉に触れていた。距離と空気抵抗をもろともせず彼女の呼吸のような言葉がスースースーと体を抜けていく。何年か前、たったひとりの同級生 堤幸彦が「おまえは本当に不器用な人生だな」だから「長い長い長過ぎるエッセイと短い短い短すぎる小説を書き続けるといい」などと唐突に言い出した。「そんなものいったい誰が読むんだい?」「第一、俺は物書きじゃないよ」「いや売れるよ」「売れるって?」。。。僕は国語と音楽が一番苦手だったから理系へ行ったのだよ。その一番不得手な短い言葉を僕は川村カオリの最後の1年に出会い教わった。無自覚に吸っては吐き出す息のような自然な言葉を。彼女の呼吸は詩そのものだった。プロポーションのいいグッド・スウェールのような繰り返し繰り返し押し寄せる自然な波。どんなに痛い言葉でも、どんなに悲しい言葉でも、どんなに嬉しい言葉でも、どんなに愉快な言葉でも、スースースーと無抵抗に体を抜けていった。生きた言葉は汚くても、痛くても、醜くても、美しい詩なのだと。かつてマルクスとエンゲルスによって草稿された共産党宣言の序文は経済理論でも哲学書でもなく、美しい詩のような物語だったように。

僕はよく優秀な後輩君たちに言う。本なんか読むな。運がよくても70〜80年しかない時間にこの世のすべての本など読みようもないし、他人の人生が記された本を読んでいるうちに自分の人生が終わってしまうと。20才は一瞬で過ぎる。30才も一瞬で消える。あっという間に時は去る。二度とない今を、つたない言葉で、ぎこちない技で、思いのたけ生きろと。今、呼吸する一瞬を生きる。本を読んでも書いてない。練習しても生まれない。前人未到の傷だらけの果てに、若きアスリートたちがメダルを手にした瞬間に空を飛ぶ言葉。魂からこみ上げる。体から沸き上がる。その一言に射抜かれる。どんな高名な学者より、今、一瞬を生きた言葉は永々に響く。永々にふれた彼女の言葉。そして生き様。生を実証した川村カオリに多くの人が感謝する。本当にお疲れ様。本当にありがとう。醜く、険しく、汚く、惨い、痛く、辛く、苦しく、決して奇麗ではない事を全うした者こそ美しい。我々が唯一学ばなければならないのは険しい、厳しい、怖いから自然は美しい。そこで厳しく、辛く、苦しく生きたからこそ人は美しい。地球誕生から46億年。生命誕生から40億年。人類誕生から400万年。あらゆる生命で人間がだけが知る「美」。「美しい」は奇麗とな真逆な事だと。美しい女。美しく生きるとは奇麗事じゃない壮絶を全うしてみせる事だと。かっこいいのはかっこわるい。かっこわるいのがかっこいいのだ。川村カオリさんのご冥福を心からお祈り致します。この光、この呼吸に感謝して。

愛する娘に、私のすべてを伝えたい。
2009.3.18 出版 ぴあ

【追伸】

十数年前、父が73才の検診で胃癌とわかり、時すでに余命1年と宣告された。胃の摘出手術をして1年。少々介護に疲れてきた母を励ます意味でも頻繁に実家に通い夜な夜な父のベットを挟み親子3人で雑談を交わす日々が続いた。そしていつも通り父と喋り母と喋りのそんな夜を終え帰宅した翌朝、電話が鳴った。父が亡くなったと。人の命は不思議だ。命とは説明のつかないどこにあるのかもわからない無形の電池よって生きている。さっきまで普通に動いていたおもちゃのロボットが、まるで電池切れのようにパタット動かなくなった。どこから見ても五体満足。電池切れロボット。その命の電池。金があっても知識があっても、過去から未来永劫、だれにも創れない。どこにも売っていない。どうしようもない。製造も充電も出来ない限られた年数分の五体を動かすエネルギー。天(宇宙)が与えた命なのだ。二度とない今一瞬をやがてくる電池切れまで爆走するしかないのが人生なのだと。確かな事は、生きた栄光と思い出だけだと。40を過ぎて教わった。

2009/07/28

マイ・ファースト・ミスター


my first mister(マイ・ファースト・ミスター)2001 は主人公と同じ年齢で見ただけに、50を目前にしたえもいわれぬ焦燥感に沁みる映画だった。どこにも自分の居場所を見つけることのできない17才。若さ故の苛立。染めた髪。ピアスにタトゥー。果ては自傷。そんなゴスロリ少女ジェニファーと、きちんと襟付きシャツを折り畳む性格を写したかのようなトラディショナルな服飾店を営む中年紳士ランダム。年齢も好みも相反する男と女の偶然の出逢いは、友達とも親子とも恋仲とも違う互いの閉ざした心を溶かしあう奇妙で微笑ましい愛で結ばれていく。高校を出て人生の大海への踏み出しの戸惑い。幾多の荒波を乗り越えて人生の仕上げ前の戸惑い。船出と仕上げ、若さと老いの戸惑いが融解する一息つける味わい深い物語。パッケージの "Funny,sharp-edged and wry!" は裏切らない。デビューほやほやの眩しさ。フレッシュな若さのリアクション。「マン・イン・ザ・ムーン」で初めてリース・ウィザースプーンを見た時のように、リリー・ソビエスキーの輝きには目がくらむ。

