2009/07/30

川村カオリ

人生はそもそも悩みようも迷いようもないシンプルな出来事だ。すべての人は子宮で受精した瞬間から死へのカウントダウンが始まり、順調にこの世に産まれてもやがていつかは死んで土。遠くて近い故郷の地球に帰る片道切符の旅なのだから。運良く寿命をまっとう出来るか、不慮の事故死か、いずれ病に伏すことになる。自殺という禁じ手を使わない限り、生まれも死も自分の希望は何ひとつ満たされない。産まれてくる年代も、環境も、親も、人種も、性も、容姿も、能力も、自分の意思は何一つ叶わないないという不平等な平等で成り立っている。真面目に堅実に慎ましやかに生きて、ささやかな老後の平穏も最晩年に災害にあって財産や命が濁流に流されたり、どんなに巨万の富を得ても社会的に地位を得ても子供が不慮の事故でなくなったり、自身が不治の病に侵され辛い闘病を余儀なくされたり、いつ遭遇するともわからない様々な試練と苦難を生きざる得ない。太古から未来まで人は誰ひとり次の一瞬、明日のことはわからないから。だから人は、その不確実で不安な未知の道を生きるに、あらゆる生の実験が堆積した地層、過去の歴史に先達の言葉に生き抜く知恵を学ばざる得ないのだが。

人にとって人生のミッション、自分の意思ではなく産まれてきてしまった生きている事の意味は2つしかない。一つは命のリレー。二つ目は生き抜く知恵のリレー。先天的な使命と後天的な使命だ。前者は文字通り与えられた命を使って子孫の残す事。後者も人は時代とともに様々な仕事に就くだろうが、そこでの人生を通じて学んだ生き抜く知恵を与えられた命を使って、十人十色の人生でご縁があった家族・友人・同僚、未来の子孫・後輩たちに生き様を通じて伝える。それは何も高名になって公演で著述で語る事ではない。猿から人になって400万年。文明と文化が人の証ではあるが、人は所詮、草や木、鳥や獣、虫や蛇と命のルーツは一緒。この宇宙と地球から産まれてきた一介の命の種にすぎない。この宇宙と地球とそこに生存するすべての命がいてくれなければ生きられない、か弱き同じ穴のむじな。同等で等価な生き物。石で塞がれた地面を形を変えてでも生え上がる道ばたの草と同じ。命のリレーの為にその種の寿命を全うする。それが命の正体だ。しかも今、生きている自分の命は一瞬たりとも途絶える事なく40億年におよぶ様々な困難を乗り越えた奇跡としか言いようのない命のリレーの果てに生きているのだから。唯一の答えはパスカルの名言「人間は考える葦である」人の生の正体だ。

CD+DVD limited 2009.5.27

昨夜、気分転換にと親友女子の粋なはからいでBBC制作の映画「宇宙(そら)へ」(原題 ROCKET MEN)の試写会にソニー・ピクチャーズ・エンターテイメントに行った。上映の冒頭リチャード・デイル監督の挨拶があった。クイーンズイングリッシュの抑揚ある語りといい、帽子を片手にタイトなビスボークのスーツスタイリングといい、若きブリティッシュなナイスガイだった。映画はNASA設立50周年、人類初の月面着陸から40周年に合わせてNASA秘蔵のフィルムをデジタル化して制作された、ナイスガイらしい淡々とした人類の宇宙開発史のドキュメンタリー。邦題の情緒的な「宇宙(そら)へ」より、生々しい人の熱が伝わる原題のROCKET MENそのもで、日本での公開に合わせたゴスペラーズの挿入歌は余計なお世話。加工せずそのまま原語と字幕で見たい人類の記録映像だった。僕は1969年、中学2年の7月21日、世界初の同時生中継を見ている。世界中が固唾をのんでテレビに見入った時代を多感な少年期に体験した。その後の宇宙開発の歴史とともに大人になった世代だ。大人になって建築にたずさわり、建築が人類の文化史で1000年のタームで語られ造られる事を先人の足跡から知るに、このブログのタイトルにもある通り、人の生き抜く知恵として「企て1000年。」を自是としてきた。そして、いつもコンピューターもクレーンも数学も無い6000年も前に造られたピラミッドや、万里の長城、エッフェル塔と、専制君主の時代でも民主主義の時代でも、数千年、数百年、と生き抜く都市や建造物について語り、20世紀に手にした、民主主義からの等しい自由と資本主義からの豊かさから、我々は未来100年後に1000年後に残しうるものを創造できただろうかと懐疑と叱咤の日々だった。しかし、人類は残していた。20世紀の100年に、そのわずか50年で成し得ていた事を思い知らされた。人類の宇宙開発は無形のピラミッドなのだと。それほど大量の頭脳、大量の人員、大量の資金、そして人命をかけて成しきってきた尋常ではない甚大な荘厳な無形の造営行為だった事を思い知らされた。しかしそれは東西の冷戦による忌まわしい不幸、おびただしい流血がなければ起こらなかった生まれなかったピラミッド。あらためて本末転倒、皮肉な人の正体も再確認させられた。


