「マイケル」の突然の死と「スタジオボイス」の突然の休刊。80年代を統合する「神の死」と「紙の死」。50歳と33歳の死で、80年代は終わった。
「神は死んだ」ドイツの哲学者ニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」で記述された、そのひとくだりは、それまで人類が後生大事にしてきた絶対的価値の終焉を意味した。それから100年。共産主義は崩壊し「思想は死んだ」。人類の幸福にとって、人を統合する人の発明品、宗教は機能せず、また思想も役立たず。そして20年。ついに今までのような資本主義は瓦解し、その唯一の美旗「自由」も、自己中の極み無節操な自由の貪りあいによって潰えた。一巡してようやく人類は自然循環する原始の時代に。人の力を超えた自然界の摂理からの節度。いわば宇宙の憲法と法律の元、地球に生けるものすべてが利も不利も共に分かち合うバランスを取らざる得ない当たり前の「謙虚」を知ったのか。そんな感のある2009年を象徴するオバマ大統領の言葉と行動。始ったイタリアサミットの懸案。世界経済。地球環境。核軍縮。そもそも地球は誰の物でもない。有限の環境での共有と共存でしかない当たり前の事に気がつき行動をとるまでの長いこと長いこと。呆れるおバカさんが人間なのネ。アテネ以来の知識は人を傲慢にし、太古の昔からの知恵は人を謙虚にする。くれぐれも本の読み過ぎにご注意を。傲慢な人の大学界の知識に頼らず、頭を使う五感を利かす自然界から学ぶ知恵を駆使して人間さぁ〜。
おバカさんで思い出したが、これには思わず吹き出した。人類が人類たる所以、文化文明を営み続けて400万年。産業革命から、その瞬きにも満たないわずか200年で、文明は地球を絶滅危惧種のようにレッドリストされる瀕死の淵へ。しかし人類の生き抜く知恵、文化は、遅まきながらやっと、誰の物でもない太陽光で地球を自然循環型へ構造的に変える新技術によって新原始時代を幕開けた。これから10年。世界はオセロゲームのように一気に手のひら返して180度の様変わりをするだろう。
先日、ニュースショーのコメンテーターに呆れながら微笑んだ。自動車誕生から100年を経て、世界の自動車はガソリンを燃やして動かすエンジン車から、モーターで駆動するまったくCO2を排出しない電池で動く電気自動車か、燃料電池で動くハイブリット車にとって変わられる。今年はその元年。外見は今まで通りの自動車だが、その動力源と駆動力は革命的別物だ。「ハイブリット車は静かすぎて、近づいても気がつきにくく事故がおきやすい」だから「トイレのフェイクな水の音のように、静かな車にエンジンの擬音を付ければいいのでは」といったコメントをTVでお馴染みの識者や司会者がマジ顔で話すのだから。
資本主義の自由主義の20世紀の象徴、自動車が生まれて、馬車時代にはなかった大量事故死、交通事故問題。エンジン音、走行音による騒音問題。排気ガスによる大気汚染、公害問題。そして化石燃料、石油による国際紛争。戦争まで引き起こすエネルギー問題。その果ての地球環境問題。飛躍的便利と経済的潤いのツケの、そんな問題だらけを、世界の利権を貪る強欲たちの自由主義の中、一つずつ解決してきた技術産業革命品に対して「静かすぎるから音を付けろ」。自動車は音がする物だと思い込む人間の愚かさを露呈した、いわゆる知識人を証明した発言に笑わざる得ない。これから生まれてくる未来の子供たち、未来の人たちにとっては、もはや自動車は音のしない乗り物なのだよ。「既知」知る人が「未知」未来に逆行する発言と行動をとる好例だ。既知は未知の未来の足を引く最大の抵抗勢力。
さて、そろそろ一服して寝るとしますか。それにしても80年代以降生まれの世代にとって、やがて来る振り返る時期に生きた時代を統合するシンボルとは一体何なんだろう。そして梅雨空以上に心が沈む「コンテンツに関する警告」早く消えないだろうか。ロックは解除されていますと、blogerからの報告は来たのだけれど。今日も蒸し暑そう。
時代に逆行した猛煙家の「夜明けの一服」お伴の灰皿は1940年代製 お気に入りの珍品
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