男の顔は履歴書。女の顔は請求書。

藤本義一の名言「男の顔は履歴書」「女の顔は請求書」。詠み人知らずの名言「金の切れ目は縁の切れ目」現金な人の世は古今変わらず。勝ち馬には人は群がり集(たか)り神輿を担ぎ、ひとたび調子が悪くなれば、蜘蛛の子散らすように跡形もなく消え失せる。不器用な人生も半世紀。感じるままに信じるままに夢中に生きる幸せは過酷だ。ささやきが聞こえてからの片道切符のサバイブ人生。愛犬に救われて深夜の一服。。。


2009/07/26

毎日がジェリー

元カノとの出会い頭にあなたの写真はガス・ヴァン・サンドの空ね。と言われたことを思い出した。僕の毎日はジェリーかもしれない。写真と言われても、もう7〜8年前のカシオの名刺型のどうでもいい壊れかかったデジカメと、買い替えろっとソフトバンクから再三催促が来ている廃番のヴォーダフォンのカメラ機能。ただ、家からの視界が空しかないだけなんだけど。そう。24時間、365日がジェリーなだけ。部屋が280Eなのだ。昨夜は見事な三日月が二時ごろ 藍染めの空に沈むと同時に、金色にまたたく星ひとつが頭上高く昇り、ほんの小一時間で白み始めた夜明けとともに水色の空へ溶けていった。そして今。朝6時のこの風景。ただただ移ろい続ける永々の窓の外を僕は今日もドライブする。


マッド・デーモン主演 ガス・ヴァン・サンド監督の「ジェリー」2002。映画はのっけから始る砂漠へ向かうドライブシーンがスキだ。いつこのシーンが切り替わるのだろうかと、やがて気をもみ始める、その不安感。「リスボン物語」の冒頭の10分もたまらなくスキだが、この映画、このまま気をもませながらついにはドライブシーンだけで終わらせて欲しいほど、移り行くフロントガラスからの光の世界感にはシビレル。なんで心地いいのだろう。何もない世界をひたすら移ろうのが心地いいのか。自分でも説明がつかない。ランズエンドとドライブがスキなワケを自分でも知りたい。


映画は荒涼とした砂漠の気持ちよさげなドライブシーンが淡々と続く。やがてその気持ちよさは、いつ果てるともしれないドライブシーンの連続に、この先どうなるのだろうかと不安の暗雲が立ちこめる。そしてふたりの若者が休憩に車を降りてから、ふたたび動き出す。360度の地球のカーブ。見渡す限りの寂寥感。荒涼とした砂漠を歩くうち、その気持ちいい広さのただ中で、位置を見失い彷徨い始め再び暗雲が。いつここから脱出できるのだろう。不安はつのり恐怖がもたげ、ふたりは本当のジェリーな事態にスタックしていく。美しい自然は気持ちいい。しかし険しく危なく恐ろしい。【ジェリー】とはドジった時に使われるふたりの若者間だけの造語。快走するドライブはやがて不安に。美しい風景を歩き始めるとやがて恐怖に襲われる。空と砂漠。ドライブとウォーク。ふたりの青年。削ぎ落とし記号化された世界の果ては。ケイシー・アフレックの「星」とマット・デーモンの「ターバン」。よもやアメリカとアラブかと曖昧に妄想だけが地の果てをひとり歩きするのは僕だけだろうか。その終末にむけて。。。

" gerry "
ジェリー」2002

2009/07/25

雨の訪問者

綿雲。積乱雲。急な雨上がりの午後、雲間がサーッと幕を開けて見渡す空舞台はきらきらのスカイブルー。そんな夏休みの西日が肌を刺し、産毛もブロンドに染める夕暮れ前。草の香りがむせ返り木漏れ日がゆれる木陰で、僕はメロンソーダを飲みたくなる。そんな夢想がもくもくと立ちのぼる、ひとり小部屋にいると、いつも高校時代の下宿部屋と「雨の訪問者」が思い出される。センチメンタル・アフター・ザ・レイン。

Afternoon sentimental after the rain

1972年。17才で見た「雨の訪問者」は刺激的だった。タブーをゲバルトに壊す70's そのもので。南仏の保養地コートダジュールの午後のひと雨。メランコリーから付けられたメリーは窓越しに爪をかむボーイッシュなショートヘアのそばかす顔。クレージュの白いエナメルのミニを装う彼女は出張から帰る夫を待つ身を持て余し、アル中の母が営むレーシングカーコースのあるボーリング場から帰宅する。無人のバスが停留所に止まり、去った後には赤いTWAのフライトバックを持つ男。フランスのリゾート地で乗る彼女のシボレー・インパラ(ステーションワゴン)。TWAにステーションワゴン。共に南仏には似つかわしくないアメリカ。そして起こるレイプ。殺人。死体遺棄。「太陽がいっぱい」を撮り上げた名匠ルネ・クレマンらしい、大人になりきれないメランコリックな乙女心が雨上がりに香り立つシルバーブルーのサスペンス。

それにしても映画の中の車検索サイト IMCDB(Internet Movie Cars Datebase)はスゴイ!映画の冒頭に映るレーシングカーシーンまでキッチリ押さえてる呆れた車オタク!