27日から28日にかけての切羽詰まった緊張の24時間は、嬉しい涙と悲しい涙が交互に押し寄せる美しいうねりに揺られていた。大好きだった彼女の言葉がもう聞けない。人生の彩。縁の巡りで僕は障子一枚の距離から彼女の言葉に触れていた。距離と空気抵抗をもろともせず彼女の呼吸のような言葉がスースースーと体を抜けていく。何年か前、たったひとりの同級生 堤幸彦が「おまえは本当に不器用な人生だな」だから「長い長い長過ぎるエッセイと短い短い短すぎる小説を書き続けるといい」などと唐突に言い出した。「そんなものいったい誰が読むんだい?」「第一、俺は物書きじゃないよ」「いや売れるよ」「売れるって?」。。。僕は国語と音楽が一番苦手だったから理系へ行ったのだよ。その一番不得手な短い言葉を僕は川村カオリの最後の1年に出会い教わった。無自覚に吸っては吐き出す息のような自然な言葉を。彼女の呼吸は詩そのものだった。プロポーションのいいグッド・スウェールのような繰り返し繰り返し押し寄せる自然な波。どんなに痛い言葉でも、どんなに悲しい言葉でも、どんなに嬉しい言葉でも、どんなに愉快な言葉でも、スースースーと無抵抗に体を抜けていった。生きた言葉は汚くても、痛くても、醜くても、美しい詩なのだと。かつてマルクスとエンゲルスによって草稿された共産党宣言の序文は経済理論でも哲学書でもなく、美しい詩のような物語だったように。

僕はよく優秀な後輩君たちに言う。本なんか読むな。運がよくても70〜80年しかない時間にこの世のすべての本など読みようもないし、他人の人生が記された本を読んでいるうちに自分の人生が終わってしまうと。20才は一瞬で過ぎる。30才も一瞬で消える。あっという間に時は去る。二度とない今を、つたない言葉で、ぎこちない技で、思いのたけ生きろと。今、呼吸する一瞬を生きる。本を読んでも書いてない。練習しても生まれない。前人未到の傷だらけの果てに、若きアスリートたちがメダルを手にした瞬間に空を飛ぶ言葉。魂からこみ上げる。体から沸き上がる。その一言に射抜かれる。どんな高名な学者より、今、一瞬を生きた言葉は永々に響く。永々にふれた彼女の言葉。そして生き様。生を実証した川村カオリに多くの人が感謝する。本当にお疲れ様。本当にありがとう。醜く、険しく、汚く、惨い、痛く、辛く、苦しく、決して奇麗ではない事を全うした者こそ美しい。我々が唯一学ばなければならないのは険しい、厳しい、怖いから自然は美しい。そこで厳しく、辛く、苦しく生きたからこそ人は美しい。地球誕生から46億年。生命誕生から40億年。人類誕生から400万年。あらゆる生命で人間がだけが知る「美」。「美しい」は奇麗とな真逆な事だと。美しい女。美しく生きるとは奇麗事じゃない壮絶を全うしてみせる事だと。かっこいいのはかっこわるい。かっこわるいのがかっこいいのだ。川村カオリさんのご冥福を心からお祈り致します。この光、この呼吸に感謝して。

愛する娘に、私のすべてを伝えたい。
2009.3.18 出版 ぴあ

【追伸】

十数年前、父が73才の検診で胃癌とわかり、時すでに余命1年と宣告された。胃の摘出手術をして1年。少々介護に疲れてきた母を励ます意味でも頻繁に実家に通い夜な夜な父のベットを挟み親子3人で雑談を交わす日々が続いた。そしていつも通り父と喋り母と喋りのそんな夜を終え帰宅した翌朝、電話が鳴った。父が亡くなったと。人の命は不思議だ。命とは説明のつかないどこにあるのかもわからない無形の電池よって生きている。さっきまで普通に動いていたおもちゃのロボットが、まるで電池切れのようにパタット動かなくなった。どこから見ても五体満足。電池切れロボット。その命の電池。金があっても知識があっても、過去から未来永劫、だれにも創れない。どこにも売っていない。どうしようもない。製造も充電も出来ない限られた年数分の五体を動かすエネルギー。天(宇宙)が与えた命なのだ。二度とない今一瞬をやがてくる電池切れまで爆走するしかないのが人生なのだと。確かな事は、生きた栄光と思い出だけだと。40を過ぎて教わった。

2 件のコメント:

hato さんのコメント...

yoshiさん
上手く表現はできないですが
感動しました。

stimuli さんのコメント...

hatoさん。コメントに気がつきませんでした。ありがとうございます。感動なんて最上級の言葉をいただきこちらこそ感動です。川村カオリさんの訃報で思いのたけをタイプしたらこうなったって感じです。でも、少々、振り返れるほどの年月を積まなければわかりませんよね。大人のhatoさんだからです。

 
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