元カノとの出会い頭にあなたの写真はガス・ヴァン・サンドの空ね。と言われたことを思い出した。僕の毎日はジェリーかもしれない。写真と言われても、もう7〜8年前のカシオの名刺型のどうでもいい壊れかかったデジカメと、買い替えろっとソフトバンクから再三催促が来ている廃番のヴォーダフォンのカメラ機能。ただ、家からの視界が空しかないだけなんだけど。そう。24時間、365日がジェリーなだけ。部屋が280Eなのだ。昨夜は見事な三日月が二時ごろ 藍染めの空に沈むと同時に、金色にまたたく星ひとつが頭上高く昇り、ほんの小一時間で白み始めた夜明けとともに水色の空へ溶けていった。そして今。朝6時のこの風景。ただただ移ろい続ける永々の窓の外を僕は今日もドライブする。
マッド・デーモン主演 ガス・ヴァン・サンド監督の「ジェリー」2002。映画はのっけから始る砂漠へ向かうドライブシーンがスキだ。いつこのシーンが切り替わるのだろうかと、やがて気をもみ始める、その不安感。「リスボン物語」の冒頭の10分もたまらなくスキだが、この映画、このまま気をもませながらついにはドライブシーンだけで終わらせて欲しいほど、移り行くフロントガラスからの光の世界感にはシビレル。なんで心地いいのだろう。何もない世界をひたすら移ろうのが心地いいのか。自分でも説明がつかない。ランズエンドとドライブがスキなワケを自分でも知りたい。
Mercedes-Benz 280E(1977) <IMCD
映画は荒涼とした砂漠の気持ちよさげなドライブシーンが淡々と続く。やがてその気持ちよさは、いつ果てるともしれないドライブシーンの連続に、この先どうなるのだろうかと不安の暗雲が立ちこめる。そしてふたりの若者が休憩に車を降りてから、ふたたび動き出す。360度の地球のカーブ。見渡す限りの寂寥感。荒涼とした砂漠を歩くうち、その気持ちいい広さのただ中で、位置を見失い彷徨い始め再び暗雲が。いつここから脱出できるのだろう。不安はつのり恐怖がもたげ、ふたりは本当のジェリーな事態にスタックしていく。美しい自然は気持ちいい。しかし険しく危なく恐ろしい。【ジェリー】とはドジった時に使われるふたりの若者間だけの造語。快走するドライブはやがて不安に。美しい風景を歩き始めるとやがて恐怖に襲われる。空と砂漠。ドライブとウォーク。ふたりの青年。削ぎ落とし記号化された世界の果ては。ケイシー・アフレックの「星」とマット・デーモンの「ターバン」。よもやアメリカとアラブかと曖昧に妄想だけが地の果てをひとり歩きするのは僕だけだろうか。その終末にむけて。。。
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