(youtubeで すべてがわかる事の始まり冒頭の5分ご堪能あれ)

刑事役のチャールズ・ブロンソンの胸板。そばかす顔のマリレーヌ・ジュベール。スキンヘッドにベージュのコートとTWAの赤いバッグ。そして、フランシス・レイのサンウンド・トラック。7月の最終土曜日の午後。「雨の訪問者」にセンチメンタル。

自慢のハワイ島が消えちゃった!


ここのところの東京は梅雨時のような雨がふったりあがったり雨上がりにじめっと蒸してすっきりしない日々。そんな金曜の夕方、総理大臣並みに分刻みのスケジュールを早朝からこなす辣腕社長Yさんとの夕お茶会議場に神宮外苑のハワイ島で集合することにした。彼女は都内でスウィーツ&レストラン事業を中心とした食関連企業を12社も取り仕切る実業家。高校、大学とKOではゴルフ部で2台の足はフルオープンのメルセデスとポルシェ。仕事はもちろん玉も車もフルスロットルの飛ばし屋さん。タイトな過密スケジュールを颯爽と車で駆け回る。こちらがちょうど青山での打ち合わせがあったのと、彼女が来週からマウイへバカンスだというので、それじゃーハワイ島での現地集合とあいなった。絵画館前の銀杏並木に並ぶ大箱のオープンテラス「セラン」「ロイヤル・ガーデン・カフェ」「カフェ・スペーラ」までは行くものの考えてみればもう半年は行ってないハワイ島。約束の時間直前に何を思ったか店に電話をしてみた。えっ?「。。。はお客様の都合で電話を取り外しております。。。」と機械音声。虫の知らせじゃ~ないが店は今年の5月で閉店、撤退との事だった。異国情緒感漂う都心の深緑街の華やかな表通りを一本を分け入ると、獣道のその先は。ここは。どこ。と誰しもが目を疑う不思議な空間。間違ってたどり着いたようなT字路にたった1軒のしもた屋が。その佇まいこそハワイ島。現地直送のコナコーヒーを出す穴場中の穴場。イリュージョンのような自慢の店だった。こういう彷徨い空間、ありそうでない不思議の国のハワイ島は幻の島になっちゃったー。うぅー残念。

ありし日の MUU MUU CAFFEE。お店の看板娘は鶴田真由の妹さん?って聞きたくなるほどウリなお嬢さん。聞いときゃよかった。乗じて電話番号も。。。【こぼれ話】Yさんの父上はかの小説「赤いダイヤ」の実在モデル。昭和の相場師仕手戦王。

2009/07/23

まるで映画。たった2分なのに。







magazine
年に2冊しか出さないUKのアート&ファッション カルチャーマガジン stimuli; 。こちらも見逃せない刺激物。ミクシにコミュあるかしらん。マイノリティー好きにはたまらない刺激。

シャネルがメタファー?メタ農がシャネル?

V」 マガジンのシャネルは、まるで「メタファー」。メタファーがシャネルテイストなのか?シャネルが日本のカワイイを標榜したらメタファーになっちゃったのか?これが世界の旬なことだけは間違いないけど。僕の世代から見れば、まるで70年代のJUN&ROPEのCF。懐かしいコンチネンタルヨーロッパ。そのシャネルはルック@10〜11ページ!(クリックしてぜひシャネルとメタファーを見比べる価値アリー)


【NOTE】

メタファーとは、葛木英(くずきあきら)が19才で旗揚げした劇団。正式劇団名が「メタリック農家」といい、通称「メタ農」または「メタファー」として流通する僕的には今、一番気になる80年代生まれの女子クリエーション。

V(V マガジン)は、先行した旬感カルチャーのトップランナーVISIONAIRE(ヴィジョネア)から1999年9月に季刊誌として創刊されたゴージャスなファッション&カルチャー マガジン。VISIONAIREとしては初の定型紙メディア。

VISIONAIRE(ヴィジョネア)は1991年、NYのファッション・フォトグラファーのスティーヴン・ガン、メイクアップ・アーティストのジェームス・カリアードス、元モデルのセシリア・ディーンら3人によって創刊されたカルチャー&ファッション・メディア。というのも広告はまったくなし。毎号コラボするアーティストやブランドごとに既存の雑誌の体裁とはまったく異なる形状で限定4000〜6000部のリリース。そしてその価格が日本円で20000円〜80000円と超高価。すべてが雑誌の概念を超えて、存在そのものが作品と化した旬のファッション&カルチャーを詰め込んだアートの玉手箱。そんなわけで創刊当初から入手困難とされ世界中にコレクターを生んでしまった。その後のインターネット社会の中で紙メディアが淘汰される時代に最前線のエッジが商業的に成功するという革命をもたらしたクリエイティブのカテゴリーキラー。

2009/07/20

BRAND NEW

暑中お見舞い申し上げます。さてさて。BLOG 岡田枕流。は、ちょうど開設して1年。ご承知の通り不本意な結果になってしまい「新」を0から作りました。まだ完全には引っ越し済んではいませんが、昨日から公開してます。ブログは僕の夜なべ仕事のコーヒーブレークで一服つける息抜きってところ。たぶんスルーされる濃い口でしょうが、たまに寄っていただければ幸いです。尚、【枕流(ちんりゅう)の由来】中国西晋せいしんの孫楚そんそは『漱石枕流』>「石に枕し流れに漱くちすすぐ」と言うべきところを、「石に漱ぎ流れに枕す」と言ってしまい、誤りを指摘されると、「石に漱ぐのは歯を磨くため、流れに枕するのは耳を洗うためだ」と言ってごまかした故事。ここから文豪 夏目漱石は、自身の名に「漱石」を付けて、この故事が有名となったのでしたが、後に美食の達人 北大路魯山人が、そのシャレを箸置きにしてみせるという、魯山人ならではの最上級なエスプリにあやかって付けたのでした。というわけで「新。岡田枕流。企て1000年。」以後、どうぞ御ひいきに。

ワンダーラスト


昨夜、遅ればせながら、やっとマドンナの初監督作品「ワンダーラスト」を観れた。Wondre Lust(ワンダーラスト)って、たぶん欲望って意なんだろうけれど、劇中の名台詞「善と悪はコインの表と裏のように背中合わせ」が、原題の Filth and Wisdom(堕落と賢明)を象徴していて、もうマドンナらしいキマジメな直球ムービー。ロンドンのフラットメイト三者三様の夢と現実。夢までの道のりと生きる現実とをタイトル通り往還するマドンナ流ヌーヴェルヴァーグ。80分ぐらいの長さがちょうどいい。映画の宣伝文句がこんなにピッタリなのも珍しい。マドンナ直々の「人生哲学書」。そして僕的には、やっぱりファッション。こちらもマドンナ直々に LE GRAND BLUE で調達しただけに親近感も見どこも満載。映画もさることながら、ぜひ飯倉交差点近くの「」妖艶なジャングルを探検して欲しいものです。夢を叶えるための現実がコインの裏表のように境目を見失い曖昧に麻痺していく様に学びあう青春。絶望と希望の間に生の真実がある。クールでコンサバ。マドンナそのものが「ワンダーラスト」。

マドンナがこよなく愛する LE GRAND BLUE 、その L.G.Bのお気に入りTeeの1枚。胸には South American Chaser 。バックプリントが南米の地図。

2009/07/19

夏休みー


あっけなく梅雨があけ、あっという間に夏休みになっちゃいましたねー。ベランダから見える高速道路は休日1000円&夏休みで朝からノロノロ。数日前のカンカン照りの猛暑日からはグンと涼しく感じる気温だけど、それでも33度。ちょい蒸すは毛むくじゃらのタロにはキツいようで相変わらず冷房を相棒に床でスースー吐息中。すでにベトナムへ向かう友人や上海でお腹壊して高熱中の女子友まで、後輩君たちも様々な夏休み突入開始。こちらと云えば、お連れ様もお金様もなく、あるのはお疲れ様。だから歩いて5分の千駄ヶ谷小学校の夏休み無料解放プールで近所の子供と水遊びか、夕涼みにタロの散歩がてら東京体育館の屋内プールか。あぁー車で10分には、昨日プール開きした紀尾井町のナイトプールもあるけれどネ。ちぇ。あんまり暑いと、こちらも徒歩5分の明治神宮外苑スケート場はクーラー代わりに使えます。が、5分もしないうちにダウンが欲しいほど冷えるっつーか凍る。西日のキツい真夏日にはホント重宝。なんてグズグズしてたら、あっという間に終わっちゃうのが夏休み。せめて土用の丑日、うなぎでも食べに行きますかな。おひとりさまで。ちぇ。


ご参考までに、もうすっかりお馴染みですが、都内国内の宿予約で重宝な 一休。世界のラグジュアリーな宿選びに重宝なのが SLH(Small Luxury Hotels Of The World)。そして世界中の無人島を買いたい方は、せめて島ごと借りたい方は「島」販売専門の不動産会社 Vladi Private Islands へゴー!見るだけでも夏休みで来ちゃいます。ちぇ。

http://www.ikyu.com/
Small Luxury Hotels Of The World
http://www.slh.com/
http://www.vladi-private-islands.de/

2009/07/17

ピンクでパンク


普段はほとんど Masons(メイソンズ)の稀モノブルーデニムにTeeシャツですごす生活になって10年。最近欲しいものもなく、もっとも先立つ物がなく、目新しい着る物がなかったので、ほとんど着ていなかったピンクのTeeシャツを着てたら、会う人会う人みな開口一番「岡田さん かわいいの着てるね〜」「それどこの」と、すこぶる評判がいいのに驚いた。それに今年は、アポロ月面着陸から40年という事で、何かと絵図らが話題に上るしで、すっかりこのTeeのお陰でワンコ以上に原宿のアイドルになっちまった。モノは2年前の WHIPPING FLOYD(ホイッピングフロイト)。スウェーデンのジーンズメーカー Nudie Jeans(ヌーディージーンズ)のTシャツをメインに冬はセーターを加えてくるセカンドライン。毎年、毎季のコレクションでは絵面のテーマが明快で、この年は、どうやら60年代の歴史的事件だったようだ。僕は白地にブルーと茶で描かれた1964年の東京オリンピックで世界が知るところとなった裸足のマラソンランナー アジス・アベベと、このピンク地に1969年の歴史的大事件、アポロの宇宙遊泳をゲット。アベベは夏に着て、アポロは冬、茶でフロントジップのウォームアップの下に着用。チビ丈の濃い茶の首輪割りや腰回りから派手なピンクがのぞくってコーデ用に。それはそれはで、はみ出したピンクがかわいいっと狙いどおりにヒットしたのだが、全体を初めて公開したら大ヒットだった。なので、こいつを着て29日の試写会「宇宙(そら)へ」行こうっと今朝のニュースで思った次第。

ちなみに、このWF、その前年はワールドカップの年に合わせて、フォーエバー・イレブンと称してクラシックな歴史的大会のスターや図案をあしらった、これまた涙物のシブかわTeeばかりで、この年は数枚ゲット。くたってもネタがレトロなので、まるで古着のようないい味出してます。ついでだから、お気に入りのTeeたちを紹介すれば、ブラピもこよなく愛する大人のストリートブランド ever(エバー)。ここは素材も大人。あとはロックテイストなリメイク風 RELIGION (レリジョン)と、こちらもWFみたいなネタがひねられて上等なジョークを飛ばす Vintage 55(ヴィンテージ)、いずれもUK。超ふだん着に激安の60'なレトロ&ポップ&バタ臭い Vintage Vantage(ビンテージ・バンテージ)。そして、ここんとこハマっているのが、あのマドンナもステージ衣装や普段着を作りにやってくる世界のフェイマス アーティストたちが密かに集う、謎の LE GRAND BLEU(ル・グランブルー)。ここの LGBや IF SIX WAS NINEはイカシすぎかも。それと稀にギャルソンってとこか。なんでもそうだが、たかがTeeシャツされどTeeシャツ。僕が大学に入ったころは下着だったんだけどネ。下着が表着。下着が晴れ着になって、それこそ30年。そのきっかけが、ウェストコーストカルチャーの代名詞ともなった「シンプルライフ」というファッション&ライフスタイル本。70年代の核心。世界史に残る名著だ。と言っても、今の20代にはシンプルライフって言えば、パリス・ヒルトンの The Simple Life か。これもまた楽しか。

2009/07/16

「サンドイッチの年」な夜に。

これは無いだろうとミクシのコミュを試しに検索したら、えぇーっ ある。あっちゃったので参加しちゃった「サンドイッチの年」34人も参加していた。 一昔前まで「オカダさん!どこか美味しいお店なぁい?」だとか「映画を見たい気分だけど、何かお薦めは?」なんて問い合わせがけっこうあった。それで、いつも回答する前にひと手間かかってしまうのに閉口した事を思い出した。飲食店なら「いつ、だれと?」「朝、昼、晩、深夜?夜明け?」「どんな目的で行くの?」そして「ご予算は」などと、限られた予算と時間で、その日、店を出た後の気分がどうなりたいかを。映画なら「ひとりで見るの?彼とふたり?」「自宅で?彼の家?」「泣きたい?」「痛快活劇?」「大笑い?」「渋いドラマ」「笑えるラブコメ?「美しいロマンス?」ととと、映画を見てどうなりたいのかを聞き出さなければならないからだ。まるで問診。気分のカウンセラー。と言うのも、目的によっては、店の座る席や向きまでが大事になるからで、それは景色や店の雰囲気が時間帯でも曜日でも違うから予約の段階で指定しなければならないし、万が一満席なら、2案目も用意しなければならないからだ。料理のコースに意味あって食順があるように、そこに飲み物を加えてさらに五感をくすぐり六感を呼び覚まし至福へのクライマックスを誘うように、店選びにも あぁ〜 ふぅ〜 ほぉ〜 っと思わず息が笑みがこぼれる至福に誘う流れを計算しなくっちゃせっかくの大枚と時間が美味しくならないからで、まぁー クラブDJが音の組み立てで時間を演出するような感じか。しかし、今やネットで検索すると写真付きの専門サイトや個人のブログでリアルな写真に解説がてんこ盛りに読める時代。そんなリクエストはすっかり過去の話。そして、ビデオはDVDになり、さらに、ネットでダウンロードしたり、ツタヤのネットでレンタルDISCASなんて時代だから、退社後レンタルビデオ店で、パッケージを手に取りライナーノーツを見ながら予期せぬ衝動に駆られて、思わぬ掘り出し物に出会うなんて事がなくなっちゃった。ジャケ買いの妙味、面白い大当たりも、やっぱハズレも。そんな借りに行くところから帰宅後見入るまでの気分をひきずるって情緒が希薄じゃね〜。予感や余韻も味わいの内なのに、なんとも味気ない。もったいない。

Worth Winning(1989)

1990年、偶然、暇つぶしに入った映画館で2本立て上映していたのが、めちゃくちゃ軽いけど豪華な顔ぶれのラブコメ「3人の婚約者」と、マイナーすぎて誰も気がつかないような「サンドイッチの年」。この不思議な取り合わせが共にツボで魅入ってしまった。当時、米TVドラマで売れてたマーク・ハーモン主演の「3人の婚約者」は、美人女優で名高いマデリーン・ストウ、ヒス系脇役のレスリー・アン・ウォーレン、など脇も固めて、売れっ子お天気キャスターの口説きの手練手管が面白い男子必見のBなラブコメ。かたや、見るからに暗〜重〜で、役者も地味〜な仏映画「サンドイッチの年」。しかし、この地味がスゴイ。素晴らしい。騙されたと思って、泣きたい夜にぜひレンタルを!アウシュビッツから生還した老人の何でもないセリフの一言一言に、人生の迷いが涙に洗い流されて、気持ちよいほど泣けてすっきり。アルファー波出まくりの秀作。人生で一度は見なきゃいけない。マストムービー保証します。

Les Annees Sandwiches (1998)

「人生は食パンのようなものだ。今年は辛いことも色々あったろうが、人生には5度や6度はこんな事がある。残りは何てことない日々の連続さ。今年のような年は、ハムの薄切れのようなものだ。2枚の厚いパンの間に挟まって。つまりサンドイッチの年だ。そういう時は、よく噛みしめなきゃならん。カラシが一杯で涙が出ても、全部食べなきゃならんのだ」。。。目覚めの ぼやけた まなこに ぼんやり写るような蝋燭のゆらぐ灯りに照らされた写真立て。オープニングの このシーンが物語の全てを語っている事に気がつかされてエンドロール。アウシュビッツから生還した老人は言う。「神も何も信じられない」「信じられるのは、生きた人の栄光を照らす蝋燭と思い出だけ」と。

2009/07/14

映画と車とお買い物〜♪

1968 Jaguar XK-E 4.2 Roadster Series I

映画「愛と追憶の日々」(1983)。上写真は、引退した宇宙飛行士役のジャック・ニコルソンが乗るジャガー Eタイプ。60年代の優美なオープンエアの傑作。劇中このシーンだけに登場し、のちの山場、熟年カップルが恋に落ちるビーチシーンにはコルヴェットのTバーが。しかし、この馬力あるのツーシーターを使うところがマッドなニコルソンらしくって、お固く振る舞うシャリー・マクレーンをぶち壊し、内に秘めた天真爛漫な乙女心を爆発させる。幾つになっても無邪気な恋の戯れに酔わせる名場面。まるでテキーラのように人を饒舌にさせる車の演出に唸ります。

Terms of Endearment (1983)

こんな、映画に登場する車がデーターベース化された検索サイト IMCDB(Internet Movie Cars Datebase)はめちゃくちゃオタク!使えます!

僕は世にいう映画ファンではまったくない。その感覚は、犬に関しても、車に関しても、同様なのだが、なかなかそのツボがーわかっちゃもらえない。犬も何頭か飼ってきたし、車は24台、毎年、新車で乗り続けてきたけれど、世に言う愛犬家でも、車マニアでもないんです。そもそも所有欲が皆無なもので。って言うと、ますます怪訝な目つきで疑われるのですが。自分のファッションなんです。ファッションとは流行。つまり自分のその年のトレンド。だから翌年は違うわけで流行は所有出来ないし、流行は所有しないのですよ。一番イヤなことは決めつけられる事。ある年の自分のファッション(流行)が、フィアット・レガータ100Sの白い4ドアセダンで、その年、たまたま出会った方は、その車を見て「オカダさんはイタリア車がお好きなんですね」と言ってくる。しかし、その翌年の僕の流行は、プジョー 505 V6 だったりで、そこで出会った方には「あぁーオカダさんはフランス車がお好きなんだ」と断定されてしまう。僕はイタ車が好きなわけでも、仏車が好きなわけでもなく、たまたま、その年の自分トレンドに従って、今年はコレって感じたままにチョイスしただけなんで。その年のコーデっす。アクセを選ぶって。この感じがネ〜 わかっちゃもらえない。何年かぶりに会った先輩Kさんから「オカダくん!今季は何乗ってるの?」これが一番うれしいお声がけ。この件、詳しくは古いですが「助手席の悦楽」へGO!

で、本題の映画。中学、高校ぐらいまでは、ロミー・シュナイダーナタリー・ドロン(ふたりとも偶然アラン・ドロンの元妻)の特集があれば「ロードショー」や「スクリーン」を不定期ながら買ってはいたものの、映画界や出版社の存在はまったく視界になく、ただただ映画は娯楽、見るものだった。そのお気楽な娯楽感で、小学生だった1960年代から、中学、高校、大学の70年代、社会人になった20代の後半までの80年代、30〜40過ぎまでの90年代を経て50歳を過ぎて4年目の2009年、今にいたる。僕は単なる映画好きなんです。ぼんやり寝っころがってのカウチな楽しみ。それがここ5〜6年の仕事の流れで、急に映画関係者などと話す機会が増えて、びっくり。それこそ、専門誌的正統な見立やデーターはないものの、単なる好奇心と年季の分、映画の衣装やパンツ、アクセ、小間物、車、空間、インテリア、建築、ロケーション&セリフと、かなりヘンタイ的情報が勝手に集積・蓄積されていて、それって、かなり特殊だったりって事に気づかされてしまうわけです。それもかなり偏向しているので、マスなテレビや雑誌からは決してお仕事のオファーは来ませんが。

繰り返しますが、僕は車マニアでも映画ファンでもないんですよ。好きが高じて、年式やデザインのディティールやエンジンがどうだの、カタログ、パンフレットがどうしたこうした何てどうでもいい事なので。では、どういう事かの一例を。1980年、僕は25歳。その年、公開されたリチード・ギア主演映画「アメリカンジゴロ」で説明すると、映画のオープニング、マリブの乾いた空気と眩しい光にブロンディーのコール・ミーを浴びながらリチャード・ギアは黒のメルセデス450SLで疾走する。ゆるやかに下るセレブなビーチハウス街の視界の先に開ける海。ドライブシーンの後ろ姿が昼下がりのジゴロらしい。マリブとイケメンのジゴロと450SLのオープンエア。そして、彼の着る、まだタイトなジョルジョ・アルマーニ。これは、1980年当時としてはクール。イケテルわけです。ファッションとして完璧。車がファッションの一部、アクセとして記号化されている。車を使いこなす車上手。この感じ。これを良しとするわけです。こんな、データーが、車に限らず、細かく言えば、鞄、ポールペン、飲み物、グラス等々、もう何でも、その扱いがイケてるかイケてないかで情報が無意識に識別、蓄積されてるってわけです。ちなみに、アルマーニの映画デビュー作。さらに、ここを押さえておくと、あのマイク・フィギスの「ワン・ナイト・スタンド」が100倍楽しめちゃいます。いかに監督が凝ったヘンタイかが。

例を追加すると「麗しのサブリナ」のリメイク版「サブリナ」(1995) で、ハリソン・フォードが自家用ジェットで島に向かうシーン。自家用ですからもちろん機内はカスタマイズされたインテリア。オフホワイトの壁に上品極まりないベージュの皮シート、レカロ製。着席したハリソン・フォードにお抱えスチュワーデス譲が飲み物を勧めるくだり。Q「お飲物は何になさいますか?」A「ペレグリーノ」。そして運ばれてきたペレグリーノのは?微炭酸の気泡が弾けるステューベンのシンプルなグラス。ビンは出てこない。NYのエスタブリッシュメントらしいグラスと扱い。そのスチュワーデスの装いが、カルバンらしき白シャツに明るいクリームがかったベージュのタイトなスカート。皮シートの光沢とマットな生地が合う合う。何て、たかが水一杯のシーンのコンサバティブな完成度。イケてますなんす。

ついでにもう一例、刑事役のジェニファー・ロペツと銀行強盗役のジュージ・クルーニー、共に売れ始めたころの二人の珍しい共演「アウト・オブ・サイト」(1998)。大人の男女がダブルベットをはさみ潔い脱ぎっぷりが爽やかなベットシーンの秀作。ジェニファー・ロペツのエボニーな肌に溶け合うラペルラのブラウンのパンツ。健康的な彼女のお尻をフルカバーする深めなパンツは当時らしい。方や、ジョージ・クルーニーは、何と清潔感満点の白のトランクス。濃い系男子の勝負が白布。トランクスですよー。一歩間違えればスーツに白いスポーツソックスみたい野暮の絶妙がニクイ!高度なテク!それが光沢からして最高番手の綿。そんなトランクスどこ製なの〜と、当時調べた調べた。無地の白って皆無なんです。しかもプレーンなデザイン。パンチ(伊)、バグッタ(伊)、ルイジボレリー(伊)、ローレンティーニ(伊)でもなさそう、よもやブルックス?そんな分けないよねー。ゴム幅からして。あ、カルバン?いずれも白無地は製造してませ〜ん、ってな具合。この男女のパンツの組み合わせはキャラと役柄を象徴していて完璧。窓の結露っぽい感を外の牡丹雪がゆるり舞うぼやけで部屋のぬくさにして見せる。そんな夜景が外と内の寒暖表現に利いている。雪の夜の静寂感をBGMに仕立てて。もうホテル使いのお上手な事!お洒落っす。誰彼なく真似が出来ないこのシーンのためのスタイリングが上級すぎる。な感じで、映画の中のパンツだけで、あのシーンこのシーンと1冊の本が書けそうなぐらい沸き上がっちゃうなぁー。ちなみにその後、僕はナポリ(伊)製のシルクのような光沢の綿130番手の白いトランクス、ダースで揃えちゃいました。いつか、このシチュエーションのために。今時、プール上がりのシャワー後に日焼けで火照る爽やかな褐色に映えます。西日を浴びて透けながらの品のいいルーズな白布は。あぁー そんな出番はいつ来るの〜。。。

特記。映画を観て即買いした物たちのほんのさわり。

1980 /25才
ペントハウスのマンションを映画のようにワンルームに改装&アルマーニ(家と服)

1988 /28才
プジョー505 V6(車)詳しくは「助手席の悦楽」を。

1989 /31才
スコティッシュテリア(犬)詳しくは「みんな知ってる知らない犬」を。

1998 /43才
ナポリ(伊)製 綿130番手白いトランクス1ダース(パンツ)

etc.などなど書ききれないから、それこそ本にでもしなきゃッ。

2009/07/12

誤認の連鎖

古くはコンピューター ハルが事実を意図的に歪狭くして誤動作をしていく「2001年宇宙の旅」1968 に始って、未来の社会では、人の安全を機械によってより高めようとした、その機械の誤認識からの誤作動で人を危険にさらすといった、本末転倒劇をSF映画で度々目にしてきた。

人が並び、端の人から次の人へ、ある言葉を耳伝えしていく伝言ゲーム。当初のお題は、わずか数人を経るだけで、まるで違う言葉に化けている様を見たり体験した事があるだろう。2007年「バベル」を観終わって、人の不確実な伝言ゲームを思い出しながら映画館を出た。地球の田舎の子供らしい危険な遊びに端を発した1発の銃弾が、いあわせた観光客の大人たちには、場所柄、時期柄、テロの疑いと不安視されて、その不確かな現地からの感情的情報は大使館を通じて国家の国防が調査となれば、緊急を要する怪我人の搬送よりもテロの裏取りに事態は動き、やがてCNNを始めとする世界を巡るメディアに複製されながら、テレビやネットを通じて世界各地の人たちは誤認、誤作動の連鎖を複層的にトルネードさせてゆく。発端の些細な事実は、あっという間に、まるで事実とは異なる事が事実として拡散されて認識されてしまう。



7月5日(日)22:47:41 JST Google が運営する無料ブログサービス bloger から以下1通のメールが届いた。

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ユーザー各位

ブログ http://sukidamon.blogspot.com/ はスパム ブログの可能性があります。これを解決するには、http://www.blogger.com/unlock-blog.g?lockedBlogID=120441854079756882 にあるフォームに記入して、ブログの確認をリクエストしてください。

確認を受けなければ、ブログは 20 日以内に削除され、この間は読者に対して警告ページを表示します。Google はリクエストを受け取りますと、2 営業日以内にブログを確認してロックを解除いたします。ブログがスパムでないことが確認されると、ブログのロックが解除され、Blogger ダッシュボードのメッセージが表示されなくなります。このブログがご自分のものでない場合は何もする必要はなく、ご自分のブログに影響はありません。

Google では自動分類機能を使用してスパムを検出しています。スパム検出システムは自動化されているため、適切なブログが誤ってスパムと識別されることがあります。ご不便をおかけしますが何卒ご了承ください。ただし、このようなシステムを使用することにより、不正業者ではないブログ利用者の方々により多くの保存容量、帯域幅、エンジニアリング リソースをご利用いただけます。詳細については http://help.blogger.com/bin/answer.py?answer=42577 で Blogger のヘルプをご覧ください。

Google のスパム対策をご理解、ご支援いただき、ありがとうございます。

今後ともよろしくお願いいたします。

Blogger チーム

補足: ブログの確認をリクエストしなければ、ブログは 20 日以内に削除されます。ブログの確認をリクエストするには、次のリンクをクリックしてください: http://www.blogger.com/unlock-blog.g?lockedBlogID=120441854079756882

一瞬、何だ!これは?と思い当たるふしもなく、このメールの指示に従い即座に行動した。そして直ぐさま友人に電話をしてブログを見てもらった。その時点で、記載されているような「警告」の挿入はなく、安堵しながら話を終えた月曜の昼時、PCを開け昨夜からの不安だったブログを見ると、驚く文面の「コンテンツに関する警告」が張り付いていた。慌てて、ヘルプサイトを探し、問題を投稿して今日にいたる。その3日後、ほぼ文面通りロックの解除がなされた旨にサインは変わっていた。と同時にブログの投稿機能も回復している。しかし、今だトップに不快で不安を煽る不本意な「警告」は居座り続ける。ヘルプフォーラムで教えてくれたユーザーさんからの体験談によれば10日はかかるかも。という事だった。しかし事態は、検索サイトにも警告され、また当該ブログからは他へ一切リンクが出来ず、完全にネット社会から追放されている事態を昨夜知った。怖い。サイバースペースを巡回している機械が勝手に判断した情報に機械がプログラム通りに対応して、僕はネットスペースから完全隔離されてしまった。しかも、日増しに「警告文」のとおりな悪質なサイトとして、リアルワールでの誤認は深まるばかりだ。まるで、濡れ衣、えん罪だ。

日本ではウィンドーズ95が発売され、まだ高速ではない通信環境で、やっとIT社会が始ったころ。まだレンタルビデオ店では、DVDは数少なく、店名通りにVHSビデオで借りて見たサンドラ・ブロックの「インターネット」The Net (1995) そのまんまの境遇だ。パスポートも免許もクレジットカードも無効と書き換えられてしまい、しかも警察の犯罪者リストにあらぬ偽事件の虚偽の記録まで付けられて、どこへ助けを求めても、自分じゃない存在しない自分の偽記録だけが正しい情報として一人歩きする。実社会では要注意人物として追いつめられていく、その映画そのものが今、僕にふりかかっている。人の生死に関わる緊急事態ではないにせよ、機械の判断に機械が対応しての連鎖だけで、事実ではない事が事実として地球を駆け巡り、事実として定着してしまう怖さを、身をもって知った1週間。はてさて、本当に解決するのだろうか。この汚名は。不安だ。

 
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